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詩集【紡ぎ詩Ⅳ】~始まりの季節~

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 ただ、県のコンテストについては毎年、応募していたわけではありません。続けて応募した年もあれば、数年、お休みしていたりと不定期投稿でした。
 市よりも更に県のコンテストの方が私には高嶺の花だったのです。
 そんな中で締め切り日が近くなり、私は漸く市と県の両方に作品を応募しました。
 あっという間に発表の時期が来ました。
 市の方がまず先に届きます。結果としては今年は予選通過、つまり作品集掲載でした。
 入賞は当然ながら、叶いませんでした。これは至極当たり前のこととして受け止めました。ですが、やはりショックではありました。
 事実、毎年連続で入賞しておられる方も実際にいるのはいるわけですから―。
 ですが、作品集不掲載という最悪の事態もあるわけですから、それがなかっただけでもまだしも良かったと思います。
 今年はどちらかといえば、県の方に力を注ぎました。というと語弊があるかもしれませんが、県のコンテストの現代詩部門は字数制限がないのです。その代わり、三作品のアンソロジーを一つの作品として応募します。
 私は詩の方もどちらかといえば長くなる傾向があり、字数制限がある市の方には自ずと出す作品が限られてくるのでした。
 県の方には字数関係なく、これぞという作品が出せます。
 あれは忘れもしない10月9日、私自身の誕生日の朝、ケータイが鳴りました。
―県の文化連盟です。
 一瞬、何のことか判りませんでしたが、県のコンテスト事務局からだと判りました。
―あなたの作品が一次予選を通過しました。
 と、連絡を頂きました。
 愕きました。と、同時に県の方は予選通過以上の作品には個別に連絡が入るのだと初めて知りました。恥ずかしいことに、これまで数え切れないほど応募しましたが、それを知らなかったのは、一次も通過していなかったからではないかと思います。
 ですが、所詮はそこで終わりだと思いました。でも、初めて予選通過をしただけでも大きな成果であったと思いました。
 それから更に一ヶ月後、それでも心のどこかで一抹の希望を持っていたものの、新聞紙上で結果発表があり、入賞者が判明しました。
 もちろん、自分ではありませんでした。
 ああ、やっぱり―。これも当たり前ではあるけれど、がくっときました。
 ところが、翌日です。午前中、買い物を済ませて帰宅すると、郵便物が届いていました。県の文化連盟からです。訝しみつつ開封すると、何と私の作品が準佳作に選ばれ、来年の入賞作品を集めた「岡山の文学」に掲載されるとのことでした。
 これも初めてのことで、準佳作受賞者には翌日に郵送で通知があることを知ったのです。 もう駄目だと完全に諦めきっていたところに届いた受賞通知でした。
 信じられず、号泣しました。
 本当に初めて手にした県のコンテストでの入賞通知、応募開始から25年めのことでした。
 今年は本当に最後の最後に大きなサプライズが舞い込みました。
 念願の市と県のコンテスト、両方で成果を得ることができました。
 とてもとても嬉しく、今まで支えて下さった人たちには感謝の想いで一杯です。
 毎年、入賞している人もいると言いましたが、それでも、再入賞というのは恐らく相当難しく、ましてや県の方は最優秀の入選の方は再応募はできないものの、佳作、準佳作の人は以降も応募できます。つまり、チャンスはあるのです。
 ですが、少なくとも去年の入賞者の中で、今年入賞している人は見かけないようです。つまり、それだけ厳しいのです。
 そんな中で再入賞を目指すのは、至難の業でしょう。
 ですが、入賞したとはいえ、まだまだ上があるのだから、また上を目指すのは当然でもあります。
 これから歩む道は、更に厳しいものになるかもしれない。
 これは、今年は市も県も成果がなかったと諦めていた時、たまたま考えたことです。

 このときの気持ちは、今も変わりません。この川柳の投稿を続けたいという男性のように、私も市と県、コンテストが続く限り、応募は続けてゆこうと改めて決意しました。
 評価して戴くというのは、あくまでもご褒美であって、基本は作品作りを楽しむことです。
 それがいちばん大切だということは、たとえどれだけ年数を重ねたしても忘れてはなりませんし、年数が経ったからこそなお、初心は大切にしなければなりません。
 来年から、私はまた生まれ変わったつもりで心を込めて作品作りをやってゆこうと思います。
 25年間、目標に向かって歩き続けた道程は、私にとても大切なことを教えてくれたように思います。
 それから、これだけはどうしても書いておきたいことが一つ。
 この25年で私が感じたことは、実はもう一つあります。
 それは、夢というのは誰かに叶えて貰うものではなく、自分自身で叶えるものだということです。というと、入賞のことを言っているのだと誤解を受けてしまうかもしれませんが、まったく違います。
 今年、私はメインの小説執筆活動において、ある大きな目標を立てました。それは、韓流時代小説において、実在の女性を主人公にした作品を描く試みでした。日本を舞台にした時代小説でさえ、滅多に実在人物を取り上げたことがないのに、外国を舞台にした作品を描けるのか?
 大きな不安がありました。それでも、ずっと韓国やその歴史が好きで、色々な作品を描いてきて、ここら辺りで一度、実在の女性を描いてみたいという想いが強く、積年の夢を果たすべく、高いハードルにチャレンジすることを決めました。
 二月から書き始めた作品が六月に完成しました。最初は本当に、深い霧の中を小舟で港から漕ぎ出ていった―そんな途方もない航海に出たような心細い気持ちで書き始めたのです。それが今年、完成した「炎の王妃~小説 張玉貞の生涯」でした。
 どこのコンテストに出したわけでもなく、唯一、小説サイトとブログで発表したにすぎません。それでも、たくさんの方にご覧いただき、幾らかの反応を戴き、自分なりに書いて良かったと思いました。
 入賞したのと同じくらい、私の中では意味のある素敵な出来事でした。
 このことから、夢というのは他人に与えられるものではなく、自分で叶えるものということが判りました。
 誰かに評価して貰うのではなく、自分自身で作り上げるもの、作り上げた作品、それこそがまさに「夢の達成」ではないでしょうか。
  何も評価して貰えることだけがすべてではない、自分自身が課した目標に向かい努力し、それを成し遂げることそのものが私には「夢の実現」に思えてなりません。
 そう考えてゆけば、まさに夢とは誰かに与えて貰ったり、評価して貰うものではなく、自分自身で叶えるものだといえるのではないでしょうか。
 もしかしたら、この大切なことに気づいたのが私にとって、今年いちばんの収穫であったかもしれません。

☆「雪の銀狐~冬の夜話~」 
ある山奥に狐の親子が住んでおりました
山は冬には深い雪に包まれます
その年 また冬がめぐってきました
初雪が数日降り続いて止んだある朝
お母さん狐と子ども狐は二匹そろって住処の外に出てみました
真っ白な絨毯をどこまでも敷いたような風景がひろがっています
子狐は初めて迎える冬でした