年齢操作
その女の子は、美沙がうまくいくことが、次は自分だと思う気持ちになっていたのだ。
――何をやっても、美沙には追いつかない――
その友達は、美沙に憧れていた。
――憧れの相手というのは、追い越すことができないから憧れなんだ――
という思いを抱いていた。その娘は美沙に対して自分の中で、勝手に平行線を描いていたのだ。
その子にしてみれば、
――美沙に幸せになってもらいたい――
という気持ちもあるが、それ以上に、
――美沙がここで彼氏ができれば、私は美沙を追い越すことができるかも知れない――
と思っていた。
だが、その裏で、
――追い越してしまったら、何を目標にしていけばいいのか分からない――
という思いを抱いているのも事実だった。
自分の中で認めたくないという思いから、必死に否定しているのは自分の本能であって、甘んじて受け止めようという気持ちがあった。そのせいもあって、美沙に直接話をすることができなかったのだが、美沙には感覚で分かっていたのだ。
――彼女に言わせるわけにはいかないわ――
と、美沙が感じたことで、その時初めて、敏夫に対して告白してみようという気になったのだ。
ただ、告白と言っても、どのようにしていいのか分からない。今まで男性に告白などしたことのない美沙は戸惑っていた。何しろ相手はまわりから堅物と思われている敏夫である。美沙自身にはその気持ちはなくとも、自分と平行線をたどっていた相手だという意識は強く残っていたのだ。
ただ、一度覚悟をしてしまうと、機会は自ずと訪れるものだ。
いや、訪れたわけではなく、いつもそこにあったのかも知れない。平行線だと思っていたことで見えるはずのものが見えなかっただけだと思うと、理屈に合っていることなのかも知れない。敏夫という男性を本当に正面から見ていたのかということすら疑問に思えるほど、目からウロコが落ちたとは、まさにこのことである。
◇
美沙が住んでいるところは、団地の一角であった。父親が転勤のほとんどない仕事なので、団地住まいができたのだ。
「この団地は、以前は米軍のキャンプ地だったな」
と父親から聞かされてその頃のイメージが頭を過ぎった。
――そういえば、兵隊さんが多かったわ――
と、軍人の姿を思い出すと、子供の頃に家の近くに住んでいた兵隊のお兄さんを思い出した。
その人は流暢な日本語で、いつもニコニコしていた。母親は兵隊さんと仲が良かったようだが、父親は兵隊を嫌っていた。両親がそのことで喧嘩しているのを何度か見たことがあったが、どうして喧嘩になるのか、疑問で仕方がなかった。
新しくできた団地もそうであるが、団地だけではなく米軍のアパートも皆同じような建て方になっていて、意識せずに入り込んでしまうと、自分がどこにいるのか分からなくなってしまう。
美沙は、子供の頃に米軍のアパートに入り込み、その時に「兵隊のお兄さん」と出会った。
青い目をしたその人に見つめられると、身体が萎縮してしまったが、同じ日本人でもどこかで顔を接近させたことがなかっただけに却って新鮮な気がした。見つめられて恥かしいという思いを初めて感じたのがその時だったのだ。
兵隊さんと仲良くなったことを母親に話すと、
「じゃあ、挨拶しておかないとね」
と言って、兵隊さんに話しかけていた。
驚いたことに、母親は英語が達者だったのだ。兵隊さんは大層喜び、楽しそうに会話をしている。その表情は美沙に見せたことのない表情で、楽しそうな表情をしてみたり、照れている表情だったり、時には寂しそうな表情になったりした。
美沙は、その時初めて母親に嫉妬した。
今まで母親は、父親の影に隠れて目立たない性格だと思っていたのだが、印象が変わってしまった。本当であれば、母親の颯爽とした姿に誇らしさを持ってもいいのだろうが、美沙は違った。
――どうして今まで隠していたのかしら?
欺かれたような気がしてきた。
もちろん、母親にはそんなつもりはないに違いない。娘に対して自分を誇張しているわけでもないのだろうが、誇張しているように美沙は感じた。
――これって嫉妬?
子供なのに、嫉妬する対象は何だというのだろう?
――まさか、兵隊さん?
そんなバカなことはないと自分に言い聞かせた。
ただ、兵隊さんと最初に仲良くなったのは自分である。途中から出てきて横取りされたような気がしてきたのは、兵隊さんの美沙に対しての視線が、まるで大人の女性を見るかのようだったことで、自分が初めて恥かしいと思ったことが影響しているのだろう。
母親に対して嫉妬心が浮かんだのは、美沙にとって、虫の知らせのようなものがあったからなのかも知れない。
母親は兵隊さんと浮気をしていた。もちろん、誰にも分からないようにしていたのだろうが、分かる人には分かるようだ。近所の奥さんたちから、不穏な噂を聞いたことがあった。
幸い父親の耳に入る前に、二人は別れたようだ。
別れたというよりも、兵隊さんが本国に送還されたので、どうしようもなかったのだった。兵隊さんと、地元の奥さんとの間での不倫というのは、意外と多かったのかも知れない。
兵隊さんは、まだ若い男性だった。日本人女性の、しかも主婦に誘惑されれば、コロッと参ってしまうのかも知れない。奥さんの方も、若い男性からちやほやされることを喜びに感じることだろう。そのあたりの関係は、暗黙の了解のようになっていたのかも知れない。
父親から、米軍キャンプの話を聞かされるまで、正直言って忘れていた。数年で忘れてしまうほどなので、まるで夢のような記憶だったに違いない。今ではありえないような米軍の住まい、それだけ幻のように思えてならないのだ。
――どこまで行っても同じような建て方――
その思いは、団地にそのまま受け継がれた。
――この場所に前は兵隊さんが住んでいたんだ――
と思うと不思議な感覚に見舞われる。子供の頃の美沙にとって、軍人とはどのように写っていたというのだろうか……。
母親は、美沙と似ているところがあった。そのことを、美沙も母親も気にしていた。
「あの娘は私と似たところがあるから」
と、母親が言えば、
「私はお母さんと似ているところがあるような気がするの。どこがって聞かれるとよく分からないんだけど、それがいいところだったらいいんだけどね」
と、美沙は言うだろう。
母親に比べて美沙の方が、漠然としている。母親は似ているところがあっても、自分から口にしようとしないのは、それだけ似ているところがあまりいいところではないからなのかも知れない。美沙の方としても、漠然としててはあるが、あまりいいところが似ているわけではないと思っているからこそ、漠然とした言い方しかできないのだろう。
ただ、二人に言えることは、まわりが見てハッキリと似ていると言えるところは、口下手なところなのかも知れない。
――思っていることを正直に言えないこと――
それがある意味、二人にとって悪い意味で似ているところに繋がっているのだった。
ただ、成長するにしたがって、娘の方が似ているところを意識するようになっていた。