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安全装置~堂々巡り②~

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 義之は、ロボット開発を、ロボットの側からだけ行ったわけではない。人間の本質、ひいては、人間だけではなく、まわりにいる犬や猫だったり家畜にまで精神状態を研究し、
――いかに環境がロボットに適用できるか――
 ということを、研究してきた。
 出来上がってしまった環境を崩すことはできない。どれだけ、ロボットが環境に従順できるかということが問題になってくる。そのためには、ロボットに意志を持たせてはいけないという結論に至った。
 ロボットと人間とは、相容れる関係ではない。特に人間がロボットに対して同情や、ましてや愛情などを抱いてしまうと、その人にとっては、不幸以外に何者でもない。ロボットには感情がないのだ。
 意志を持たないようにするには、まずは感情を持たせないことが必須であり、特に人間に対して感情を持ってしまうと、いつ自分の存在について疑問を持つようになるか分からない。
「ロボットが反乱を起こしたり、人間に危害を加えるようなことがあるとすれば、最初に考えられるのは、彼らが自分の存在に疑問を呈した時である」
 というのが、義之の考えでもあった。
 だからこそ、彼の基本はロボット工学基本基準であり、
「こんなことを考えている俺が一番、ロボットに近い考えを持っているのかも知れない」
 と、考えていた。
 五十歳を超えた義之は、原点に戻るため、二十二世紀になって開発されたタイムマシンに乗って、三十歳の自分を見に行った。そこには、ロボット工学に対してまだまだ意欲を燃やしていた三十代の自分がいた。
 五十歳を超えると、さすがに第一線では、若手が台頭してきていた。
 ロボットの普及というのは、人間の老化を早めるという副作用もあり、五十歳になると、すでに現役ではないと言われるくらいになってきた。逆に平均年齢は伸びてきていて、いわゆる「老後」というものが、人生の中で半分近い時期を占めるようになってきていたのだ。
 これは、人類には由々しき問題であった。
 老後問題とロボット問題とは、切っても切り離せない問題となっていた。その原因の一端を図らずも担ってしまったことで義之は五十歳にして、自分が信じらなくなり、極度の鬱状態に陥っていた。
 ただ、これは義之だけの問題ではない。二十二世紀になってからは、鬱状態の人間が爆発的に増えた。
――暗黒の時代――
 と言ってもいいだろう。
 ただ、鬱状態はずっとあるわけではない。普通の精神状態と鬱状態を定期的に繰り返している精神状態に、ウンザリしていただけだ。
 ずっと鬱状態よりも、定期的に繰り返している方が、却ってきつい。普通の状態から鬱に変わる時、その前兆を感じる。その時の精神状態ほど自分を嫌になることはない。他の人は、この瞬間に自己嫌悪が最高潮に達し、何もしたくなくなる。その状態を繰り返すことで、無気力人間になっていくのだ。
 これもロボット普及の副産物であり、
「誰よりも自分に責任がある」
 と、義之は考えた。
 その気持ちがあることで、ウンザリはしているが、普通の精神状態になっている限られた時間、義之は正常に戻ることができた。
「何とかしないといけない」
 そう思うと、結論として、過去の自分を見に行くことを選択したのは、無理もないことである。
 過去の自分は、
「ロボットと人間の脳の共有」
 を提唱し、ある程度まで可能にしたが、それは中途半端なものだった。
 それをそのまま実行すれば、ロボットは堂々巡りを繰り返してしまうことは、テスト段階で証明された。
 確証があっただけに、三十代の義之の落胆も大きかった。しかし、それから三年後、義之の提案は功を奏し、いろいろな研究所で、義之の考え方が採用されるようになった。
「あの時は実現は不可能だったが、研究するには大いに参考になる提案だったよ」
 あの時、
「ロボットが意志を持った時」
 という命題を示すことで、義之の意見を退けた教授も、三年経って、やっと義之の考えを前向きに見ようとしたのだ。
「ただ、わしもそろそろ年齢的にも引退の時期が近づいているので、後は若い者たちに頑張ってもらうしかないけどね」
 と言って笑っていた。その顔には、優しさと力強さが溢れていて、
――やっぱり生身の人間はいいな――
 と感じた。
 いつもロボットの研究ばかりしていた義之には新鮮で、
「自分も生身の人間だ」
 ということを思い知らされた瞬間だった。
「俺にもあんな時期があったんだな」
 パラドックスという考え方があるために、直接過去の自分に会うことはできない。
 タイムマシンの発明が実現したのは、タイムマシンに乗って違う時代に行った時、もう一人の自分に、自分を見せることができないか、あるいは、先祖や祖先に会った時、相手に、
「この人は自分に関係のある人だ」
 と思わせないという選択ができるということが実現できるようになったからだ。
 ただし、後者は一緒にいる時だけしか作用しない。もし、タイムマシンの使用者がその時代から退去したら、その効果は失われてしまう。
 それでも、また同じ時代に戻る時は、以前に自分と一緒にいたという記憶は完全に削除されてしまうという作用もあった。もちろん、パラドックスに対しての「安全装置」なのだが、会いに行った方には記憶が残っている。
 自分を知っているはずだと思っている相手の記憶がまったく抹消されているというのは辛いものだ。そのことを、まだ知らない義之だった。
 五十歳になった義之はあることを企んでいた。
 三十代の自分とまったく同じロボットを作り、そこに今の自分の知れたる意識や記憶を埋め込んで、タイムマシンで、過去に行こうと考えていた。
 タイムマシンにおけるパラドックスは、人間にしか通用しない。タイムトラベラーがロボットやサイボーグであれば、その限りではないのだ。
 もちろん、そのことは証明されたわけではないが、義之はずっと信じていた。
 サイボーグの研究も十分になされていて、二十一世紀の人間には、まず見分けがつかないほどの性能だった。
 義之は、自分の過去を知りたくなった。その理由は、自分が多重人格であるということに気付いたからだ。
 確かにこの時代、多重人格の人が増えてきた。そして、一年に一度の健康診断では、身体だけではなく、精神状態までも検査してくれる。もちろん、オプションではあったが、彼のような研究者は、必須になっていた。
「ロボットやサイボーグのように、意志や心を持たないものをずっと研究していれば、精神が蝕まれてしまう可能性は極めて高い。しかも年齢を重ねてくると特にひどいことになりかねない」
 ということで、四十歳を過ぎた頃から、精神的なことも検査するようになっていた。
 最初は、
「要様子」
 と書かれ、再検査やリハビリまでは言われない程度のもので、レベル的には五段階の中で二くらいのものだった。
 しかし、五十歳が近づいてくると、次第に深刻になってきたようで、
「再検査」
 というレベルが二から一気に四に上がってしまった。
 再検査すると、やはり、
「精神的に病んでいる個所がありますね。少し入院して検査が必要です」
 ということで、三か月の入院を余儀なくされた。