過ぎゆく日々
ふつう
上を見たらキリがない、下を見てもキリがない――
たしかにその通りだ。
だいぶ前に、
「世界がもし100人の村だったら」
が話題になり、衝撃を受けた。
日本に生まれた、というだけで恵まれているのだ…… とその時思い知らされた。
若い頃は、上を夢見る。
美しい容姿、輝かしい経歴、豊かな生活等々――
若いエネルギーが上昇志向を生み出すのだろう。
しかし、世の中そう甘くはない。やがて壁にぶつかり、周囲に翻弄され、挫折を味わう。
そして、ふつうの有難さ、尊さに気づくようになる。と同時に、ふつうであることの難しさも……
しかし、いったいどこからがふつうなのだろうか?
そもそも、ふつうというのは何なのか?
それは、人それぞれの感覚によるものだろう。
胸に抱えた苦しみを、思い切って友人に打ち明けた時、
「それってふつうじゃない?」
と言われたら、
(そうか、ふつうのことか、みんなもそうなんだ……)
と安心するか、あるいは逆に、
(私の本当の辛さなんて理解してもらえないんだ……)
と失望するか――
人それぞれ、ふつうの基準が違うのだからいろいろあって当然だろう。
いつもように朝目覚められて、その日一日つつがなく過ぎて行くふつう――
そんなところが万人に共通するふつうだろうか。