④残念王子と闇のマル
溢れる愛と想い
カレンは、虹の国へ手紙を書く。
「では。」
理巧はその手紙を受け取ると、先程父上が出て行ったばかりのバルコニーの手摺に跳び乗った。
「リク。」
カレンに呼ばれて、理巧がななめにふり返る。
「気を付けて!」
私を抱いてカレンが声をかけると、理巧は父上と同じように切れ長の黒水晶の瞳を大きく見開いた。
「…。」
少しの間、カレンを見つめた後、切な気に揺れながらその瞳が三日月の形になる。
「…はい。」
返事が聞こえた時には、もう理巧の姿はなかった。
「…僕、変なこと言った?」
戸惑った表情で、カレンが私を見る。
私はゆるく左右に首をふると、切ない気持ちになりながら答えた。
「忍ゆえのことです。」
「忍ゆえ?」
カレンは私をソファーへ降ろして、隣に腰かける。
「私達忍は、いつ命を落とすかわからないので、任務へ赴くとき『いってきます』も『いってらっしゃい』も言いません。」
私の言葉に、カレンが目を見開いた。
「だから『気を付けて』も言われないんです。」
するとカレンは小さく頷く。
「だから、いつもマルもソラ様もリクも、言葉を言いながら姿を消すんだ。」
切ない表情になるカレンに、私は明るく微笑んだ。
「でも、唯一『いってらっしゃい、気を付けて。』を毎回必ず、無理矢理捕まえてでも言う人がいるんです。」
再び丸くなったカレンのエメラルドグリーンの瞳を見つめながら、私はその様子を思い出して声を出して笑う。
「母上です。」
カレンが小さく息を吸い込んだ。
そう。
母上はいつも私たちが消える前に素早く腕を掴んで、意思の強そうな碧眼に更に力を籠めて笑顔で『いってらっしゃい、気をつけて』と言う。
まるで『帰って来ないと、あの世まで追いかけて叱るぞ』と脅されているような迫力で…。
「だから、きっと理巧はさっき、母上を思い出したんでしょう。」
私とカレンは同時にバルコニーに視線を向ける。
「あんなふうにしてるけど、理巧だってまだ16歳ですから。忍の任務で暫く国へ帰ってないでしょうから、少し恋しくなったんじゃないでしょうか。」
カレンは私の頭に頬を寄せると、優しく頭を撫でた。
「マルも、帰ってないでしょ?専属になってからは、僕の傍を離れたのを見たことないし、爺やが亡くなってからは特に…。」
(カレンは本当に優しい…。)
その気持ちだけで、充分だった。
私は隣のカレンの肩へ、頭を寄せる。
「私はカレンの傍にいれたら、もう何もいらないんです。」
言うと、カレンは私の顔を覗き込んで私と視線を交わした後、唇を重ねた。
口づけはすぐに深まってお互いを求める音と甘い吐息が、静かな部屋に響く。
「肩、痛くない?」
口づけをしながら、カレンが気遣ってくれた。
「はい、麻酔がまだ効いているので。」
私が答えると、カレンは「そっか」と小さく呟きながら、私をゆるく抱きしめる。
「マル…今回のこと、ほんとにごめんね。」
カレンの顔を腕の中から見上げると、その瞳は後悔の色で、暗くくすんでいた。
「視察の旅に出て以来、マルに酷いことばかり起こってる…。」
カレンはその大きな身を屈めて、私の胸に顔を埋める。
「カレン。」
呼び掛けても、カレンは顔を上げない。
私はその背中を、あやすようにそっと撫でた。
「申し訳ないけど…この数日で起きたことは、私にとってはごくごく普通のことです。」
カレンがピクッと体を小さく震わせて、身を起こす。
「私の体を見ておわかりだと思いますが…身体中、傷だらけです。上手に縫合されてるので目立っていませんが。」
カレンは唇を噛みしめて、私をジッと見る。
「それは、僕のいない…いわゆる『忍の任務』の時のものでしょ?」
そう言うエメラルドグリーンの瞳は、うっすらと涙で濡れていた。
「僕と一緒にいて、お互いに守り合うって偉そうに言って鎖帷子まで脱がせたのに…結局、僕はマルを守れてないし、むしろ守られてばかりじゃん。」
言いながら、そっと肩に口づけをする。
「…鎖帷子着てたら、この傷ももっと軽かったんじゃないかな…。」
私はカレンの頭を抱きしめると、小さく笑った。
「気にしすぎです。鎖帷子を着ていなかったのは、私の意思ですし。」
笑いながらカレンの頭をわしわしとかき混ぜる。
「お互いを守り合うんだったら、私とカレンはもう『二人で一人』でしょ?」
カレンがハッとした表情で私を見上げた。
「カレンの体が傷つくのも、私の体が傷つくのも、同じです。だから、謝るなら私のほうこそですよ。…私はカレンと生きていくなら、何があっても…もう死のうとしません。生き延びてみせます。」
ぼさぼさにしてしまった頭を整えるように、私は何度もその頭を撫でる。
「とはいえ…あの獣に襲われた時、カレンがもう少し遅かったら、確実に私は死んでいました。」
カレンの頬を両手で包み込み、私はエメラルドグリーンの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「怪我を負ったのは父上が言っていた通り私の落ち度ですし、怪我で済んだのはカレンのおかげです。」
私が微笑むと、カレンの口がへの字に引き結ばれる。
「今日もまた、カレンのおかげでこうして傍にいることができて…本当に感謝しています。」
カレンの両瞳から涙がこぼれ、彼の頬に添えた私の掌の中に吸い込まれた。
「カレンの傍にさえいれるなら、何が起きても私は幸せです。」
私は身を伸ばして、彼の唇に軽く口づける。
カレンは片手で私の後頭部を掴むと、再び口づけを深めた。その時。
コンコン。
ノックの後、扉の外から声が掛かる。
『おとぎの国の王子様。』
カレンはすぐに身を起こして扉へ向かおうとしたけれど、私はそれを制した。
「私が出ます。」
『王子』という身分に自覚を持つようになってきたカレンは、ぐっと唇をかみしめながら、腰をおろす。
私はそんなカレンの頭をひと撫でして、扉へ歩いていった。
『視察のお時間ですが…。』
扉を開けると、女官が目を泳がせる。
『すぐに支度をして参ります。』
返事をすると、私と視線を交わすことなく、女官は深々と頭を下げて逃げるように去って行った。
昨日の今日なので、やはりぎこちない雰囲気が漂っている。
再び扉を閉めてリビングへ戻ると、カレンが靴を履いて、マントを自分でつけていた。
私は慌ててアクセサリーの箱を鞄から取り出す。
けれどカレンがその手をそっと握ってきた。
「冠だけ、つけて。あとは自分でできるから。」
言いながら屈んでくれたカレンの頭に、冠を真っ直ぐつける。
「私もすぐに用意します。」
「マルはここに居な。」
カレンは鋭い口調で、屈んだまま私を見つめた。
「でも、護衛が…。」
「香りの都の大臣達も一緒なんだから、大丈夫。マルの護衛も、リクにお願いしたし。たぶん、忍がその辺りにいるんじゃない?」
(いつの間に…。確かにさっきから、気配がつきまとっていて、それでカレンの傍を離れるのが怖かった。)
カレンを不安そうに見上げると、エメラルドグリーンの瞳がいつになく厳しい光を帯びている。
「…それでも、離れるのは嫌です…。」
作品名:④残念王子と闇のマル 作家名:しずか