短編集1(過去作品)
一蓮托生
一蓮托生
「いらっしゃいませ」
いつも寄っている喫茶店であったが、今日は普段と違ったかんじがする。いつもより人が少ないのは気のせいかと思いながら、指定席と自分で勝手に決めている窓際の席に腰を下ろすと、窓から見えるロータリーを眺めていた。
電車がちょうど到着したのか、駅コンコースから人が雪崩を打ったように押し出されてくる。帰宅を急ぐサラリーマンが、ロータリーに止まっているバスへと次々に乗り込んで行くのが見える。
待ち人がいるとそんな光景も退屈しのぎにはもってこいで、雑誌や本などを読んでいるよりも時間がたつのを早く感じるのは私くらいであろうか。
待ち人、そう相手が女であれば目の前で繰り広げられる光景の中で、必ずいつかその人が現れるというスリルに近い楽しみがあるというものだ。到着した電車から次々に人がなだれ込んでいるのを見ると、時間の感覚も麻痺してしまうのである。
しかしそれはいつものこと。今日は長く感じる。早く来ないかという思いがいつもより強く、スリルはあるが楽しみはない。一大決心のもと待たされるというのは、まるで「針のむしろ」状態だ。
緊張感というもの、そう長く続くものではなく、ホッと気を抜いて落ち着いてみるのだが、すぐに現実に引き戻され、またしても肩に力が入ってしまう。今日はずっとその繰り返しで、一日中集中力に欠いていた。
これだけたくさんの人の中からすぐに彼女を見つけられるのは、やはり彼女とは運命的なものがあるのだろう。こちらを見ながら歩いてくる彼女と目が合い、いつものように笑顔で手を振っている。
彼女がビルの陰に隠れると、喫茶店の入口へ目を向けた。そこに現れた彼女はお気に入りの赤いコートを身にまとい、派手ではあるが、贔屓目で見ているせいかお似合いだ。
「ごめんなさい。待った?」
テレ笑いを浮かべてはいるが、悪びれた素振りのない彼女のそんな開けっぴろげな性格に苦笑いを浮かべるだけである。
席に着くと今日の私の決心を知ってか知らずか、私の顔を覗きこむように微笑んでいる。彼女と対峙している自分の顔が真剣な表情をしている証拠であろう。
やってきたウエイトレスにコーヒーを頼んでから、しばらく二人の間に会話はなかった。一旦きっかけを逃すと最初の一言に時間が掛かるが、彼女は私から出てくる言葉を待っているのだ。
「今日呼び出したのはそろそろかと思ってね」
「何が?」
「決まっているじゃないか。結婚だよ」
彼女には分かっていたはずだ。別に驚いてもいない。かといって喜んでいるようにも思えない。何故なら以前から彼女は言葉の端々で結婚に縛られるのが嫌だということを暗にほのめかしていたからで、それは自分のことではなく、友人などまわりの人の話を引き合いに出して匂わせるというやり方だ。
彼女は答えようとせず、じっと私を見詰めた。彼女の場合、肯定も否定もしない時は否定しているのだ。急いで言葉を取り繕って何とか否定しようとしないクールなところも彼女の性格の一つである。しかし裏を返せば相手の出方を伺うという強かなところもあり、駆け引きを使った打算的なところが人によって受け入れられなかったりするようである。
煙草に火をつけた私は一息吸って灰皿に置くと口を開いた。
「君には、その気はないのかな?」
ずっと下を向いている彼女に責められているという感覚が果たしてあるのだろうか? どちらかというと、じっとこらえているように見える。彼女の性格は自分で分かっているつもりだ。
反発される前に言いたい事を言っておきたかった私は言葉を続けた。
「僕は君との再会に運命的なものを感じるんだ。小学校の頃好きだった君のイメージをそのまま心の奥にずっと持っていた僕にとって君との再会がどんなものだったか、君に分かるかい?」
「君は僕たちの、いや僕の前から突然いなくなった。小学生だった僕には何が何だがさっぱり分からなかったけどね」
彼女のことについて親たち大人がいろいろ噂しているのは知っていた。ひそひそ噂するくらいだからろくな事ではないことは分かっていたが、子供心にもそんなことをいちいち知りたいとは思わない。
そう再会したあの日から、振り払うつもりだった過去の呪縛から、今度は永遠に逃れる事になろうとは、その時は微塵も感じなかった……。
一流会社の営業をやっているせいか出張が多く、しかも海外へ行くこともしばしばである。一度海外へ出ると一、二ヶ月行ったっきりというのも珍しくなく、その日はアトランタからの帰りで二ヶ月ぶりの日本の土だった。
時差ボケというものは頻繁に海外へ出て行く者にとってもどうしようもなく、帰国したその日はそのまま帰宅が許されていた。昼過ぎに空港についた私は機内で感じなかった空腹感をターミナルに降り立ったとたん感じてしまい、国際線のターミナルにあるいくつかのレストランを見て回った。
確かに見慣れた光景ではあるが、その時々の腹の減り具合によってみるサンプルボードはいつも違うイメージを与えてくれる。日本食にしたい時もあればボリュームのある中華料理にしたい時もある。その日はあっさりとした日本食の気分で、日本食レストランのサンプルボードを見に行った。
昼過ぎと言ってもほとんど午後三時に近いこともあってか、レストラン街を歩く人も中で食事をとる人もまばらであった。落ち着けると思った私は、サンプルボードをゆっくり眺めることにした。普段はインスピレーションで選ぶが、じっくりと選ぶのも悪くない。
サンプルボードに集中し見ていると、仄かな甘い香りが鼻をくすぐるのを感じた。私が覗き込むようにしているのと同じように、隣で一人の女性がサンプルボードを覗き込んでいた。あまりジロジロ見ては失礼とチラっと見る程度だったが、却って目立つようで、それを感じた彼女もこちらをチラチラと意識している。
私が思い切って彼女の顔を見ると、まるで待っていたかのようで正面を向き合う恰好になってしまった。彼女の顔には笑みが浮かぶ。
私はハッと思った。その顔に見覚えがあったからだ。いや見覚えといっても面影が残っているだけなので、ひょっとして違う人かも知れない。
「吉本君でしょう?」
彼女は私の名を言い当てる。やはり私の思っていた人なのだ。
「後藤裕美子さん?」
「ええっ」
私が覚えていたのがよほど嬉しかったのか、声に弾みがある。どこかでOLをしているのだろうか? 女性用のビジネススーツにあまり派手ではないが白い肌に映える赤い口紅が印象的だ。私がジロジロと見つめていると、
「なかなか似合うでしょう?」
「見違えちゃうよ」
と言っても、私が彼女を知っているのは小学校の頃の面影である。他の女の子よりも体格が大きかったせいもあってか、大人びて見え、頼もしくもあった。しかし今目の前に現れた彼女を見る限り、今の女性としては決して大きくもなく、派手でもない。昔から切れ長の目に高い鼻が印象的だったが、今も同様、彼女の顔の特徴はそこから生まれてくるものである。
「あなたも立派なビジネスマンね」
作品名:短編集1(過去作品) 作家名:森本晃次