詩集【紡ぎ詩Ⅳ】~始まりの季節~
大晦日の夜をのんびりと炬燵で過ごしたことはなく
特に近年は戸外で凍てつく寒気の中
寺の行事に従事している
新年はいつも戸外で檀家の方々と迎える
大勢の方と厳粛な気持ちを分かち合える新しい一年の始まりというのも格別だ
―今年も家族揃って健やかで過ごせますように
一緒にいる皆さんの心にある想いは同じだろう
今年は寺の行事が終わってから
夫と除夜の鐘を聞いた
―おかしい。十二時半なのに、どこの除夜の鐘だ?
何事も決まったとおりに進むのが好きな夫に
私はのんごとり相づちを打つ
―そうだね。
けれども心では思った
テレビ中継ではなく本物の除夜の鐘を夫婦水入らずで聞くのは
連れ添って23年にして初めてかもしれない
どこの社寺の鐘かは知らないが
テレビではなく本物の方が情緒があって良い
―おかしいぞ、まだ鳴っている!
まだ不満そうに呟く夫のぼやきに構わず
遠くから除夜の鐘は鳴り続ける
今年も平穏な年になりますように
☆「春を待つ~冬来たりなば春遠からじ~」
澄み渡った蒼天の下(もと)
真っすぐに天(そら)に向かって枝をひろげる白木蓮
今はまだ葉もつけてはいないが
繭のような形をした新芽が
早くもひっそりと息づいている
新芽を守るように表皮についている和毛が何とも可愛らしい
樹そのものは しゃんと背筋を伸ばした女性のようだけれど
たくさんついている可憐な芽たちは
お母さんに抱かれている子どもたちに見える
花はひらき
咲いては散り
季(とき)が巡りくれば
またひらく
打ち寄せては返す白い波がしらのように
太古から脈々と営まれてきた生命の営みがそこにある
自然は何と強いのだろう
人は何と脆いのだろう
けれど
本当にそうなのか
私たち人間も大昔から動植物と生きてきた
私たちの先祖は
苛酷な天変地異の環境変化にも耐え抜き
種を残し続けてきたはずだ
人とは本来強いもの
ならば
自らの生き方に誇りを持つように
あの空を見上げて咲いている白木蓮と同じ強さを
私もどこかに秘めているのかもしれない
不思議なもので
新しい年が来ただけで
寒さ厳しい真冬のただ中でも
降り注ぐ陽光は日ごとに暖かさを増し強くなってゆくような気がする
冬来たりなば春遠からじ
そんな諺がある
人生も同じもの
山あれば谷あって
冬の凍えるような厳しさの次には
暖かな春の陽射しが待っている
湖のように涯(はて)なく蒼く 晴れやかな空を見上げ
いまだ花のない白木蓮をもう一度見る
―冬来たりなば春遠からじ
ゆっくりと春を迎える準備をしている樹が
冬の風に吹かれて優しく笑っているように見えた
☆「花のまなざし~天満宮の紅梅~」
透き通る黄昏どきの日差しが
やわらかに小さな花を包みこむ
あまたの参拝客をしずかに見つめながら
花たちは何を思うのか
いにしえの菅公の悲劇を今に伝える北野の宮に
叡智を授け給えと今日もおおくの人がやってくる
私もまた大勢の人に紛れ参拝する
ふいに どこかから
そこはかとなき芳しい香りが流れてきた
ふと見上げた先に
可憐な蕾を無数につけた梅の木がひっそりと佇む
しずかな悠久の時間(とき)の流れの中で
人が幾度生き死にの営みを繰り返そうとも
変わらない姿で
透徹な眼差しに少しの慈愛を込めて
私たちを見てきた
折しも
センター試験を間近に控え
社前には長蛇の列ができている
真後ろから見ると巨大な龍が社殿前に伏しているようだ
私も最後尾に並び漸く参拝を終えた
再び梅の樹の側を通り過ぎたとき
何かに呼ばれたような気がして
ふと振り向く
けれど背後には忙しなく行き来する参拝客と
