宝の在り処
武は、弘志の正面に向かい合って座っていた。
弘志の左手が指し示したほう、武から見ると向かって右側、そこには、誰もいなかった。
武は、かろうじて、笑顔を作った。
これはクサイね。
浩介の言葉が、脳裏を過った。
「弘志、今、幸せか?」
「当然だろ、幸せだ」
「そうか」
それ以上は何も言えなかった。
弘志の、この状態が、良いのか悪いのか、判断しかねた。
本人はこれで幸せなのだ。
真実を知ることが、真相を暴くことが、果たして、本当に、弘志のためなのか……。
とにかく、ほうってはおけない。
弘志と別れてから、浩介に会い、同窓会をやろう、と持ちかけた。
最終的に
しばらく、誰も、何も言葉を発しなかった。
浩介が一枚の紙を出した。『宝の地図』だ。
「この地図さあ」浩介は地図の一点を指差して、言った。「印がついてる所に、埋めたんだろ」
宝の地図なんだから宝を埋めた場所に印をつけたに決まっている、当たり前じゃないか、と武は思った。
地図から顔を上げ、弘志を見ると、微笑を浮かべていた顔が徐々に強張ってきていた。
悲哀に満ちた表情に変わり、苦悶を浮かべた顔になっていった。そして、うう、と唸った。
頭を抱えて、うずくまるような格好をした弘志を見て、武は同情した。
浩介は冷淡な表情のまま、
「行くぞ」
と突き放すように言った。
そこは、弘志の家から近い、雑木林だった。
「掘り起こすぞ」
浩介は誰にともなく言って、印の場所の土を、掘り返し始めた。
武も手伝った。
弘志は茫然自失になっているようで、突っ立っていた。
立っているのがやっとなのだろう、そう武は思った。
そして。
浩介が言った。
「確かにお前にとっては、宝だろうよ」
浩介は、目の前で、直立不動になって地面に視線を落としている弘志に向かって言ったのだが、弘志は微動だにしなかった。
弘志の妻と子、上尾真二の三人、いや、三体の屍が、そこには埋まっていたのだった。
浩介はそれから、訥々と語られる弘志の話を聞いていたようだが、武の耳には入ってこなかった。
生まれて初めて死体を見た。
衝撃が大きかった。
吐き気が込み上げてきた。
少し離れた場所で、木に手をついて、嘔吐した。
その後
武は浩介の事務所へ来ていた。
「あれから、しばらく経ったけど」
と武。
「どれから?」
「まさか忘れたわけじゃないよね」
事件から数ヶ月経った今でも、武は目蓋の裏に焼き付いた残像に悩まされていた。
「君はよく平気だったね。あの時も」
浩介は神経が太いか無神経かのどちらかだろう、と武は思った。
「平気なものか。腹が立ってしかたなかったね」
「腹を立てたのか」
「人を殺して、さらにそれを俺らに見つけてもらおうとしたんだぞ。狂ってる」
武は、弘志は確かに狂ってる、と思ったが、しかしやはり同情的になっていた。
「本当にこれでよかったのかな」
奥さんと子どもが生きている、と錯覚していれば、弘志は幸せだったんじゃないか。
「地図を送ってきたんだろ。あれは、かなり屈折したやり方とはいえ、罪の告白だったんじゃないか」
狂気の沙汰としか思えない行動だ、と考えていた武は、あの地図のことなど、記憶の片隅に追いやっていた。
「罪の意識に耐えかねたのか……」
「というより……、錯乱状態だったんじゃないか、と俺は思うけど。まあ、今となっては知る由もないけどな」
「自分の妻と子を自分自身で殺めてしまったから、か」
「それ以前から、様子がおかしかった」
「リストラされて」
「うむ」
「妻と、敵視してた同級生が一緒に歩いているところを見かけて」
「ふん」
「誤解と嫉妬心と、ねじれた愛憎で」
「可愛さ余ってなんとやら、だな」
「でも、解らないな」
「俺だって解らないさ」
「そもそも紀子と上尾真二は何で一緒にいたんだ」
「あの時、言ってたじゃないか」
あの時、というのは、武が吐いて吐瀉物に土を被せていた時だったから、武は聞いていなかったわけだが、そんな様子を見てなかった浩介は、呆れたように言った。
武にしてみれば、あれで平然としていられる浩介に対して呆れたいところであった。
「三人を殺した後に気づいたことだが」浩介は何かを取り出した。「弘志への、父の日のプレゼントを選んでたんだ」
そのプレゼントも、そして、殺害してしまったという記憶さえも、一緒に埋めてしまったのだ。
そう言って、事務所の机の上に、紙を広げた。
地図だった。
弘志が描いた地図とは違う地図だ。印がつけてある所は、上尾真二が埋められていた場所だった。
「紀子は気付いていたのか」
夫、弘志が、上尾真二を殺したことを。武が呟いた。
浩介が言った。
「罪の告発、警告、そう弘志には思えた。だがこれは……」
「できれば自首してほしかったのかな、紀子は」
武は、ますます、やりきれない気分になった。
「今となっては、もう」
知る由もない。死人に口無しだからな。浩介の言葉が虚しく響いた。
弘志もまた、帰らぬ人となっていた。
浩介が自首を促して、警察へは通報しなかった。
だが、あの日のうちに彼は、自宅で首を吊ったのだった。
その事実を最近になって知り、武は浩介のもとを訪れたのだった。
やるせない。
そんな武の気持ちを察してか、浩介は言った。
「呑みに行くか」
エピローグ
「ねえ、パパ」
弘志は、宏子に服の裾を引っ張られた。
「うん?」
「ママにプレゼントしようよ」
宏子はひそひそ声でしゃべった。
「プレゼント?」
「ははのひ」
「母の日」
弘志はおうむ返しに言った。
ああ、宏子も、そんなことを言うようになったか、と弘志は嬉しくなった。
「ひろこね、絵をかいたの」
言いながら、弘志にその絵を見せた。
紀子を描いたものだった。
弘志は微笑んだ。
「じゃあこれを、母の日に、ママに渡すんだね?」
「ううん」
にいっと宏子は笑った。
紙を差し出した。
それを見て、弘志は、
「宝の地図?」
と訊いた。
「これをうめて、たからさがしするんだよ」
弘志は、我が子の成長を喜ぶとともに、母の日にプレゼントを探させられる紀子の姿を想像して、苦笑した。
でも、それも、親子の良い思い出になるか。
「それは、いいね。すごいぞ、宏子」
宏子の頭を撫でて、髪の毛をくしゃくしゃにした。
唐突に、雨の音が聞こえた。
現実に引き戻された。
彼方へ葬られていた記憶を、思い出していたのだ。
梅雨の時季特有の、じめじめした空気が室内に漂っていた。
だが、弘志は、霧が晴れたような、清々しい気分だった。
天井からぶら下がっている、縄の輪を見つめた。
弘志は、幸福な気持ちで、最期を迎えた。
(了)