平安の月
第二章
笹は楓(かえで)と名付けた娘と、終わりのない旅に出た。旅立ちのおり、父親から当面暮らしていけるくらいの銭と貴重な薬草を渡された。そして、どうしても暮らしに困ったらいつでも帰ってくるようにと言われたが、笹は、幼い時に余所に出された家を懐かしむ想いは湧かなかった。
子連れの旅ではあったが、秘伝の薬草は好評で、どこへ行っても有難がられた。しかし、調合するための薬草探しに苦労し、遊牧民のように薬草を求めて各地をさ迷い歩いた。
こうして二年がたち、楓は七歳になっていた。血筋なのか、どことなく気品があるしっかりとした少女に育っていた。
そんなある日、楓と同じ年頃の女の子が、道端でしゃがみこんでいる所に出くわした。付き添っている母親らしき女は、ただおろおろと少女の様子をうかがっている。
「具合が悪いのですか?」
笹が声をかけると、女はすがりつくような目で答えた。
「お嬢さまが急にお腹が痛いと……」
笹は、背負っていた道具箱から薬草を取り出すと、手早く椀に入れて擦りおろし、竹筒の水を注いで薬を作った。
「お嬢さん、ちょっと苦いけれど我慢してね、お腹が痛いのが治るから」
そう言って椀を勧めた。最初は嫌がっていた娘だが、痛みに耐えきれず、その薬を口にした。
「苦い! おばさん、治らないじゃない!」
娘は顔をゆがめながら文句を言った。
「もう少したったら楽になるから我慢してね」
笹はそう言うと、楓を連れてその場を立ち去った。付き添いの女と娘は、礼も言わずにふたりを見送った。
それからしばらく歩いていくと、大きな屋敷が見えた。
「今夜は、この家の軒先に泊めてもらいましょうね」
笹は楓を連れて、その家の門をくぐった。声をかけると家人が出てきた。
「今夜一晩、軒先をお借りできないでしょうか?」
「今、旦那さまに聞いてくるから待ってなさい」
そう言って、下男らしき男は奥へ入って行った。
しばらくして戻ってきた男は、今晩一晩だけだぞ、と言って納屋の戸をあけて、親子を招き入れた。
やがて日も落ち、親子は昼間、川べりで老人から薬草の代金の代わりにもらった粟の餅を食した。その時、納屋の外から狼の遠吠えが聞こえてきた。野宿を免れたことを笹は心から安堵した。
翌日、発つ支度をして外へ出ると、納屋の前で女に出会った。それは昨日、薬を与えた子ども連れの女だった。
「納屋に泊めた親子とはあんたたちだったのかい」
その女は横柄な口調で言った。
「お嬢さんはどうですか?」
笹が昨日の娘を気遣うと、女は答えた。
「ああ、お嬢さまは元気になりなさったよ」
そこへ恰幅のいい男がやってきた。
「旦那さま、おはようごぜいます。おまえら、旦那さまだべ、お礼を言え」
女にうながされ、笹は泊めてもらった礼を言った。楓も可愛い仕草で頭を下げた。
「とめ、さっき話していた光(みつ)の具合とは何のことだ?」
とめは昨日の話を主人に話した。
「それで銭は払ったのか?」
「いいえ、まさか。そんな効くかどうかもわからない旅の者の薬になど――」
佐兵衛は笹に言った。
「すまなかったな、ろくに礼も言わずに。銭を払うから後で母屋の方に来ておくれ」
旅支度を解き、楓にここで少し待つように言うと、笹は母屋に向かった。中に入ると、佐兵衛が囲炉裏の前に座って待っていた。
「まずは昨日、娘を助けてもらった礼を言わなければな。ありがとう。そして詫びなければいかんな。とめや娘の態度は不愉快じゃったろう。
親の私が言うのもなんだが、娘の光はとめを見て育ったせいか気立てが良いとは言い難い。とめは私の妻が嫁いで来た時、実家からついてきた女でな。妻の父はこの辺りでは一番の権力者なので、妻は何でも思い通りにならないと気の済まないところがあった。妻亡き後は、光を育てるとめがこの家の奥を取り仕切るようになったのだが……
あんたの子どもさんはとても気立てがよさそうだ。どうだろう? しばらくここに留まって、光と仲良くしてはもらえないだろうか? あの子も幼いうちに母を亡くし、友だちもいなくて寂しい思いをしている。急ぐ旅でないのならぜひそうしておくれ」
そう言って破格な銭を差し出した。
「昨日の薬草代はこんなにいただけません」
「まあそう言わずに取っておきなさい」
佐兵衛はそう言って奥へ引っ込むと、光を連れて現れた。
「光、このおばさんに昨日の礼を言いなさい。それからおばさんと一緒にいた女の子がしばらくウチにいるから仲良く遊ぶといい」
光は生意気そうな視線を笹に向け、仕方なさそうに言った。
「おばさん、ありがと」
「良くなってよかったわね」
笹はやさしく微笑んだ。