詩集【紡ぎ詩Ⅳ】~始まりの季節~
私には何か言葉では言い尽くせないほどの美しいものに見えた
自然と偶然という時間の織りなす
奇跡のようなひと刹那
それは時として神が作り給うたとしか思えないような
荘厳な空間を作り出す
茫然としている私を乗せて
列車は走り続ける
まだ朝霧にうっすらと包まれる田園風景が遠ざかっていった
ピィーッ
列車のあげる音が朝の深い静けさを震わせる
雲間から差し込む今日最初の陽光が
少しずつ白い靄を消してゆく
☆「初入賞のときのこと~号泣したその瞬間、これからのこと」
11月に入る前、10月下旬は、ここ数年、私にとっては何となく心落ち着かない時期です。
何故か? 2015年、市民文芸祭で応募22年目に初入賞して、まず、驚いた!
そのときは現代詩部門で入選、初めての授賞式で壇上に上がり、夢見心地やら感無量で泣きそうになるなど、無我夢中の中で終わったんですね。
式後、審査員を囲んで作品を語る会があり、初めて参加しました。それも、終わって審査員の先生が帰られるのにたまたま遭遇して、
ー先生、良い作品を作るには、どうしたら良いですか?
と、質問したのも思い出です。先生は嫌な顔もされず、丁寧に教えてくださいました。やはり、答えは良い作品を沢山読んで自分も沢山作品を作るということでした。
とても勉強になりました。
それが初めての授賞式の思い出です。
正直、その晴れ舞台になり立つのは、それが最初で最後だろうと思いました。
ところが、ちょうど一年が経過した2016年の秋、またしても信じられないことが起こりました! 何と市民文芸祭の現代詩部門で今度は岡山市長賞を頂いたのです。
これは前年の入選の時の比ではなく驚きました‼️
最優秀賞を頂けるなんて、何かの間違いだろう、見間違いじゃないかと、本当に届いた審査の結果を二度見どころじゃなくて何度も見直したほどです。
何度見直しても同じで、それで、やっと、ああ、これって夢ではなく現実なんだと分かりました。
そして二度めの授賞式。まさか二年続けて、ここに来られるとは、、
そのときはスーツではなく、和服にしました。壇上で自分の名を呼ばれるのを待つ間は、一年前と似たようなものでした。
ふわふわと雲の上を歩いているような。
で、二度目の作品を語る会。これで、いよいよラストだなと思いながら、会場を後にしたわけです。
でも、十分、幸せでした。このコンテストに応募し始めたとき、まだ20た代だったんです。このコンテストは小説部門はなく、かえって入賞とか考えずに毎年、時期が来たら応募するということの繰り返しです。
実力も才能もないことは自覚していたから、まぁ、好きという気持ちだけで続けていたのだと思います。一つだけ大きな声で言えるのは、その初応募の20代の頃から今、オバさんさんになるまで一度も応募を休みなく続けたことです。
その間、再婚、妊娠、出産など人生のの大きな出来事があり、第四子妊娠中は後期で帯状疱疹、顔面神経麻痺と大病にかかり療養生活を送りました。
心が折れそうな中でも、詩を作ることで前向きになれたんです。その年ももちろん応募は休まず続けました。ただし、長い作品は体力がないため、書けないので、随筆は休みました。
とにかく、その末に応募から22年目に市長賞を受賞したことは本当に嬉しかった。
さて、また一年が経ちました。市長賞受賞者は翌年の同じ部門に応募はできない規定があります、なので、応募するとしたら、随筆しかありません。
しかし、私は随筆が苦手です。長い作品を書くより実は短文の方が難しいんですね。
実際、随筆部門では作品集に掲載されなかった年もありーつまりボツです。
詩を出さないなら、今年はやめようと思っていました。ですが、長男が通う高校まで電車で懇談に行ったときの体験が印象的で、帰宅してすぐ書いてみました。
締め切りギリギリでポストに投函したんです。やはり、大病のときも休まず続けた応募をここで途絶えさせたくないという気持ちもありました。
だから、その年も全く期待どころか、最初から諦めていました。ま、応募を休まなかったことを良しとしよう、と。
そんな感じだったから、秋に届いた審査の結果も、またボツ?と。
が、結果は岡山市長賞でした。これも最初は見間違いかと思いました。嘘でなく大げさでもありません。現代詩のときのように、何度も見直して、やっと、これは現実だと理解できました。。
じわじわと歓びがこみ上げてきて、涙も出ました。
待ちに待った授賞式の日は、前年に引き続き着物を着ましたが、最初は着付けやヘアメークをして貰うサロンで和服を借りたのに対し、その年は自前の着物を着用しました。
それも迷ったんですね。何しろ、その着物は手書きの加賀友禅で、自分でも気に入っていたものでした。でも、何とまだ市民文芸に応募始めるよりもはる昔、22歳で最初に結婚した時、作ったもので、実際、お色直しで着用しました。
というより、着たのはそのときだけだったんです。当時はいささか落ち着きすぎた色に思えた若草色の着物が二十数年後の今は、丁度良い感じになっていました。
ですが、やはり破綻した最初の結婚式で着た着物、、、大変残念なことに、そういうイメージが強くて、なかなか着るどころか思い出すこともないままに過ぎていました。それが、その年の夏、長女の成人式のための振り袖を自宅で探していたところ、たまたま加賀友禅が出てきたんです。一瞬
―この着物をもう一度、着てみたい。
という想いがよぎったものの、もう気持ち的にも着ることはないだろうと諦めていたんです。ところが、二年連続の授賞式に出席することができ、このときしかもう着るチャンスはないと思いました。
変な言い方ですが、一度ついたマイナスイメージを晴れの日に着て払拭してしまえば、また着ることもできると考えました。何より、大好きだった着物ですから、また着たいという思いが強かったんです。
それでも、やはり迷いがありました。でも、結局、夫が「着れば良いじゃないか」と後押ししてくれて、着ることになりました。
今でも表彰式後に写真館で撮影した写真があります。まさか最初に着たその二十数年後、着る機会があるとは想像もしておらず、本当にありがたく嬉しいことでした。
そうして、夢のような市長賞二連覇の年が終わりました。
そして今年の秋がまた来ました。
今年は市民文芸祭が始まって50年という記念すべき年で、いつもなら市長賞受賞者は
翌年は応募できない規定なのに、今年に限り応募できるということでした。
なら、いつものように二部門応募することになります。
正直なところ、かつてないほどのプレッシャーでした。ですが、考えてみても、三年も続けて入賞ということがあるはずもなく、また自分自身、そんな厚かましい、おこがましいことは考えてもみませんでしたし、第一、自分をそこまで過信はできません。
ですが、過信するのは関係ないところで、やはり、連続入賞ということが私に重くのしかかっていたのも事実でした。
後は、市民文芸祭と同時に応募している「県文学選奨」の方も重くのしかかっていました。
作品名:詩集【紡ぎ詩Ⅳ】~始まりの季節~ 作家名:東 めぐみ