真・平和立国
武元の言葉に、大竹は自分達の幸運に感謝した。そして、ゆとりのできた頭が、それに気付けなかった自分をなじる。
さっきの衝撃はすさまじかったが、爆発音はしなかった。ということは、信管の故障でミサイルは不発だった。つまり爆発しなかったミサイルの体当たりを喰らったのだった。
瞬時に事態を分析しながらも鳴り響く警報音が大竹のパイロットとしての本能を叩き起こす。
「No.1エンジン。停止っ、油圧低下。」
大竹の声が上ずる。エンジンは左から順に番号が割り振られている。よって第1エンジンはいちばん左端、第4エンジンは右端のエンジンを示す。
エンジンの状況を示すメーターは、エンジン1基に毎に縦一列に配置され回転数や温度計、タービン圧力を始め、様々な状態を個別に示す。C-130Hは4基のエンジンがあるので、中央の計器パネルには、まるでアナログ時計を敷き詰めたように所狭しと4列のメーターが並んでいる。その中で、いちばん左側の列、つまり第1エンジンの状態を示す全てのメーターの針が「ゼロ」を示しいる。
火災警報が出ていないのがせめてもの救いだった。
「No.1燃料カット、フェザリング」
手順に従い、第1エンジンへの燃料供給を遮断し、プロペラの羽根の角度を進行方向と平行にして空回りを防ぎ、空気抵抗と不要な振動を防ぐフェザリングの操作を行おうと腕を伸ばす。左端のエンジンが止まったことで左の推進力が弱くなった機体は、いまだに機体が左に大きく傾き左への急な旋回を続けていて、そのGに阻まれて腕をパネルに伸ばすのも難儀する。4つあるエンジンの1つが止まった程度で、まだ姿勢を回復できないでいることが大竹には不思議だった。操縦桿を握っているのは他でもない武元だ。ベテランが苦戦するほどのことではないはずが。。。
もしかしたら第1エンジンへのミサイルの当たりどころが悪く、プロペラが空転せずに固定され、空気抵抗が増しているか気流を乱しているのかもしれない。どちらにしてもフェザリングにすれば、問題は解決されるだろう。
「フェザーは必要ない。パワーを頼む。」
「えっ?」
予想外の武元の指示に大竹が聞き返す。
「いいからパワーだ、早くっ、No.2マックス。No.3と4は25%」
「了解、No.2マックス。No.3と4は25%」
武元の怒鳴り声に、弾かれたように復唱しながら機長席と副操縦士席の間のパネルから延びる4本のスロットルレバーを両手で慎重かつ素早く操作する。
両手で力一杯操縦桿を引く武元の腕の異様な角度に今更ながらぞっとした大竹は、確かめるように自分の目の前に視線を移す。機長席と連動している目の前の操縦桿は右に一杯に回されそして手前に引かれている。それは操縦桿だけではもう傾きを回復できないことを意味している。 操縦がきかない。。。それはパイロットにとって最大の恐怖だった。車やバスのようにブレーキを掛けて路肩に停車すれば安全なのとは大違いだ。当たり前のことだが飛行機にとって止まることは墜落を意味する。飛行機は着陸できる場所まで飛び、そして降りることが出来なければ安全は訪れない。
「Emergency! This is PeaceLoader01.We are calling emergency!SAM hit us.(緊急事態発生!こちらピースローダー01。地対空ミサイルが命中した。)」
「PeaceLoader01,Say Again(ピースローダー01、もう一度言ってくれ)」
早口過ぎてネイティブのアメリカ人管制官でさえも聞き取れなかったらしい。
無線が早口になる。。。
克服したはずの癖が再発したらしい。飛行訓練を始めた頃、緊張のあまり早口になる大竹の無線の癖は一向に治らず、教官達を悩ませた。覚えることが沢山あるパイロット訓練生にとって「治らない癖」は致命的だった。
そんなことでつまずいていられない。努力の結果が今の俺だ。
クソ、俺は緊張してるのか。。。
大竹の口元から舌打ちの音が漏れる。
汗で濡れたグローブの不快感に今更気付く。
緊張は何も生まない。緊張を集中力に変えろ!
あの教官の言葉を口中で呟く
再び無線を入れる頃には機体の姿勢も持ち直してきた。
「全員脱出するから、救助を要請してくれ」
「了解」
大竹は、すぐに救助要請と現在位置を無線で連絡すると共に貨物室のアメリカ兵にも脱出準備を指示した。
武元はいまだに操縦桿を右に目一杯倒しているが、エンジンの出力を調整した効果が出てきたらしく機体はほぼ水平に戻りつつあった。
「オートパイロット(自動操縦)、オン。ヘディング。。。240」
武元が方位指示器で機首の方向を確認しながら指示する。ここで方位を変えてしまうと、機体は旋回しようとしてせっかく取り戻したバランスを失うことになりかねない。
「オートパイロット、オン。ヘディング240。」
大竹は、復唱に落ち着きを取り戻す効果があることを今更実感しながら計器パネル上部に並ぶペットボトルのキャップを小さくしたようなダイヤルを親指と人差し指でつまむ。
「240、セット」
ダイヤルの隣の表示が240になるまでそのダイヤルを回してから再度表示が240であることを確認して大竹が宣言した。
「セット」
数字を一瞥(いちべつ)して確認した武元の声を聞き、大竹がオートパイロットのスイッチを押し込んだ。
オートパイロットのスイッチが緑色に点灯したのを確認した武元がゆっくりと操縦桿から手を離した。
機体が左へ左へと大きく傾き始めた。
「もう一度セットし直します。」
大竹が武元に叫ぶ、武元越しの左側の窓は、あっという間に空の青が追い出されて砂漠の白がいっぱいに広がる。
「頼む。」
言うよりも早く武元は操縦桿を両手で握り、そして大竹は何度もスイッチを押す。最初は点灯していた緑色のランプも沈黙してしまった。
「駄目です。緑にもならなくなりました。」
「こっちも手応えがない。」
それは、自動操縦装置の故障を意味していた。
すがるように合わせた目が、落胆に沈む。
正常時であれば、トリムタブで舵を微調整をしておけば、操縦桿から手を放しても水平直線飛行ができるのだが、ミサイル攻撃により翼に受けた攻撃は機体のアンバランスを大きくし、もはや微調整で飛行を維持できるレベルではない。そして、それをカバーする自動操縦装置が故障していることは、即ち誰かが操縦桿を握っていなければ水平直線飛行も維持できない。水平直線飛行ができなければ遠心力で乗員の移動もままならず、脱出は不可能だ。
「こちら機長、全員パラシュートを装着、脱出せよ。」
機内に放送する武元の声が大竹のヘッドセットにも響く。
「大竹、お前も脱出しろ!」
大竹に向けた武元の形相は、隊内のソフトボール大会で捻挫した時のように汗と苦痛にまみれていた。
「しかし。。。」
大竹は次に続く言葉を探した。