宝の在り処
武は、弘志が指し示した方向に目をやって、それから、微笑を浮かべながら、ゆっくり弘志の方を向いた。
「弘志、今、幸せか?」
「当然だろ、幸せだ」
「そうか」
武はなぜか憐れむような表情をしていたが、それがどういう意味か、弘志には分からなかった。
提案
いつものように、浩介と武は居酒屋にいた。
「同窓会?」
浩介は目をしばたたいた。
「うん」
「興味ないな」
「そう言わずにさ」頼むよ、と武は懇願した。「どうせ暇なんだろう?」
「失礼な」浩介は憮然として言った。「最近は依頼が入ってるんだぞ」
「ああ……そういえば、この間、弘志に会ったんだけど」
武は、その時の弘志の様子を語った。
「……ふむ。なるほどね」
浩介は眉をひそめて、考えこんだ。
浩介が考え事をしている時は、何を言っても聞こえないことを知っていた武は、それきり沈黙して、ビールをちびちび呑むことに徹していた。
事務所にて
小川康史と春日部卓は、死体を発見したという理由で浩介のもとを訪れていた。
吉見賢一(よしみけんいち)は、友人が最近会社に出てないらしいし、連絡もつかない、ということで相談しに来ていた。
事務所の別室の扉が開いて、浩介は、
「やあ、みなさんお揃いで」
と挨拶した。
人を待たせて申し訳ないような素振りもなく、飄々としていた。
同日同時刻に来るよう三人を呼びよせていた。話を聞くなら一度にまとめて、いっぺんにやったほうが早いだろうという算段だった。
電話で用件はあらかた聞きましたが、と浩介は前置きして、
「えっと、小川さんに春日部さん、で、その死体は?」
「怖くてそのまま逃げちまったんだよ、こいつが」
と小川康史は春日部卓を指差した。
実際は、康史のほうが腰が抜けてしまい、収集がつかなくなって、そのまま帰ったのだが、卓は康史の体面を考えて、
「そうなんです」
と話を合わせた。
次に浩介は吉見賢一のほうを向き、
「えっと、吉見さん……行方不明になったのは……」
浩介は、人探しなんて自分のやる仕事ではない、警察に捜索願を出して終わりだ、と思っていたので、あまり乗り気ではなかった。
話を振られて、吉見賢一は答えた。
「僕の友人の、上尾真二という男です」
「上尾真二?」
康史が訊き返し、卓は、えっ、と驚いた。
「知り合い?」
と浩介。
「覚えてないんですか? 大学の時の」
と卓が言ったのを引き継いで、
「あの女たらしだよ」
康史が吐き捨てるように言った。
「ほう」浩介は感嘆した声をあげた。「とんだところで同窓会と相成ったわけだな」
三人は大学生の時の同級生だったから浩介のもとを訪れたわけだが、浩介はそこにいる全員のことを全く覚えていなかった様子で、へえ、凄い偶然があったもんだな、と、ひとしきり感動していた。
浩介のそんな姿を見て卓は、
「あの頃から変わってないですね」
人より一風変わってるけど、と言ったが、浩介は上の空で、うん、と生返事をしただけだった。
弘志
紀子……、宏子……。
妻と我が子を手にかけている。
泣きながら、ありったけの力で、首を絞めている。
苦痛に歪む、紀子の顔。
輪郭が歪んで、その顔が、徐々に、宏子の顔になる。
そこで弘志は目を覚ました。
「……なんだよ、この夢」
びっしょりと汗をかいていた。
最近は、悪夢にうなされてばかりいる。
なぜ、こんな、いやな夢を見るのだろう。
「パパ〜、おきて〜」
宏子の声がした。
階段の下から呼んでいるのだろう。
パジャマ姿のままリビングへ入ると、紀子がキッチンに立っているのが見えた。
いつもの朝の光景だ。
テーブルについて、家族三人で朝食を食べる。どんなに忙しい時でも、そうしていた。
弘志にとって、大切な一時だった。
「宏子、お弁当ついてるぞ」
宏子の口元についているご飯粒をとってやりながら、弘志は微笑んだ。
朝食後、玄関へ向かう。
いってらっしゃい、と微笑む紀子に見送られ、弘志は家を出る。
仕事が終わって帰宅すると、家族が温かく迎えてくれる。
そんな日々が続いていた。
ある日、一通の手紙が来た。
「同窓会のお知らせ?」
裏を見ると、差出人は、日高武、とあった。
当日
朝からの雨がやまず、夜になっても降り続いていた。
武は、弘志と歩いていた。
「同窓会っていっても、そんな人数集まんなかったんだけど」
武は間を持たせようと、弘志に話しかけた。
「悪いな、わざわざ」
と弘志は詫びた。雨音に掻き消されそうなほど小さな声だった。
武は、迎えに来たことを言っているのだろうと思って、
「いや、家、近いから」
と答えた。
そこで会話が途切れた。
傘に落ちる雨の音だけが響いた。
武は、弘志には武の声など聞こえていないかのように感じた。
弘志は空(くう)を見据えていた。まるで、雨粒を数えているかのようだった。
向かった場所は、浩介と武の行きつけの居酒屋だった。
「呑み屋か、久しぶりだな」
到着すると弘志は、消え入りそうな声で、ひとりごとのように呟いた。
バサバサと傘の水滴を払いながら、武は弘志に声をかけた。
「君は覚えてないかもしれないけど、浩介が先に来てるはずだ」
同窓会の席で
「弘志ってさ、紀子とくっついたんだよな」
席に着くなり唐突に話を切り出したのは浩介だった。
「ああ、まあ」
驚きと照れがない交ぜになったような微妙な表情で、弘志は返事をした。
「同級生同士がくっつくってのはなかなか便利だな」
「ちょっと浩介……」
武が制したのと同時に弘志は、
「便利?」
と訊き返した。
「こういうふうに、同窓会の連絡をするのにだよ」
「ああ」
そういうこと、と言ったきり弘志は沈黙した。
「相変わらず陰気だな」
ふんと鼻を鳴らしながら浩介は言った。武は、
「君も相変わらずだ」
と言ってやったが、浩介は一向に気にする様子はない。
弘志のほうは、微かに口角を上げた。笑っているつもりだろうが、武には、弘志が憔悴しきっているように見えた。
「ところでさ」と浩介。「来ないのか、お前の奥さんは」
一瞬の間があって、
「何、言ってるんだ」弘志が言った。「顔を、忘れたのか? いるじゃないか、ここに」
弘志は、自分の左隣を指し示した。
武は、少し寂しそうな顔をした。
浩介は、とくに驚いた様子でもなく、無表情で、弘志が指し示した方を見、それからまた弘志に向き直って、言った。
「誰もいないぞ」
武の回想
弘志の家にあがった武は、しんと静まり返ったリビングを見回してした。
ずいぶん寂しいな、と感じた。窓の外に目をやる。雨が降っている。そのせいかもしれない。
連日、しとしと、と雨が降り続いていた。
視線を弘志に移す。
弘志は、虚空を見据えながら、微笑みを浮かべていた。
そして、紹介するよ、と言って、
「妻の紀子と、これが宏子だ」
左手のほうを指し示した。