詩集【紡ぎ詩Ⅳ】~始まりの季節~
おっかなびっくり小さな前足を踏み出した子狐を
お母さん狐は微笑んで見守っています
サク サク サクリ
子狐が歩く度に 真っ白な雪野原に可愛らしい足跡が並びます
―見て見て お母さん 私の足跡がこんなにたくさん付いてるよ
―そうね
お母さん狐は笑いながら応えます
子狐はますます歓んで 真っ白な雪の絨毯にたくさんの足跡を刻みました
サク サク サクリ
澄み渡った真冬の静寂に ちいさな足音が響き渡ります
その夜 いったんは止んだ雪がまた降り始めました
住処にしている穴の中から子狐は顔をちょこんと覗かせます
そうやって空を見上げているのです
雪は降り止まず しんしんとすべてのものに降り注ぎます
鈍色の天から舞い降りてくる雪は
子狐が春に見た桜の花びらに似ていました
風が吹くと薄紅色の花びらがひらひらと舞い踊るのです
雪の花びらも風にのって夜空を舞っているようです
くるくる くるくる
子狐はお母さん狐に聞きました
―ねえねえ お母さん お外に出ては駄目?
―暖かくして少しだけなら
お母さんが子狐の首に真っ赤な手編みのマフラーを巻いてくれました
子狐は勇んで外に飛び出しました
お母さん狐は心配顔で巣穴から子狐の様子を見ています
外に出た子狐の上に真白な雪が降り注ぎます
ひらひら ひらひら
くるくる くるくる
―わあい
子狐は歓声を上げて 自分も雪の花びらと一緒に踊りました
くるくる くるくる
くるくる くるくる
絶え間なく落ちてくる雪の花びらが
いつしか子狐の肩や頭にうっすらと積もってゆきます
―娘や ちょっと面白いものを見せてあげよう
お母さん狐も子狐の愉しげな様子に誘われたのか 外に出てきました
―なあに、お母さん。何を見せてくれるの。
子狐が期待に大きな瞳をキラキラさせて訊ねると
お母さんはふわりと微笑みました
お母さんの差し伸べた手のひらに
ふわふわの雪が降りてきます
お母さんがふうっと息を吹きかければ
あら不思議
白い雪の花びらがたちまち ふんわりとした綿帽子に変わりました
お母さんはもう一度手を差し伸べて雪を受け止めます
また落ちてきた雪の欠片に息を吹きかければ
雪は純白の花嫁衣装になりました
子狐は目を丸くしています
―お母さん、これは何?
お母さんはふふっと笑い 子狐の頭に綿帽子を乗せ
子狐に綺麗な花嫁衣装を着せてやりました
―お前もいつか大きくなったら、こんな美しい花嫁御寮になってお嫁にゆくんだよ
子狐は首を傾げました
幼い子狐には まだお母さん狐の言葉を理解できなかったのです
子狐が首を傾げている間に
狐の魔法は春の雪のように解けて
いつしか子狐は元の姿に戻っていました
―さあ、そろそろ寒くなってきたから、おうちに戻ろうね
お母さんに言われ、子狐は大人しく巣穴に戻ります
―ねえねえ、お母さん。花嫁さんって、なあに。
子狐が問えば
お母さん狐は優しく笑って 子狐の頭を撫でました
―いつかお前も判るときが来るよ。そう遠くない未来にね。
雪はますます烈しくなり
お母さん狐は子狐をそっと腕に包み込みました
―お母さんの胸って暖かい、良い匂い。
うっとりと眼を閉じた子から小さな欠伸が洩れました
―おやすみ、可愛い私の娘。
お母さんの優しい声に包まれ 子狐は夢の世界に入ってゆくのです
狐の魔法は儚く美しい
いつか小さなあの子も知るときが来るでしょう
大切なただ一人の人に巡り会い
誰かを愛するということの歓びも哀しみも
今は昔
母狐が子狐に見せた不思議な夢物語り―
☆「花瞑想~山茶花に想ふ」
身を切るような寒風に物ともせず
