④残念王子と闇のマル
その時、遠くで扉が開く音がする。
(あ。)
無意識に寝室の扉に目をやった瞬間、扉が勢いよく開いた。
「ただいま、マル!」
元気いっぱいに登場したカレンは、暗い寝室の中でも太陽のように輝いて見える。
「あっ。」
楓月兄上と目が合ったカレンは、照れたように笑った。
「カヅキ様…失礼しました…。」
そんなカレンを、兄上が悪戯っぽく見上げる。
「おかえり~、カレン。おまえがいなくて麻流が泣いてたぞ~。」
「ぁにうえっ!」
掠れた声で抗議したけれど、カレンはその瞳をパッと輝かせ、暗闇の中でも頬が紅潮しているのがわかる笑顔を浮かべた。
思わず顔をそむけた私のそばにカレンは歩み寄ると、ベッドへ腰かけて私の顔を覗きこむ。
「ごめんね、マル。ただいま♡」
そしてチュッと音をたてて、頬へ口づけた。
(!)
「あらあらあらあら。」
頬への甘い刺激に肩を跳ねさせた瞬間、楓月兄上がからかってくる。
「ところかまわずイチャつくのは、父上に似てんなぁ。子どもがめちゃできそうだけど、挙式まではちゃんと避妊しとけよ~。」
(!!)
からかいながら灯りをつけた楓月兄上は、私たち二人の顔を見て首を傾げた。
「なんだ?その微妙な顔。」
(…。)
私はカレンからも兄上からも視線を逸らして、俯く。
(そうなんだよね…際どいところまでいくこともあるけど…なぜかそこまで至らないんだよね…。やっぱり私が…)
悪い方へ考えが向かった瞬間、そっと頭を撫でられ、耳元で優しい澄んだ声がした。
「カヅキ様…。僕達、まだそういう関係までは至ってないので、ご心配には及びません。」
カレンの言葉に、兄上が丸い碧眼を更に丸くした。
「マジで!?だって、『カレン』でしょ!?」
カレンは苦笑を浮かべながら真っ直ぐに、兄上を見つめ頷く。
「…マジか…。」
兄上は、脱力したように椅子に腰をおろした。
「それは…なんだ?好きだけど、そそられないとか?色気が足りないってことか?それとも、こいつが『花の都の王女だから』か?」
最後の一言に鋭さをにじませながら、兄上は初めて真顔でカレンと視線を交わす。
それは、暗に『忍だからか』と訊ねていた。
(忍でない兄上は、忍が体も使うことは…知らないはず…。)
その真意を私が図りかねていると、カレンは柔らかな笑顔を浮かべ首を左右にふった。
「それは、関係ないんです。」
兄上は、真剣な表情でカレンを見つめる。
そんな兄上から目を逸らすことなく、カレンは柔らかな微笑みで私を撫でながら兄上を見た。
「なんていうか…大事すぎて…。正直、何回もそういうことはあったんですけど…いざってなると『勢いで抱いたらいけない』とか『もっとちゃんとした状況で』とか考えちゃって…。」
照れ笑いを浮かべるカレンを、楓月兄上が真顔でジッと見つめる。
その目付きは、今までの飄々とした軽いものはなく、カレンの腹の底まで見抜こうとしているように鋭かった。
カレンはそんな兄上に笑みを返すと、私を斜めに見つめる。
「大事なんだよ、おまえが。」
普段とは違う口調に、心臓がとびはねた。
『娼婦の過去は関係ない』
そう言われた気がして、私はその胸に顔を埋める。
3つ年下のカレンは、時にかわいく、時にこうやって包み込む包容力を見せて、私はそのたびに翻弄されてしまう。
「マル、熱いな。」
カレンは私の頬と首筋に手を滑らせると、そのまま私をベッドへ横たえた。
「オートミールを用意したから、ちょっと待ってて。」
言いながらベッドから立ち上がり、カレンは兄上に軽く頭を下げながら部屋を出ていく。
兄上はそんなカレンを目で追いかけ、部屋から出ていった後も閉まった扉を暫く見つめていた。
「兄上?」
私が声を掛けると、兄上は私をふり返る。
「…ま、いったん退散するかな。」
そう言うと、天井を見上げ指を鳴らした。
すると、天井から縄梯子が降りてくる。
「ゆっくり休めよ、麻流。」
兄上は笑顔で私の頭をひと撫ですると、縄梯子を登っていった。
「カレンによろしくな~。」
その声は天井に消え、辺りは一気に静かになる。
そこへカレンが入ってきた。
「マル、お待たせ~。」
カレンはベッドサイドのミニテーブルにオートミールを置くと、辺りを見回す。
「…帰られた?」
私が小さく頷くと、カレンは少し考える素振りをした後、ふわりと微笑んだ。
「そっか。」
その後、カレンは甲斐甲斐しく私の世話をしてくれ、私はゆっくりと休むことができた。
作品名:④残念王子と闇のマル 作家名:しずか