短編集1(過去作品)
精神科の医者が一度水谷に聞いたことがある。
「なぜ君はあそこにこだわるんだい?」
「分からないけど、ただいたいから……」
水谷はただそう答えた。
失った記憶を呼び起こすカギが今のところ何一つない以上、手掛かりとすれば、夕刻における水谷の行動以外ないだろうというのが医者の見解であった。
この間ちょっとした事件があった。
療養所ではマスコットというわけではないが、裏庭にウサギ小屋を作りウサギを飼育している。普段は大人しいウサギで、エサは当番を決めて与えていた。
その当番は二人一組で行うもので、その中に水谷も入っていた。
当番で当たったその日、エサをやろうとした水谷に向かって突然一匹のウサギが噛みついたのだ。驚いてもう一人が止めに入ったので大事には至らなかったが、その時の水谷の表情は脅えというよりもまるでケモノのように今にも噛みつきそうな形相だったというのだ。
しかしそれだけでは別に大したことではないのだが、その数日後、皆が徹底的に水谷が気持ち悪くなり、誰一人彼に近づこうとすらしなくなったことが起こったのである。
まず異変に気が付いたのはウサギの世話に一番熱心だった山下という男である。
ある日いるはずの三匹のウサギのうち一匹がいなくなっていると山下が騒ぎ出したのだ。元々のきっかけは彼の日課の中に一日三回はウサギの様子を見に来ていたことだが、そのうちの夕食後見に来ていなくなっていることに気が付いたのだ。
最初は当たりを一人で探してみたが見つからない。もし近くで遊んでいるだけならすぐ見つかると思い、いたずらに騒ぎ立てるのは得策ではないと考えたからである。
しかし心当たりを探すが一向に見つからず、結局他の者に応援を頼むことにした。
皆総出で探すことになったが、その中に水谷はいない。言い訳にもならない言い訳をして、結局捜索の輪には加わらなかった。
大捜索というほど大袈裟なものではないが、さすがに人数が多いだけで、それだけで大捜索ということになる。
しかしそれでも見つからない。諦めてとりあえず捜索を打ち切ろうと言い出したその時である。庭に作られた池に何かが浮いているのを一人が発見した。
もう陽が沈んでしまって庭は照明で照らされていた。療養所ということで危険のないように公園などよりも照明は明るく作られているので夜でもはっきりと見える。もちろんそれは池のまわりでも同じことで、いや池だからこそ余計に明るく、発見できたのも夜の明かりのおかげと言っても過言ではない。
池の上では照明が楕円を描いて写っているはずである。しかし数本の線が水上に平行に動いているためその形は歪で、そう波のようになっているのだ。風もないのにおかしいと思い、よく見ると白いものが池を流れている。さっそく皆で引き上げた。
女性職員の悲鳴が静かな空間を切り裂いた。白い物体の一部から赤いものが流れ出しているのが見える。白いその物体こそ捜し求めていた行方不明のウサギであり、その赤いものとは真っ赤な鮮血である。可哀相に無残にも誰かの手によって、鋭利な刃物で腹を抉られていたのだ。
赤く染まったその体を皆が気持ち悪そうに見守る中、ちょうどその騒ぎを聞きつけ後からやって来た水谷の表情は対照的に涼しげだ。こんな時にポーカーフェイスなのは異常なくらい気持ち悪い。
それがゆえにただでさえあまり人との交流がない水谷は他の人から見て一層「灰色」が濃くなった。その時の表情が皆の心に焼きつき、どうかするとその表情を思い出すようになっていた。
疑いの目が水谷に向けられる中、彼の心境はどうだったのだろう? 元々あまり人と付き合うことのうまくない人がとる行動としては、意固地に自分の殻に閉じこもり、さらに他人とのカベを厚くし、ドロ沼状態に入り込むパターンが考えられる。
事はいくら相手が動物とは言え、自分たちが可愛がっていた大切なペットが殺されたのである。その容疑の一番深い相手とそうそう平常心で話せるはずもなく、もし水谷が歩み寄ろうとしてもまわりの環境が許さないだろう。
実際それからの水谷を見る皆の目は異常だった。憎悪にも似たその視線の先が水谷である。山下もなるべくなら人を疑いたくないと思いながらも、自分で気付いていないだけで、
他人から見ると完全に憎悪の視線になっている。
それから間もなくである。水谷のウンチクがさらに激しくなったのは……。
医者もびっくりしていた。ほとんど気弱で他人とうまくコミュニケーションが取り難いタイプだと親から聞いていた。記憶を失ってそれがさらにエスカレートし、いよいよ人と話さなくなったところへあんな事件が起きた。当然疑われていることは分かっているはずだし、余計に今の病状が悪化し、記憶を取り戻す機会がなくなるだろうと危惧していたが、
まさかウンチクという形で喋り始めるなど考えもつかないことだった。
そのウンチクにしても突飛な話が多い。普通一般の雑学的なウンチクではなく、SFや超常現象のたぐいであり、この間の「前世」の話などがいい例だ。
医者が聞いてみた。
「どうしてそんなに話すようになったんだい?」
「分からない」
「君はそういう本が好きだったのかな?」
「最近夢で見るんです。ただそれを話しているだけ。その夢のスケールがデカイんですよ。とても話しきれるものじゃないんですが、自分の中だけに貯えておくのがキツイんです」
「その夢なんですが、どうも連続して見ているような気がするんです。今見た夢を明日も見る……。もちろんその日に見た夢を次の日まで覚えていることなどできないと思うのですが……。夢の中で思うんです、今見ているのは夢だと思うと違う世界が開けて、それがどうやら前日の夢のような気がするんです」
記憶を失ってから、本来脳の中で記憶している場所が空になっていてそこに新しい記憶がいくらでも入ると考えれば、まんざら水谷の話を笑って片付けられない気もする。
しばらくすると誰もが、水谷のウンチクのパターンを分かって来た。SFや超常現象についての話が多いことは前にも述べたが、その中に「前世」に対してのこだわりが普通ではないことに気付く。タイムマシンの話にしても夢の話にしても、そこに前世の話題が付いてくる。
前世の話さえなければただのウンチクで、聞いていてタメになることが多く、それほど気にはならないが、そこに「前世」の話が入ってきて、さらに口を緩めながら凝視されれば、まるで金縛りにあったようになってしまう。最近はもう誰も相手にしなくなったというのも当然だろう。
ウサギ騒ぎも一段落した頃であった。皆の心の中にはそれぞれ傷として残ったかも知れない。しかし表面上誰も話さなくなったのは、いつまでも気にしていても仕方がないという前向きな気持ちの現われだろう。
元々ケガ人や病人というもの、それが長期にわたればわたるほど心細いものである。水谷に対する気持ち悪さは相変わらずであったが、根拠のないことにこだわっていても仕方なく、中には彼のウンチクを聞いてみようという者も現れた。
水谷は上機嫌である。最近では熱心に本も読むようになり、さらにウンチクに磨きをかけようとしているようだ。
作品名:短編集1(過去作品) 作家名:森本晃次