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浄化

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                  第一章

 その日は風の強い朝だった。
 鈍色の空は、雲を下に押し広げるように迫ってくると、風というのは、空と雲の隙間から、忍び込んでくるのはないかと思わせるような感覚に、
「どこまで広がっているのだろうか?」
 と、青天の時にはないミステリアスな部分を感じさせる。
 二月も下旬ともなると、そろそろ春が恋しくなってくる頃だが、一度それを乗り越えると、感覚がマヒしてしまい、
「春はまだまだ遠きこと」
 と、当然のことのように感じている。
 新田克之は、その日は朝から少し体調が悪く、会社には少し遅れると連絡して、病院で治療を受けて会社に向かうと連絡していた。
 本当は体調が悪くなくとも仮病を使うつもりだった。場合によっては、
「病院に行きましたが、よくならないので、今日はお休みします」
 と連絡をするつもりだった。
 さすがに最初の一年目は、仮病を使うなどおこがましくてできなかったが、二年目となると、少々のことは許される気がしていた。
「あの日もこんな日だったな」
 と克之は独りごちた。
 あれはちょうど一年前のことだった。克之がまだ新入社員一年目で、そろそろ仕事に慣れてきたかも知れないと思い始めた頃のことだった。考えてみれば、あれが初めて欠勤した日だった。体調が悪かったわけでも最初から用事があったわけでもない。しいて言えば「唐突の事故」だといってもいいだろう。だが、会社を欠勤してもいいという理由になるものではなく、仮病とまではいかないが、克之の中で、納得のいく欠勤というわけではなかたった。
 最初から空を気にしていたのは、一年前の思い出が頭の中にあったからだろう。
 ただ、一年も前のことなので、詳細に覚えているわけではない。しかも、詳細に覚えられるほど、自分で納得のいくものではなかった。ただ、何かのきっかけがあれば思い出すことではあった。もっとも覚えていないことであったとしても、どうしても気になることであることに違いない。だからこそ、仮病まで使って、その思いを確かめようとしているのではないか。
 きっかけというのは、意外と簡単に近くに存在しているもので、それを偶然という言葉だけで表現してもいいものだろうか?
 一年前のその日もそうだったように、いつも通勤している道を少し離れて歩いていた。駅に向かうには、かなり遠回りになるが、確かあの日も体調が悪く、病院にいくつもりだった。だから、遠回りにはなるが、この道を歩いていたのだ。
 その道は大通りとは少し違い、道の真ん中を川が流れている。昔から変化のほとんどないところで、料亭などの裏口に当たっているので、人通りは極端に少ない。車が通れないわけではないが、一度入り込んでしまうと、大通りと違い一方通行が多いので、本当にこのあたりに用事のある人でなければ、立ち入ることはない。
 川に面した路側には柳の木が植えられていて、一定の距離をおいて、川の側面に船着き場が設けられていた。
――いかにも、芸者さんの置屋のようだ――
 と、思うと、時代を感じさせられる。
 ここからは見えないが、船で直接店に入る客のための入り口もあるかも知れない。いわゆる「お忍び」というやつだろう。
 体調が悪く、頭がボーっとする中で、意識が朦朧としてくると、この佇まいが余計に神秘的に感じられた。身体の痺れや立ちくらみは、そのまま自分を目の前に似合う過去の世界へと誘うのではないかと思うのだった。
「あの時は、もう少し遅い時間だったな」
 その日、克之はあの場所に三十分前にはついていようと思った。早すぎるとは思っていない。待っている間の三十分というのは、その日の克之にとってはあっという間に過ぎてしまうことのように思えたのと、もう一つ目的があった。もう一つの方が大きな理由なのだが、克之がもう一つの理由を思い浮かべていると、喧騒とした雰囲気が迫ってくるのを感じた。
 前兆があったわけではない、ただ、克之が一年前のことを思い出していなければ、これから起こることを想像もできなかっただろう。そう思うと、克之はこれから目の前で繰り広げられる光景は、デジャブであることを、前もって知ることができる要因になったのだ。
 一年前のあの日、今まであまり体調を崩したことのない克之は、会社を休むこと自体に後ろめたさを感じていた。さらに、眩暈や立ちくらみのせいで、震えや寒気があることで、何か普段と違う自分を感じていた。
 川がやけに深く、覗き込んでいると、そのまま突っ込んでしまいそうなほど平衡感覚を失っていた。しかも昔の佇まいを見ていると、体調が悪くなければ癒しに感じるはずのものでも、吐き気を催してくるほどであった。
 体調が悪い時に普段と違うことに遭遇すれば、どれほど自分を追いつめてしまう光景を見てしまうかということを、身を持って知った。
 その時のことをふと思い出していると、またしても、熱っぽくなってくるのを感じた。
「ここを通る時は、熱っぽさを避けて通ることができないようだ」
 あの時と同じで、握られた手の平には、ぐっしょりと汗を掻いていた。前を向くと、そこには、あの時と同じ、柳の木が揺れているのが見えた。
「あの時と同じだ」
 柳の木の枝が、不規則に揺れた。急に風を切ったかと思うと、一瞬、柳の枝をものともせず、走り抜けていく一人の男性が見えた。
 さらにその後ろから、その男を追いかける一団があった。五、六人はいるだろうか。一人の逃げる男を、黒ずくめにサングラスといった、いかにも怪しげな男たちが、柳の木を避けながら迫っている。
 男は後ろを気にしながら走っているためか、追いかけてくる男たちと距離がどんどん縮まってくるようだった。
「まさしく、同じ光景を見ているようだ」
 前にも見た光景を見ることをデジャブということは知っていた。
「デジャブというのは、特定の人にだけ起こるものではなく、誰の身にも起こることだ」
 と聞いたことがあるが、克之も同じ意見だった。
 そう、あの時も一人の男が怪しげな男たちに追いかけられていて、万事休すの状態まで来ていたが、克之にはどうすることもできず、見ているだけしかない自分に苛立ちを覚えながら、
――何とかなってほしい――
 という願いを込めていると、不思議と追いかけられていた男はどこへともなく消えていた。追いかけている方は、男がいなくなったのを知らずに、どんどん遠ざかっていく。明らかに追いかけられている男は克之の目の前から消えた。そこまでは、一年前のあの時と同じ光景だったのだ。
 一年前に、同じように消えた男は、その時間違いなく消えたはずなのに、克之が五分間歩いている間に、何と克之の前に現れたのだ。彼の消えた場所から、克之のいる場所までを五分間で移動しようとすると、走ったとしても無理だろう。キョトンと男の顔を見つめていると、
「脅かしてごめん」
 といって、彼は含み笑いの表情を浮かべた。彼も少し戸惑っているようだ。
「この光景を見てしまえば、不思議だよね」
 と彼がいうので、克之は思わず頭を下げた。
作品名:浄化 作家名:森本晃次