小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

よそう……また夢になるといけねぇ

INDEX|1ページ/2ページ|

次のページ
 
「おっかぁ、俺ぁ、やっぱり呑むのよすよ」
「どうしてさ? あたしのお酌じゃ嫌かい?」
「いや……また夢になるといけねぇ」

 割れんばかりの拍手の中、三柳亭円の輔は深々と頭を下げ、楽屋に戻った。
「お疲れ様です、勉強させて頂きました」
「おぅ……」
 前座が差し出したお茶を一口すする。
 高座を終えてひりつく喉に染み入るようだ。
 ひとしきり喉を湿すと、煙草を取り出して火をつけ、深々と吸い込む。
 落語は客を笑わせる芸だが、話す方は神経を研ぎ澄まして話さなければ客に満足を提供できない。
 そのピンと張り詰めた緊張がニコチンで緩み、頭の芯に血液が溜まっていたかのような凝りが解きほぐされて行く。
『噺家は喉を大切にしなくちゃいけねぇ、煙草なんざぁよしときな』
 二つ目になり、給金をもらえるようになって覚えた煙草、二人目の師匠・円志からそう注意されたのだが、これだけは師匠の言いつけを守れなかった……。
 噺に入り込んで話せば話すほど、素に戻るのに手助けが必要なのだ。
(すみませんね、師匠……煙草だけは手放せませんでした)
 心の中で師匠に詫びるが、師匠も「しょうもねぇ奴だ」といいながらも笑ってくれている。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

 三柳亭円の輔、当代きっての名人と謳われる大御所だ。
 『芝浜』は何百遍と高座にかけて緻密に練り上げて来た演目だが、今でも細部の手直しは続けている、古典には現代のお客さんにはわかりにくくなってしまっているような部分もある、説明を加えるところは加え、思い切って変えてしまった部分もある。
 くすぐりにしても、そのまま現代の言葉を使ってしまったりはしないが、世相の変化には合わせて来ているし、時事問題などをさりげなく匂わせたりもする。
 それが自在に出来るのは噺を知り尽くし、噺を自分のものに出来ているからに他ならないのだ。
 円の輔が得意とするのは人情噺、円の輔が話せばお客さんをそのまま噺の世界に引き込んでしまう、お茶を運んだ前座が『勉強させて頂きました』と言うのは単なる慣用句ではない、円の輔の人情噺を生で聴くのは本当に勉強になるのだ、到達点は遥か先にあるとしても……。
 人情噺が得意と言っても滑稽噺が苦手と言うわけでもない、やはり聴く者を熊さん八っあんの世界へ誘い、存分に笑わすことが出来る、円の輔の滑稽噺を聴いたお客さんは長屋住まいの人情にも触れることになるのだ、滑稽噺を語っても人情味を漂わせる、それゆえに『円の輔といえば人情噺、人情噺なら円の輔』と言われるのだ。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

 円の輔が二つ目時代に名乗っていた名前は三柳亭達の輔、師匠は三柳亭円達。
 二つ目時代から、いや、前座時代から達の輔の素質は光っていた、師匠が自分の一文字を与えていたことからも、その期待度の高さは知れる。
 師匠円達もまた人情噺の名人と歌われた噺家だった。
 良い弟子に恵まれないまま晩年近くになって達の輔に出会い、その素質に惚れ込んだ円達は自らの全てを達の輔に注ぎ込んでくれた。
 直に師匠たちや同僚からも高く評価されるようになり、次代のホープとして脚光を浴びるようになった達の輔だが、一つ悩みを抱えていた。
 師匠を始めとする諸先輩、同僚、後輩、そして寄席の常連さんたちの誰もが「上手い」と認めてくれる、しかし、いまひとつ笑いが取れないのだ。
 円達師匠の人情噺は、お客さんが息をつめる様に聴き入る部分もあれば、どっと笑う部分もある、しかし、達の輔の人情噺は、聴き入る部分こそ師匠に劣らないと評されるものの、可笑し味の部分では師匠に遠く及ばないのだ。
 二つ目と名人なのだから当然と言えば当然だが、その差は決して小さくはない。
 人情の世界に引っ張り込んでおいて、パッと緩めると大きな笑いが生まれる。
 笑いを多く取ってから人情の世界に引っ張り込むと、お客さんをより深く噺の世界へ引っ張り込める。
 要するにメリハリなのだ。
 その事に悩んでいると、同僚や後輩が寄席で大きな笑いを取っていることにも焦りを感じてしまう。

 師匠・円達は若い頃は滑稽噺をむしろ得意にしていたと聞く。
 実際、素顔の師匠はかなりざっくばらんな性格……遠慮なしに言うならばかなりちゃらんぽらんな性格で、大の酒好き、遊び好きとしても知られている、前座時代、酩酊した師匠を迎えに行って背負うようにして帰ったこともしばしばだった。
 しかし、前後不覚に酔っ払っている時でさえ師匠は周囲の者を笑わせていた、身に染み付いた、あるいは持って生まれたフラ、可笑し味が備わっていたのだ。
 そこが自分と師匠の違い、差だ……達の輔がそう考えたのも無理はない。
 達の輔は金が続く限り飲み、遊んだ。
 酒が、遊びが嫌いだと言うわけではない、久しぶりに会った友人と飲んで語り合えば楽しいし、嬉しいこと、祝い事があれば一杯やりたくもなる、しかし、本来の達の輔は酒を飲んで騒ぐより、静かに本を読んだり稽古したりしているほうが性に合う、連日の深酒は達の輔の心を楽しませる事はない。
 無理に遊んでみても、心から楽しんでいない限りフラが身につくと言うものではなく、稽古がないがしろになる分、芸にも良くない影響が出るだけだった。

 そんな折、長年の不摂生が祟ったのだろうか、円達師匠が亡くなってしまった。
 まだ二つ目の身の上、新たな師匠に付く他はないのだが、『達の輔ならば』と言ってくれる師匠は数多いた。
 そんな中、達の輔は自ら望んで師匠の兄弟弟子でもあった三柳亭円志の預かり弟子となった。
 円志は円達とは全く反対だった。
 滑稽噺を得意としているが、素の円志は気難しいことで知られている。
 全くの下戸で酒は一滴も飲めず、たまに義理で出なくてはならない酒席でも烏龍茶を片手に押し黙り、時折常に持ち歩いている手帳に何やら書き込んで難しい顔をしている、そんな、ある意味、学者を思わせるような師匠だった。
 そんな人となりを知っているからこそ、どうして高座ではあんなに笑いを取れるのか不思議だと常々思っていた、そして、そこの何か必ず自分の芸を磨くヒントが隠されていると考えたのだ。
 そして、師匠の笑いは綿密な計算に基づいていると悟り、自身のネタも全て綿密な計算の上に洗い直して、苦手としていた滑稽噺を克服、やがて真打昇進の声もかかった。

 噺家は真打になれば一人前、もう稽古をつけてもらう必要もなくなる。
 真打披露が迫る中、円志は達の輔を呼び出した。

「芝浜を演ってみろ」
「はい」

「おっかぁ、俺ぁ、やっぱり呑むのよすよ」
「どうしてさ? あたしのお酌じゃ嫌かい?」
「いや……また夢になるといけねぇ」

 達の輔にとって芝浜は最も得意とする噺。
 一方、円志はこの噺を高座に掛ける事はない。
 達の輔はお辞儀の後、内心(どうだ!)と言う気持ちで頭を上げた。
 師匠は真打披露に向けて得意ネタを語らせ、自信を付けさせようとしてくれているのだと思ったのだ。
 しかし、円志の顔は笑ってはいなかった。