匂いやかな花を付ける梅の樹があるばかり―
☆「桜幻想」
東 めぐみ 新しい年になると、町に出れば、洋品店には早くも春物衣類が並び、文具店には桜柄の文具、和雑貨がお目見えする。季節の先取りとはよく聞く言葉だが、厳しい寒さが終わり、一日も早く暖かな春が訪れることを願う人の心の表れなのかもしれない。
名所の絢爛な桜、山里で人知れず咲く桜、いずれもに独自の風情があって、良いものだ。恐らく桜ほど、日本人に長く愛されてきた花はないだろう。私自身、まだ十代の頃から今もって数十年、桜の花が一番好きだ。
今も忘れられない光景がある。あれは京都の女子大の学生だった時代、学生寮にいたときだ。寮の部屋は二階で、ささやかな庭には一本の桜樹が植わっていた。丁度、部屋の窓際から満開の桜が間近に臨める。窓際で本を読みながら、時折、顔を上げては向こうの桜を眺めるのが日課になっていた。
土曜日の午後、四人部屋には私の他、誰もいない。私は好きなだけ、一人の時間を堪能できる。満開の桜が風もないのに、はらはらと散り零れ、時に薄紅色の花片が膝の上で広げた本の上にそっと舞い降りる。人差し指でそっと花びらをつまんで窓から差す春の光にかざせば、それは光を弾いて淡い桜貝のように美しかった。
静かな時間がひたすら自分の側を流れていった。今から思えば、何という贅沢な時間であったのかと思う。
―桜の下には死体が埋まっている。
そんな文章を知ったのも、多分、その頃だ。当時、愛読していた小説に書かれていたのではないか。相部屋のルームメイトが寝静まった夜更け、窓を開ければ、宵闇に沈み込んだ桜が見渡せる。漆黒の闇の中で桜が咲いている場所だけが細い月明かりを浴びて、雲母(きらら)のように淡く発光しているように見えた。
昼間の清楚な桜が年端のゆかぬ少女なら、妖艶な夜桜は臈長けた妙齢の女性を彷彿とさせるだろう。なるほど、妖しささえ感じさせる夜桜の下でなら、どんな摩訶不思議なことが起きても納得できるような危うさを秘めている。若かった私は、至極真面目に考えたものだった。
今でも桜といえば、真っ先に思い浮かべるのが寮部屋の窓際から見た桜である。どんな観光地の見事な桜よりも、あの日見た満開の桜が一番心に残っているように思える。
☆「高校最後のお弁当」
高校から帰宅した息子が言った
―弁当、明後日(あさって)までで良いから。
早いね
もう この日が来たんだね
いつかは来ると判っていたけれど
何だか淋しいな
憶えているかしら
三年前 薄紅色の桜の花びらが舞う中
母子(おやこ)で歓びに溢れ
高校の入学式に行ったこと
まだまだ先だと思っていたのに
あっという間に卒業の日が近くなったね
たいしたご馳走も作ってあげられなかったのに
―三年間、ありがとう、美味しかったよ。
ひと言いってくれて
涙が止まらなかった
今朝 残り二日となったお弁当を作りながら
そういえば
この台所で赤ちゃんだった息子の離乳食を作り食べさたせんだと
大昔のことまで思い出した
今はもう調理のときにしか使っていない台所で
かつては家族が揃って賑やかに食事をしていた
古い台所には
幼い頃の息子が座っていた赤ちゃん用の椅子もまだ置いてある
今は使う人もいない小さな椅子にそっと手を伸ばして触れた時
熱い塊がこみ上げた
―最後の日は何が食べたい?
訊いたら
―お袋特製の肉飯弁当。
と応えが返ってきた
よし 残り二日張り切って弁当を作ろう
心の中でガッツポーズをして
涙をゴシゴシと拭った
☆「初花」
作品名:詩集【紡ぎ詩Ⅳ】~始まりの季節~ 作家名:東 めぐみ