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まつやちかこ
まつやちかこ
novelistID. 11072
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未来の花

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『未来の花』


 彼と出会ったのは春も終わりの頃だった。

 その日もカジェリンは、診療所の一室で作業をしていた。すでに夜も遅く、周囲はこの上なく静かな時間帯。
 大陸で一番広大な領土を持つ国、アレイザス。
 隣国コルゼラウデとの国境近くの街に、十年以上前に構えられた小さな、かつ街で唯一の診療所である。カジェリンが縁を頼ってここへ来た時は、六十過ぎの老薬師が一人で、人々の治療を行っていた。彼の助手としてカジェリンは働き、彼が三年前に亡くなった後、ごく自然にその役目を継いだ。
 当初は女だからと軽んじ、信用しない人々もいたが、ここ一年ほどはようやく、街の薬師として認めてもらえたように感じられる。薬師であることはカジェリンの誇りであり、先祖代々の生業を引き継ぐことでもあり、——自分自身が前向きに生きるための手段でもあった。
 毎年今頃になると、日々暑くなる気候のせいで、急に体調を崩す人が少なくない。早い夏風邪は言うに及ばず、昼間なら日射病、夜中には小さな子供や老齢の人が急な不調を起こしやすい季節でもある。
 そういう患者のためにと、日々の診療が終わっても早寝はせずに、夜半過ぎまでは起きているようにしている。幸いカジェリンは、あまり眠らなくても翌日の早起きが辛くはない体質だった。
 この時期は、風邪の症状ごとの薬を補充するのが毎晩の日課で、今日は残り少なくなってきた傷薬、睡眠薬などの調合も行なった。備蓄している薬草も一部が減ってきたので、近いうちに手配しなければいけないと考えつつ。
 それらの作業が一段落した頃には、周りの家々は明かりを消し、静まり返っていた。とうに夜は更けて、普通の人々は休んでいて当然の時間帯である。
 ここ数日、夜中の急患は来ていない。長患いの病人を抱える家が数軒あるが、昨日今日と往診したところ、どの患者も容態は安定していた。
 しかしそろそろ、飛び込みの患者が来てもおかしくはないとも思っている。理屈ではなく、薬師の勘のようなものだ。
 だから作業を終えても、普段は放ったらかしにしている書物の整理などを、形ばかり試みたりしていた。果たして、しばらくそうしていると、診療所の扉が慌ただしく叩かれた。
 はーい、と応じながら一体誰が急患だろうかと考える。向かい筋のダムスのお婆さんか、裏通りのラナンザのご隠居さんか……それとも先月生まれたばかりの、メルフさんの子供が熱でも出したのだろうか。
 しかし扉を開けてカジェリンが見た人物は、考えていたどの家とも関わりがなかった。
 「……あら」
 「悪い、入るぞ」
 と相手が言ったので、カジェリンは反射的に脇へと避けた。内開きの扉を体の左側で押しながら、右肩に担いだもう一人の人物を文字通り引きずりながら入ってきたのは、屈強な四十歳前の男。
 戸口から診療用寝台の間にある物をざっと押しのけ、彼らが通るための空間を作る。そうして横たえられたのは、彼よりもさらに長身の男性——白っぽい髪に一瞬勘違いさせられたが、よく見るとまだ少年に近い若者だった。気を失っている。
 見たところ、殴り合いをしたらしい痣が顔に二カ所。左腕に刃物の傷もあるが、それほど出血はひどくない。止血の処置をしながら尋ねた。
 「一体どうしたんです?」
 「うちの、若いのなんだがな」
 言いながら、彼——ボロムは、横たわる少年を指差した。何やら難しい表情をしている。
 「ちょっと目を離したスキに、酒場で喧嘩沙汰になりやがって……聞いた話じゃ相手の絡み方もタチが悪かったらしいが、こいつも辛抱の足りないところがあってな——慣れない場所で他人に関わるなってことは言ってるんだが」
 「まあ、そんなに喧嘩っ早い子なんですか」
 どちらかというと大人しげな顔つきの少年に目をやる。意識がない状態のせいもあるだろうが、粗暴な雰囲気は感じられない。
 「いや、そういうわけでもないんだが……」
 ボロムは言いよどんだ。伝えなければいけないことがあるが口にしづらい、といった間の後で、
 「ちょっとな、特殊なんだ。だから連れてきた」
 囁かれた言葉に、カジェリンはわずかに目を見開いた。少年とボロムを交互に見る。
 こちらの考えに確信を与えるように頷いてから、
 「相手が降参しても止めようとしねえから、俺が気絶させた。ここんとこだから、じきに気がつくはずだ」
 自分の首の後ろを示しながら、ボロムが言った。
気を失うほどの傷は見当たらないので頭を打ったのかと気がかりだったが、ひとまず安堵する。ボロムの喧嘩の止め方にいくぶん苦笑もしながら。
 ボロムは自分で組織した傭兵団の長である。小規模ながら構成員の腕は立つと評判で、近隣ではそこそこ名が知られている。
 彼が「うちの若いの」と言うからには、この少年も傭兵なのだろう。年齢的に、まだ見習いの段階かも知れないが。
 止血を終え、顔の腫れた箇所を冷やしてやっていると、手近な椅子に座っていたボロムが立ち上がった。
 「さてと。俺はちょっと外せない仕事があってな、朝までに向こうに着かなくちゃならねえ。何日かしたら迎えを寄越すから、すまないがそれまで預かってくれるか」
 「かまいませんよ。二・三日はまともに動けないかも知れませんし。この傷、深くはないけど関節に近いですから、ちょっと様子も見ないと」
 「——頼むな」
 と言ったボロムの声音はひどく真面目で、単純に身内の若者に対する以上の気遣いが感じられた。
 それが何故なのかは分かっているので、カジェリンは無言で、同じぐらい真剣な表情で頷く。
 とりあえず当座の治療費、とボロムは金貨を十枚ほど机に並べ、カジェリンの静止の声が聞こえないふりをして夜の街へと出ていった。
 ……やれやれ、相変わらずだわとカジェリンは一人ごちる。かの傭兵団長と知り合ったのはここで働くようになってすぐのことだ。先代の老薬師の患者であり古馴染みだった彼は、女であるカジェリンにも最初から、治療を生業とする者に対する敬意をもって接した。
 その態度も、置いていく治療費がいつも実費の倍以上はあることも、カジェリンがここを継いで以降も全く変わりがない。
 この若い人を帰らせる時には払い過ぎの分を持っていってもらわないと。そう考えつつ、金貨を実費分と返す予定分とに分けていると、背後で小さく呻く声がした。
 振り返ると、気絶から覚めた少年が目を開けるところだった。起き上がろうと身体を動かしかけたので、手を貸してやる。
 その手助けを受け入れたものの、この女は一体誰なのかと少年が考えているのは明らかだった。怪訝な目つきでカジェリンを見つめ、次いで室内を見回した。
 「ここは?」

作品名:未来の花 作家名:まつやちかこ