短編集1(過去作品)
落下の時のあの鈍く、何かが砕けるような音は体中の骨だったのだろう。木材や金属が落下する音とはまったく違っていた。
「吉本君が、待ち合わせに指定する場所をあそこにするとはまさか思わなかったわ」
「君なら絶対来ると思ってね。でもまさか最初に見た屈託のない笑顔には戸惑ったけどね」
その時私は微笑んだ。いや、そのつもりだった。この笑顔こそ引きつったものだろう。
「けど、あなたもああやって平気で結婚の話ができたものね」
「本気なんだけど……。君と僕は一蓮托生だよ」
「そうね」
裕美子が私を呼び出したあの場所、あそここそ裕美子が覚悟を決め宮崎に会いに行った待ち合わせ場所だったのだ。裕美子なら来ると思っていた。もちろん私が何もかも知っていることを承知で……。
裕美子はどういう行動をとるのだろう。裕美子が先導して入ったこのビル、裕美子は私が何の疑いもなく入ったと思っているのだろうか?
確かに私が指定した待ち合わせ場所は、かつて宮崎によって呼び出された場所、それを踏まえすべてを知っている私をこの場所に先導するのだ。今まで裕美子が何も考えていないはずがない。
「君は僕を殺そうというのか?」
「分からない。でも少なくともあなたに生きていられては私困るの」
「そうやってどんどん人を殺して行くんだね」
私のこの穏やかな喋り方の一言一言が彼女に深く突き刺さっているのか、頬の緊張が手に取るように分かり、次第に呼吸が荒くなってくる。
「でもこれで最後にしたいの」
そう言った彼女の手に握られたナイフが鋭く光った。彼女はその震えたてでナイフを私に翳し少しずつ近づいてくる。私は後ろへ下がるしかなく、次第に手摺りへと追い詰められて行く。後ろを気にしながら摺り足で後退りするが、気がつくとそこは手摺りのない場所だった。彼女は私を追い詰めるだけで、決して手を出そうとはしない。
「僕も夢を見るんだよ」
「えっ」
進もうとした足が一瞬止まった。
「君は今まで殺すことを夢で前もって見ると言っていたが、本当に最後まで見たことがあるのかい?」
「……」
「ないだろうね」
次の瞬間、彼女はまた早足で進んできた。もうそこに躊躇はない。その後には大きな水しぶきとともに階下で床に叩き付けられるような鈍い音が聞こえていることだろう。
今の私に後悔はない。完全に裕美子と宮崎の呪縛から逃れることができた私は、それだけで良かったのだ。
私は今、これを獄中で考えている。裕美子は自殺として片付けられた。私に対する容疑は宮崎殺害である。宮崎の部屋から私宛の脅迫内容の書かれたメモが発見されたのだ。
私と裕美子は一蓮托生。裕美子が追いつめられれる時は、私も追いつめられる時。私は今まで見て来た夢を思い出した。
裕美子の姿を目で追っている。音のする方に近づいた私は、それが何であるか分からないが、とにかくその気持ち悪いものを触ってみる。横穴を吹き抜けるこもったようなうめき声が当たりに響いたかと思うと、その物体がかすかに動いた。動くこともできずオロオロと当たりを見渡すとおあつらい向きにあった未処理の瓦礫を手に取り、気が付けば力一杯振り下ろしていた。
「うっ」といううめき声のあと二度と動くことのないその物体から水しぶきのようなものが飛んでくる。当たりは真っ暗で何も見えないが、その瞬間だけそれが赤いものに見えた。
鮮やかな赤、夢に写った色である。
それは現実に起こる夢であり、起こってしまった現実でもはっきりと赤い色が分かったような気がした。そう、夢と現実がリンクした瞬間である。
その瞬間を宮崎は見ていたのだ。そしてそれを見ることにより十年後に私を脅迫し、まったく同じシチュエーションで今度は自分が死ぬ羽目になろうとは何とも皮肉なことである。
しかし十年前のあの男も宮崎も、二人とも自分を殺したのは裕美子だと信じてあの世へ行った。だから今となっては事実を知る者は私だけになってしまった。
そして死んで行った裕美子にしても、最後まで私を殺したつもりになって死んで行ったに違いない……。
( 完 )
作品名:短編集1(過去作品) 作家名:森本晃次