墓前に佇む・・・
高校を卒業した時、それまでに感じたことのない寂しさを感じた。短大は高校の延長のようなところなので、卒業しても、クラスメイトのほとんどはもう一度短大で出会うのだ。それなのに、なぜそんなに寂しい思いをしなければいけないのか、今でも敦美には不思議に思っている一つだった。
敦美が変わっていると言われたゆえんは、高校の卒業式で、号泣したからだった。どうして泣いてしまったのか、自分でも分からない。人から聞かれても、
「自分でも分からないのよ」
と、正直に答えただけなのに、
「照れ臭さで答えているだけだわ」
という風に取られてしまって、それが変わっているというイメージに繋がってしまったのだ。
そんな敦美は短大を卒業してから、しばらく家事手伝いをしながら、いわゆる花嫁修業を続けていた。
松倉家は、子供は敦美だけなので、養子をもらうしかなかった。養子をもらうには、それなりに家事などもできていないといけないということで、祖母の厳しい教えもあってか、結婚までには、時間もかからなかったし、障害らしいものもなかった。
二十三歳で結婚した敦美はすぐに子供を授かった。その子は女の子で、名前を松倉由梨と言った。
これが今までの敦美の経歴であるが、自分を変えようとすればいつでもできたのかも知れないと最近になって思うようになってきた。
――でも、私の性格では、今の生活以上のことを望むことなんてできないわ――
という思いと、自分がこの街に骨を埋めるというのは、ごく自然な成り行きで、そこには何か自分ではどうすることもできない何かの力が働いているという意識を常に持っていた。
敦美は毎日の買い物は自分で商店街まで出かけていくこともあったが、御用聞きにきてもらうこともあった。都会ではなかなかそこまではしてくれないだろうが、田舎町であれば、昔からの贔屓の客に御用聞きに行くという習慣は、まだまだ残っていたりする。
その日は、自分で出かけていき、八百屋と魚屋に立ち寄った。
最初に立ち寄った八百屋では何も言われなかったが。その後に立ち寄った魚屋で、話しかけられた。魚屋では、中学時代の友達が稼業を継いでいるということで、時々話しかけてくれていた。
「そういえば、由梨ちゃんは元気なの?」
「ええ、あの子もそろそろ中学に上がるので、それなりにしっかりしてもらわないといけないと思っているところよ」
娘の由梨は、小学六年生、十二歳になっていた。来年は中学に上がる。敦美自身も感じたことだが、小学校を卒業するということよりも、中学に入学して制服を着るということが一番自分の意識の中で強い出来事だった。
高校時代の卒業式では号泣したくせに、小学校の卒業に関しては、何ら感情は湧いてこなかった。
卒業するということがどういうことなのか分からなかったし、まわりが必要以上に卒業を意識させようとしているという作為的な意識を感じ、どこか冷めたところがあったほどだった。
「ところでね、敦美。この間ちょっと小耳に挟んだんだけど、小高い丘の上に墓地があるでしょう?」
思わず敦美はドキッとしてしまった。その墓地には自分に関係のある人が眠っている。そのことは松倉家の人たちしか知らないので、何も知らずに自分に話しかけてくれているのだろうが、何が言いたいのだろう?
「え、ええ」
オドオドとして曖昧な回答をしたが、そのことに彼女は意識することもなく、
「そこにね。由梨ちゃんに似ている女の子が毎朝、現れるらしいのよね。まだ小学生の女の子が、早朝から一人で墓参りするなんて変でしょう?」
「ええ、そうよね。それって何時頃の話なの?」
「六時過ぎくらいらしいわよ」
「それなら、由梨はまだ布団の中だわ。いつも起こさないと起きてこないくらい熟睡するのがあの子なのよ。六時頃なら私も起きているから、出かけたり帰ってきたりすれば分かるはず。そんな気配は感じたことがないので、それは由梨じゃないわね」
「じゃあ、他人の空似ということかしらね?」
「そうね」
と言った後、敦美には背筋が寒くなる思いがあった。
――確かに小高い丘の上には自分の知っている人の墓がある。そこに早朝、由梨に似た女の子が墓参りに来ている? 信じられないわ――
敦美には、想像してはいけない思いが頭を巡っていた。それは恐ろしさから、
――まるで夢を見ているようだわ――
と感じさせるものだった。
このことは松倉家だけしか知らないことだ。魚屋の彼女が知っているはずのないことなので、由梨を見たという話にどこまで信憑性があるのか、それが一番気になるところだった。
もし、彼女が松倉家の事情を知っているとしたら、軽率に敦美にその話をするはずはない。敦美も平然と答えていたが、よくも、ここまで冷静に答えられたものだと、自分で感心するほどだった。
「敦美は、いつも冷静に答えているけど、どこまで本当のことなのか、分からないことがあったわ」
彼女が何を今さら自分の気持ちを話してくれたのか、敦美には分かっていた。卒業するまではずっと一緒だったので見えてこなかったことが、一定の距離を持つことで見えてくることもあるのだということを、彼女は言いたいのではないだろうか。そう思うと、今まで自分のまわりにいた人が、結構気を遣ってくれていたのだということを思い知らされた気がしてきたのだ。
ただ、誰にでも人に言えない秘密のようなものを持っているという意識があったことで、人に関わるにも一定の距離が必要だという思いを持っていたのは自分だけではないと思っていた。もし、自分の気持ちを後になってからでも打ち明けていれば、
「何を水臭いことを言っているのよ。話してくれてありがとう」
と、言ってくれたかも知れない。
――私だったら、きっとそう言うに違いない――
と思った。
しかし、人に関わることへの恐怖は、誰も知らない敦美が持っているもので、他の人には決して分からないものだと思っている。敦美以外の人が聞けば納得ができることも、敦美には納得できないこと、逆に敦美には納得できても、他の人は決して納得できないものがあるだろう。それは紙一重であって、どこかに境界線があるのだろうが、境界線がいつも同じところにあるというわけではないと敦美は思っている。
松倉家には、跡取りになるのは、敦美一人しかいないのだが、本当は敦美にはかつて姉がいた。そのことを知ったのは、敦美が中学の時、敦美は自分がその時まで知らなかったことに対し、まわりに対して不信感を抱くほどだった。
「こんなことは黙っていたって、いつかは分かることなのに」
と思った。
もちろん、親も祖父母も、そのくらいのことは分かっていただろう。敦美が成長すればするほど、話しにくくなることも分かっていたはずだ。それなのに言えなかったというのは、話そうと思いながら、チャンスを何度も逃がしてきたからなのではないだろうか。
敦美が自分に姉がいたことを知るきっかけになったことを考えれば、それは一目瞭然だった。