the second with heartache
けれど、彼はそうは思わないみたいだ。うぬぼれとかじゃなく事実として、彼は自分自身が目立っている、女子から注目される人間だと知っている。だからこそ、私が一部女子に「ちょっかいをかけられる」(親友の小高七恵(こだかななえ)、通称なーちゃんいわく)のは自分のせいだと感じていて、苦々しく思うのだろう。
だけど、彼が悪いわけじゃない。
納得していない顔で、彼はまだ何か言いかけたけど、その時ホームに電車が入ってきた。さらに後ろに並んだ人たちに押されるように、車内へ入る。その後終点に着くまで、混んだ車両の中で彼は私の肩を引き寄せて、黙って立っていた。苦い表情は崩さないまま。
ーー彼にそんな表情をさせるのは、誰のせいでもない、私自身が不甲斐ないからなんだ。
たまたま、元カレ元カノと別れたタイミングで、なりゆきで「彼女」になってしまった私が。
列に1時間近く並んで、やっと順番が回ってきた。超人気パティスリーの、カフェコーナー。
電車を乗り継いで来たのは、今月初めにオープンしたばかりの、大きな商業施設だ。広さもさることながら、「日本初上陸!」「○○初出店!」といったお店がいくつかあり話題になっていると、休日の情報番組で観た覚えがある。
どんな所か一度行ってみたいと思って、と言った彼が一番に目指したのが、このケーキ屋さんだった。
『できれば最初に行きたいんだけどいい?』と言われて、正直なところ意外だった。いや、発言の意図としては「昼ごはんも食べずに先にスイーツ店でいい?」という意味だったと思うけど(現在の時間は12時過ぎ)、お茶の時間が近くなれば相当混むだろうから行くこと自体はかまわなかったけど、ここへ行きたいと彼がわざわざ言ったことが。
そんなに甘いものが好きだとは知らなかった。嫌いではない、程度には知っていたけれど。
「好きは好きだけど、めちゃくちゃってほどじゃないよ。この店、近くにはなかったから一度来てみたかっただけで。ケーキにインパクトあるし」
確かに、ショーケースにはケーキやタルトがそれぞれ1ホールサイズで置いてあって、載せられている半端ない果物の量がすごく目立つ。実は私も、何度かネットで見かけたことはあって気になっていた。
そう言うと、彼は意を得たというふうに、嬉しそうに笑う。
「たぶん女子はこういうとこ好きだよな、と思って。一緒に来たかったんだ」
「お待たせしました、季節のフルーツタルト、アイスコーヒーセットと、バナナとチョコのタルト、ハーブティーセットです」
店員さんが器用に二人分のセットを置いていく。ほんの少しだけど、20代前半くらいのその女性が、去り際に振り返ったのを見逃さなかった。
……慣れているはずなのに、最近の方が、こういうことをいちいち目に留めて気にしてしまう。
「いただきます。……あ、おいしい」
それ以上考えるのが嫌で、タルトを一口食べる。バナナの甘さと、チョコレート生地の抑えた甘さのバランスが良くて、本当においしい。
私が食べたのを確認したようなタイミングで、彼が自分のタルトを食べ始めるのが目に入った。黙々と食べているけど、にこにこと、顔いっぱいに幸せそうな笑みを浮かべていること、彼は気づいているだろうか。やっぱり、本人が言うよりもずっと、スイーツ男子じゃないかなという気がする。
この人にそういうところがあるのってなんだか可愛い、と思ったまさにその時「槙原?」と声をかけられて、必要以上にじーっと見てしまっていた後ろめたさも湧いてきて、無駄に慌ててしまった。
「さっきから食べてないみたいだけど、どうかした? 俺の顔なんか付いてる?」
「う、ううん付いてない。おいしそうに食べるなって思って」
「えっそう? うん、これマジでうまいよ。食べてみる?」
と言ってお皿を、タルトの口をつけていない側を向けて、こちらに近づけた。
「え……いいの?」
「ん、遠慮しないで」
そう言われても遠慮する気持ちは当然あるけれど、興味と食欲の方が少し勝った。私も、甘いものが好きという点においては「女子」の例に漏れない。
「じゃあちょっとだけ、……いいってそんなに、いただきます」
少しだけ、いやもっとがっつり、とフォークを刺す位置を決めるのでしばらく攻防した後、取り分を口に入れる。土台のアーモンド生地はもちろんだけど、フルーツが新鮮そのもので瑞々しくて、とてもおいしい。私もこれにすればよかった、と一瞬思った。他のと比べて200円くらい高かったから、彼のおごりだったから、早々に候補から外したのだけど。
レモングラスがベースのハーブティーを一口飲んで、自分のタルトにフォークを戻した時、彼がテーブルに身を乗り出して言った。
「それもちょっと気になるなあ。少しもらっていい?」
「……あ、うん。どのくらい食べる?」
「ほんとに少しでいいよ。あ、いい、そのままで」
心持ち多めに切り分けて、彼のお皿に載せるつもりで動かしたフォークの主導権を、右手ごと奪われた。つまりは私のフォークから直接、タルトを食べられたのだ。
「あーこれもうまい。チョコとバナナってやっぱ合うなあ」
ぎょっとしている私には気づかず、彼は目を閉じてタルトを味わっている。飲み込んでから目を開けてやっと、呆然としている私を視界に入れた。
「? なに?」
「ーーーーなんでもない」
あくまでもきょとんとした表情の彼は、わかっていないみたいだ。ああいうのが実は普通のことなんだろうか。いや、問題はそこじゃない。いくら私が、男女の付き合いに疎いといっても、よほど親密じゃないとやらないことだろうと察しはつく。
ものすごく迷ったけど、タルトを残すのも、今さらフォークを紙ナフキンで拭くのも、不自然だ。あきらめて意を決し、食べるのを再開する。
タルトのかけらをおそるおそる、でも傍目には変に見えない程度に、注意して口に入れた。タルトの甘さがさっきまでと違うふうに感じるのは、十中八九気持ちの問題である。
……彼は、ほんとにわかっていないんだろうか。さっきのが間接キスになったってことを。
屋上展望台行こう、と彼が言ったのは、純粋に見たい気持ちもあっただろうけどそれだけじゃなかったと思う。
なにせ、通りかかるお店の半分以上で、試着や購入を薦められる経験をした。それも高級なお店に限って。
個人的な感想だけを言うなら、どの服も小物も彼には似合いそうだったし、根負けして試着させられたコートは実際すごく似合っていた。背が高くて、筋肉はあるけど着痩せして細身に見える彼がブランド物を着ると、誇張なしでモデルみたいだった。
買わないなんてもったいない是非、とめちゃくちゃ薦められたけど6桁もするコートなんて当然ながら買えない。学生だからと断っても、出世払いでいいからなどと言われる有様で、なんとか振り切って店を出た後の彼は、うんざりした表情をしばらく引っ込めなかった。
気持ちはわかる。私がもし同じ目に遭ったら心底うんざりして、もうここへは来ないでおこうと思うだろう。
作品名:the second with heartache 作家名:まつやちかこ