短編集1(過去作品)
たえず私のリードだった。男の人が、私のリードに我慢できず、たまらず反応してしまう。こんな快感は今までにはなかったことだ。ムードというよりもオスとメスが本能のままに蠢く官能の世界、まさにそのままだ。
すべてが終わり、脱力感が体を襲う。甘いムードに包まれたこの間に比べれば数倍疲れ果てていた。すでに男は疲れてか寝息を立てていたが、私にはなぜか睡魔は襲って来ず、じっと目の前の天井を見詰めるだけだった。
私の中にこれほどの積極性があろうとは夢にも思わなかった。私のリードで反応する男、それを見て昂ぶる私の体……。すべてが初体験だが、昂ぶっていたわりにはすべてが終わった後、物足りなさを感じた。別に罪悪感でも羞恥心というものでもない。想像していたクライマックスに対して何かが物足りないのだ。
私にはそれが何なのか、どこから来るのか分からない。体には確かに脱力感とともに心地良い余韻が残っている。その余韻を味わいながら、気持ち良い眠りに就きたいのだが、頭がどうしても睡眠モードに入ってくれない。
今さら横で寝ている男が誰であっても関係ない。もちろん後悔があるわけではないが、なぜこの間とこれだけ違うのか考えようとも思わない。
迫ってくる天井を見つめていたが、頭が真っ白になっていく中で、思考回路が次第に麻痺しているのだ。
これ以上何かを考えようとすると頭の中に靄が掛かったように不透明になり、先に進まない。
そこまで来た時、急に睡魔に襲われた私は、そのまま一気に眠り込んでしまった。
もう当分行くこともないだろうと心に決めているはずだった。
なぜもう一度足が向いたのか自分でもはっきりしない中、鈴の重々しい音が鳴り響き、私は薄暗い店内に入っていた。
「いらっしゃい」
ママがいつもの通り挨拶してくれるが、それさえも棘があるように聞こえた。今からでは想像もつかない昨夜の行動がママの目にどう映ったかを考えれば、それも仕方のないことだ。
私は一言も喋らず席に着くと、ママが用意してくれた水割りに少しずつ口を付けた。
今日も他に客はいない。やはり夜十時を過ぎないと賑やかにならないというのは本当らしい。一日中この状態で店を開けておくはずはない。
いつ近づいて来たのだろう? 気配もなくゆっくり近寄り私の肩を叩く者がいた。驚いて振り向くとそこにはかすみが立っている。ニコニコと微笑んでいるが、その表情が少し淫乱に見えたのは、昨夜の自分の行動からであろうか?
「久しぶりね」
そういって横に座ったかすみが私の手を握った。口元がいやらしく歪み、先ほどの表情が真剣みを帯びてくる。しかしその表情の何と美しいことか。私は自分の胸が高鳴っていくのを感じた。
さらに握られた手の平から伝わってくる温もりとが重なり合い、またしても昨夜の淫乱な私が顔を出す。
気が付けば私は裸でベッドの上にいた。もちろん昨夜とは状況も違えば相手も違う。まして今日は女同士ではないか。
しかし今日の私には安心感がある。今まで二度彼とベッドをともにしても得られなかったものだ。
母親の体内で健やかに育つ子供というのはこんなものではないだろうか。特に相手が女性ということで男性にはないふくよかで滑らかな肌触り、じっとしているだけで体がとろけそうだ。
かすみは黙って寝ていた。私を責めようとはせず、決して体を動かさないかすみに対し、その時昨夜の私が顔を出した。積極的な自分である。
布団に滑り込ませるようにして腰に手を伸ばした私は、その腕でかすみの温かさを知るに至った。腕に力が入る。一瞬、ううんという呻き声が聞こえた気がしたが気のせいのようだ。
女には女にしか分からないツボがあるようだ。私は執拗にかすみを責めた。そうしているうちにまるで自分が責められているような錯覚を覚え、さらに責め立てる。元々自分に似た絵のイメージを持った女である。そんな錯覚があって不思議ではない。
(ひょっとして私の願望はこれだったのではないだろうか)
そういえばかすみが本の話をした時に面白いことを言っていた。
「結局、女を殺す為に男装していたことをこともあろうに由紀に見抜かれたと感じ、自殺したんですね」
「そうね、でも私はもっと深く読んだのよ」
「というと?」
「はづきと殺された女はレズビアンだったと思うのよ。もちろんはづきが男役、だから男装に違和感がなかったのかも知れないけどね」
こんな時に、いや今だからこそ思い出したのだ。確かにかすみは主人公がレズではないかと言っていた。そして私がそのことを思い出す時が来るとも……。
私は少しずつ体がとろけるような感覚を覚えた。意識がもうろうとし始め、夢見心地に陥る中、今度はかすみに責められていた。まるで先ほど私がしていたと同じような動作なので責めていた時の快感同様、私に波が襲う。
しかし体全体でその快感を味わうことはできなかった。押し寄せる快感に体が反射的に反応するのだろうが、その時の私は体を動かすことが許されなかった。動かしているつもりだったが、それは無駄な抵抗であり、まるで金縛り状態の中、その快感を受け止めるしかなかった。
幸いにもそれはあまり苦痛ではない。次第に薄れていく意識の中、押し寄せる快感を夢見心地の状態が受け止めてくれる。波のように途切れ途切れに押し寄せる快感で、次第に意識が薄れていく。快感が頂点に達する時、私はそのまま深い眠りに落ちていくことだろう。
夢の中で深く立ち込めた霧が、次第に晴れていく。しかしそれが夢であったのか、これからが夢なのか、私にはとても分かりそうにもない。
気が付けば私は私から見つめられている。その私に少し含み笑いのようなものを感じたのは、それからしばらくしてからだった。じっと自分に見つめられ、何が起こっているのか分からないまま、不思議な時間が過ぎていく。
体を動かそうとすると金縛りのため動かない。だがしばらくして、信じられないこの事実に私の思考が到達した時、まがりなりにも自分の立場が分かってきた。
そこは例の美術館である。私は絵の中にいる。目の前でじっと見詰めているのは一時自分だと思ったが、自分が絵の中にいると分かった瞬間、目の前の私がかすみの顔になっていく。
私が絵の世界にいるのであれば、今まで私が見ていた絵の女がかすみだったという考え方も出てくる。そういえばあの絵には不思議なことが多すぎた。
絵というのはどうやらその中にも大きな世界があるようだ。私たちは額に入ったキャンバスという小さな世界しか見ることはできないが、その枠の外に無限の世界が続いているのかも知れない。それが隣に懸けられた絵だったり、まったく知らない絵だったりする。
三次元から見て二次元にしか見えない絵の世界にも、実は我々三次元の世界の住人には想像もつかないような世界が、そこには広がっているのだ……。
靄が掛かったその世界を誰かが歩いてくる。ゆっくりとしかし確実に私を目指してやってくる。私はその顔を見た時、紳士に見つめられた淑女になっていた。
その時、表の世界ではこんな会話が繰り広げられていた。
「この絵がお気に入りですか?」
「ええっ」
「始めまして、私はこういうものです」
作品名:短編集1(過去作品) 作家名:森本晃次