すっくと前を向いて佇む山茶花
濃いくっきりとした花びらのピンクが
灰色一色に沈み込んだ周囲の風景の中でひときわ際立つ
不思議な花だ
あるときは透徹なまなざしで
すべてを見通す眼(まなこ)を持った理知的な女性のようでもあり
あるときは艶やかな色香を振りまく妖艶な女性のようでもある
いずれにしても
そのひっそりとした佇まいから浮かび上がるのは
臈長けた大人の女性に違いない
そっと手を伸ばして触れれば
ベルベットのようにやわらかな花びらが
確かな手触りを伝えてくる
儚さを秘めた作りもののように繊細で美しいこの花が
生きているのだと教えてくれる
春の優しい風の愛撫を受けて爛漫と咲き誇る桜花も良い
梅雨の季節
しっとりと雨に打たれて七色の宝石のように様々に色を変える紫陽花も好きだ
けれども
今 この瞬間
真冬の澄み渡った大気に潔く身をゆだね
凜として立つ山茶花にいっとう惹かれる
憧れるのは
深い白雪に埋もれそうになりながらも
なお凜として花ひらく一輪の花
冬の風雪に耐えて咲く花には物悲しさと逞しさがある
ひとときの夢想に耽る私の前で
微笑むかのようにピンク色の花が揺れた―
☆「真冬の秋桜(コスモス)」
田舎の一本道を車で走っている最中
車窓越しに流れゆく視界の片隅で何かが小さく揺れた
ハッと我に返って眼を凝らす
すべてが灰色に沈み込淀んだ風景の中
一隅でそっと開いた花
よくよく見れば
淡いピンクの秋桜が寒風にかすかに身を震わせていた
刹那 私の胸に湧き上がった感情を何と呼べば良いのだろう
小さな愕きと大きな畏敬の念をもって
私は ただひたすらガラスの向こうの花たちを見つめる
何かの店舗だったのであろう廃屋の前
かつての駐車場跡の一角に
数本のコスモスが身を寄せ合うように花ひらいている
その健気な姿は凍てつく冬の寒さから身を守るようにも
互いの身体を寄せ合って暖を取って温もりを得ているようにも見える
それでも 一つ一つの花が
誰も目に留めないだろうのに
凛と誇らしげに前を向いて精一杯咲いている
それは
ささやかでも確固たる信念を持ち
日々を精一杯生きてゆく人の生き様を彷彿とさせる
ふいに胸に熱いものがこみ上げた
―私は あの花たちのように流れゆく日々を懸命に生きることができているだろうか―
自らの過ぎこしゆく方を振り返る
再び意識が現実に引き戻されたとき
既に可憐な花たちは見えなくなっていた
振り返って眼を凝らしてみても
車窓には ただ 冬枯れ色に染まった山々が
真冬の寒走る薄青い空を背景にそびえたつばかり
私のこころの中に
今し方見たばかりの花は咲いているだろうか
自分自身に誇れるような生き方をしよう
自分に負けそうになったときは
寒風に揺れていたあのコスモスを瞼に思い浮かべたい
そんな想いを胸に家路を辿る冬の夕暮れ
☆「夫婦で聞く除夜の鐘」
ピンと張り詰めた清澄な大気をまとい
静かに夜は更けてゆく
新しき年を迎えるまでのほんの数時間
心は凪いだ水面のように静まっている
この一年間我が身に起こったすべての出来事が
偶然でもあり必然でもあった
来年はどんな一年になるのか
そう思いつつも
どんな事が起こるのかと人任せ的に考えるより
どんな風な一年にしたいか
自分の思うような一年にしたいなら
まずは自分自身で行動を起こし努力することが大切と
既に年を重ねた自分はっている
もちろん
人の力だけでは及ばないことはあるけれど
とりあえずは願うだけでなく
まずは自分自身が動くことが夢を叶える第一歩だろう
寺の一人娘として生まれ育った私は
作品名:詩集【紡ぎ詩Ⅳ】~始まりの季節~ 作家名:東 めぐみ