宝の在り処
「ふん、お前も他の奴に言わせれば『そんな奴いたっけな』程度なもんだろうよ。まあ俺も言われるまで忘れてたけどな」
武は渋い顔をした。
「君は饒舌だけど、脱線するのが悪いところだね。僕の悪口はおいといて」武はまた釘を刺した。「その弘志がどうかしたの」
「ちょっと偵察してくれないかって依頼が来たんだ」
「弘志から? 奥さんの浮気調査?」
「逆だよ」
「え?」
「奥さんからだ。あと浮気調査ではなくて」浩介はため息をついた。「何だか最近おかしいから様子を見てほしいと」
様子をみるって医者じゃあるまいし、と浩介はぼやいた。
「で、おかしい理由が分かったの」
分かるものだろうか、と首を捻りながら武は訊いてみた。
「それがさ、あれ、リストラされたっぽいぜ」
あれ、とは弘志のことだろう。ずいぶんな言い種だと思ったが武はひとまず、
「リストラ?」
と話を促した。
「毎朝、家を出てから、公園に向かってるんだよ。リストラされたことは家族には言えないから、会社に出勤してるふりをしてるんだろうな」
「それはまた典型的な」
ありがちな話だな、不謹慎ながら、と武。
浩介は話を続ける。
「そんで何するでもなく一日をやり過ごす。そんなことが毎日続いたら、こっちがおかしくなるぜ」
「毎日尾行してるの」
「追尾が可能な範囲でな。なんの動きもなけりゃ飽きるから、飽きたら帰る」
そんなんでいいのか、と武は思いながら、
「君はよっぽど退屈が嫌いなんだね」
と言った。すると浩介は、我が意を得たと言わんばかりに、
「けど、最近は退屈でもなくなったんだ」
浩介の、さっきまでの苦々しい顔がうってかわって、ぱっと明るい表情になった。
その時、ずいぶん前に追加注文していたビールがようやく運ばれて来た。
上尾真二と紀子
上尾真二(あげおしんじ)は、紀子と街を歩いていた。
「弘志がね……最近、変なのよ」
紀子がそう言ったのを聞いて真二は、旧友とのことを思い出した。
学生時代から真二は自由奔放な性格だが、それとは対照的に弘志は、実直で生真面目、四角四面な性格だった。
真二にとっては、特別、意識することもなかったが、弘志はどこか真二に対して敵愾心さえ持っているようだった。
弘志には少し、神経質なところがある、そう真二は感じていた。
「まあ、あいつのことだからなあ」
きっと、些細なことで気に病んでいるんだろう。そう言うと紀子は、
「うん……でも最近、とくによ」
数日後、真二は、近くに来たついでに紀子の家に寄ることにした。
「弘志、宏子のこと……真二の子じゃないかって疑ってるみたい」
「はは、あいつらしいな」
「笑い事じゃないのよ」
「でも俺ら、そんな関係じゃなかったじゃねえか」
真二は女遊びは激しかったが、紀子とは、友達以上の関係はなかった。
「一つ屋根の下にずっと一緒にいると、フラストレーションが溜まっちまう、そんなもんなんだろう」
真二は自分で言ったことに、うんうんと頷いた。
「他人事だと思って」
ふう、と紀子は呆れたようにため息をついた。
「人付き合いがいいのはいいけどな、少し気をつけろよ」
それだけ言って真二は帰った。
その日の夜。
電話がかかってきた。
紀子の携帯電話からだ。
「……はい」
「……」
「もしもし?」
プツッ、ツー、ツー、ツー……。
なんだよ、と呟きながら真二は欠伸をして、もう寝よう、と思った。するとまた電話が鳴った。ちっ、と舌打ちしてから、電話に出た。
弘志からだった。
弘志と真二
真二は弘志の家に着き、インターフォンを押すとすぐに弘志が玄関に出てきた。
「よお弘志、久しぶりだな」
「ああ」
返事をしながら弘志は、中に入るよう真二を促した。
真二はリビングに座り、室内を見回してから、口を開いた。
「妻帯者は大変か? 独り身は気楽でいいぞ」
「……相変わらずだな」
「お前は陰湿さに、さらに磨きがかかったんじゃねえか?」
はは、と真二は笑ったが、弘志は、にこりともせず、テーブルに視線を落としたままだった。
「……悪い、お茶も出してなかったな。コーヒーでいいか」
「あ? ああ。ブラックで頼むよ」
コーヒーを淹れて持ってきた弘志の顔を、真二は、やっぱり神経質そうだな、と思いながら眺めていた。
「どうぞ」
「どうも」
真二がコーヒーをすすった瞬間、これまでほとんど目を合わさなかった弘志が、真二をじっと見据えた。
しばしの沈黙の後。
真二は顔を歪め、苦悶の表情を浮かべた。
弘志は、そんな真二を、冷酷な表情で見つめていた。
「……なにか……入れたか?」
それが、真二の最期の言葉だった。
居酒屋にて(三)
武は店員さんからビールを受け取り、テーブルに置いた。
それから浩介の顔を見ると、目が輝いていた。何か良くないことが起きたな、という予感がした。
浩介は昔から退屈が嫌いな分、刺激的であれば何にでも首を突っ込む性質だった。
浩介は、さらに話を続ける。
「依頼人である奥さんと、連絡がとれなくなった。それだけじゃない。家を見張っていても、弘志は見かけるが、彼女を見かけなくなった」
「ふうん。たまたますれ違いになったんじゃないの」
飽きたら帰ってしまうんだから。
「これはクサイね」
「クサイかなあ」
事件のにおいがする、と浩介が言っている一方で、武は、浩介の話を肴にして呑んでいるようなものだったから、話し半分に聞いていた。
浩介は一気にしゃべって、のどが渇いたのか、勢いよくビールを流し込んだ。
武は、そういえば弘志から『結婚しました』っていう葉書が来てたな、と思い出した。
久しぶりに、弘志に会ってみるか。葉書に書かれていた住所はそう遠くなかったはずだ。
おあいそ、と言って店員さんを呼び、二人は店を後にした。
弘志と武
工具箱からバールを取り出して、しっかりと握る。
弘志は、真っ暗な闇の中にいる。
真二の頭部を目がけ、バールを振りおろす。
殴っている。 何度も、何度も……。
バールを持った手に、鈍い感触が伝わる。
すでに息絶えているだろうが、それでも殴る手を休めない。止まらない。
嫉妬、憎悪。
どす黒い感情が渦巻いている。
「うう……」
弘志は、自分の呻き声で目を覚ました。じっとりと汗ばんでいる。
仰向けの姿勢のまま動けなかった。
「夢……?」
朝日が射し込んだ窓に目を移した。
ベッドから這い出て、時計を見る。
日高武という同級生から連絡があり、久しぶりに会おうと言われたのだ。そして今日、家に来ることになっていた。
身支度を整え、リビングへ入る。
紀子と宏子はすでにリビングにいた。
人に自慢したいくらいの絵に描いたような家庭だ、と弘志は二人を眺めながら思っていた。
しばらくして、武が来た。
玄関へ向かう。
「久しぶり」
「ああ、まあ上がれよ」
「じゃあ遠慮なく。悪いね」
武をリビングへ通すと、弘志は誇らしい気持ちで、
「妻の紀子と、これが宏子だ」
と武に紹介した。