⑥残念王子と闇のマル
「…ん~…」
カレンも私がいつも通りに戻ったことにホッとした様子で、何事もなかったかのように衣装を選び始めた。
「これにする。」
笑顔でひとつの衣装を手に取ったカレンに私は頷くと、他の衣装を片付けマントを選ぶ。
「それなら刺繍の色に合わせて、これで。」
言いながらマントをベッドへ置き、続けてベルトやブーツ、アクセサリーも手早く用意した。
「理巧。」
私が呼ぶと、即座に理巧が現れる。
「カレンの準備の手伝いを、お願い。」
無言で頭を下げる理巧を一瞥し、私はカレンに向き直った。
「申し訳ありませんが、行ってまいります。」
私が頭を下げると、カレンは寂しそうな笑顔で頷く。
「ん。…いってらっしゃい。」
そんなカレンが可愛くて、愛しくて、離れがたくなってしまうけれど、そんな気持ちを私は笑顔でふり払った。
「いつものように見守っていますので。」
カレンが諦めたように、微笑みながら頷いたのを確認し、私はその場から消える。
天井裏へ上がった瞬間、胸苦しさを覚え、私は急いで父上からもらったカプセルを口に含んだ。
「…はぁ…。」
理巧がうまい助け舟を出してくれなかったら、危なかったかもしれない。
カプセルを噛み砕きながら、私はその場に倒れ込んだ。
息苦しさを伴う吐き気に、身体中から冷や汗がふきだす。
「つわりって…こんなに辛いんだ…。」
思わずそう呟いた瞬間、目の前に父上が現れる。
「聖華って、すげーよな。」
こちらを覗き込む三日月形の黒水晶の瞳に、私は力なく微笑み返した。
「ほんとに…母上、よくこんなこと7回も…。」
私の言葉に、父上が喉の奥で笑う。
「だよね。俺のせいでね~。」
軽い口調で笑いながら、父上は私の頭をそっと撫でた。
「おかげで、尻に敷かれっぱなし。」
たしかに、母上といる時の父上は甘えるような雰囲気だ。
私も声を出して笑いながら、少し楽になった体を起こす。
すると、父上がギュッと抱きしめてきた。
「…父上?」
こんなにきつく抱きしめられるのは、初めてだ。
戸惑っていると、父上の腕とこぼれる吐息が微かに震えていることに気がついた。
父上は、無言で私を抱きすくめたまま動かない。
(もしかして…泣いてる?)
密着している父上の胸が、不規則に小さくひきつるように揺れる。
「…父上…。」
もう一度、呼び掛けてみた。
すると、父上は抱きしめる腕の力をゆるめることなく、片手で私の後頭部を優しく撫で始めた。
「人並みの幸せを叶えてやれなくて、ごめん。」
(…。)
「俺が、忍で…ごめんな。」
私は父上の震える背中をギュッと抱きしめる。
「自分で選んだ道です。」
私の言葉に、父上がようやく腕を解いた。
「父上に憧れて、忍の修行が楽しくて、父上に少しでも近づきたくて、外の世界に出て行ける忍になりたくて、自分からこの世界に飛び込んだんですから。」
濡れた鉛色の睫毛で艶の増した黒水晶の瞳を、私はジッと見つめる。
「確かに、忍になってから辛いことがたくさんありました。憧れて忍になりましたが…正直、楽しかったり幸せだったことは、一度もありませんでした。」
私の言葉に、父上の眉間に皺が寄った。
「でも、忍でなければ、カレンに出会えなかったんです。」
私は、父上のマスクを外す。
「父上と同じです。」
二十代にしか見えない若いままのその顔を私は間近で見つめ、ハンカチで濡れた頬を拭いた。
「父上だって、忍の任務で母上と出会ったんでしょう?私も、カレンと出会えました。忍だったから、絶対出会えない人と出会え、想いを通わせることができたんです。」
私はマスクの濡れた内側も拭くと、父上の顔に再びつける。
「私は、充分幸せをもらいました。だから…頑張れます!」
必死で笑顔を作ると、父上が再び抱きしめてきた。
口下手な父上らしく言葉はないけれど、ただただ強く抱きしめる腕の力と合わさった胸の鼓動から、父上の愛情を充分に感じられ、私は目を瞑る。
父上の深い愛情を糧に、カレンを失っても頑張っていける…そう思った。
今夜は、カレンの滞在最後の晩餐会だ。
明日は身内だけで誕生パーティーをするので、貴族達を交えての食事会は今夜が最後。
広間では、おとぎの国の美しい王子との、最後の晩餐を楽しむ貴族や王族で溢れ返っていた。
カレンは常に大勢の人に囲まれ、ダンスの誘いも後を絶たない。
貴族からたまに繰り出される縁談話もカレンは軽やかにかわしながら、和やかな雰囲気で晩餐会は進んでいた。
「姉上。」
共に天井裏から護衛している理巧が、小声で話しかけてきた。
「そのお腹の子、遺伝子検査しないんですか?」
私が理巧を見ると、理巧のまっすぐな瞳と視線がぶつかる。
「9週目から、できますよね。」
私はそのあまりにもまっすぐな瞳に耐えられず、視線を外した。
「…うん。」
そんな私に、理巧が容赦なく詰め寄る。
「もしカレン様の子どもだったら、別れる必要ないじゃないですか。万が一キースの子どもだとしても、中絶すれば問題は」
「理巧。」
私は、理巧を横目で鋭く見た。
「命は、奇跡だよ。」
私は、理巧と向き合う。
「その奇跡を、勝手に摘んではいけない。」
真っ直ぐに見つめてくる黒水晶の瞳を、私も真っ直ぐに見返した。
「この奇跡が例え私の本意でないものであったとしても、それは私の勝手な都合。命を消していい理由にならないよ。」
「でも、私も姉上も今まで数多くの命を任務で奪ってきました。」
理巧は、冷ややかに言い放つ。
「…任務じゃないから、その命、奪わないんですか?」
鋭い意見に、私は言い返すことができない。
そんな私に、理巧は畳み掛けた。
「『任務』という理由があれば、奪っていいんですね?」
背筋がぞくりと震える。
理巧の真っ直ぐな、でも忍として当たり前の考えに、私は初めて恐ろしさを感じた。
「…検査はする。」
私は、話を逸らす。
理巧のこちらの真意を伺うような鋭い視線を、私も真っ直ぐに見つめ返した。
「で、もし、カレンの子だったら…追いかける。」
そう宣言すると、理巧の瞳にようやく和らかな感情が戻り、三日月に細められる。
「…その時は、協力します。」
珍しく喜びを溢れさせた声色に、私の胸が熱くなった。
「ありがとう。」
微笑みを交わした私達は、再び晩餐会を見下ろし、任務を果たす。
きっと、理巧にとって、私は希望なのだろう。
理巧ぐらいの時に、私も仲睦まじい両親に憧れと希望を見いだしていた。
普段の任務が過酷で凄惨なものであればあるほど、いつか私も…と思っていたことを思い出す。
(理巧の為にも、カレンがいてもいなくても私は幸せなんだと見せないと…。)
私は理巧の横顔に、固く誓った。
晩餐会の護衛をしている間も、断続的に吐き気が襲ってきて、ついに父上から頂いていたカプセルが底をつく。
そんな私に、晩餐会に参加していながら父上は気づいたようだ。
晩餐会が終わると、楓月兄上が手招きをする。
「これ、父上から。」
作品名:⑥残念王子と闇のマル 作家名:しずか