①残念王子と闇のマル
幸せの崩壊
(なんだか、暑い…。)
暑さの原因を確かめようと瞳を開けると、視界いっぱいに人の肌が広がる。
「!!」
驚いて飛び退こうとすると、強い力で抱きしめられた。
逞しい胸に否応なしに顔を押さえ込まれ、私の体温は沸点に達しそうだった。
(なにが起きてるの!?)
パニックになる私の耳に、規則正しい鼓動が聞こえる。
そして愛しい人の、優しい香りが鼻をくすぐった。
「カレン…。」
私は小さく呟くと、ようやく気持ちが落ち着いてきた。
暑いのは、カレンが私を抱きしめて眠っていたから。
鼓動がとくとくと早鐘を打つけれど、心は穏やかに満たされていく。
私はカレンの胸に、頬をすりよせた。
(幸せだなぁ…。)
そう思った時、小さな声がする。
「ん…。」
そして大きなあくび。
「…ふぁ…。」
私はそんなカレンの胸に頬を寄せたまま、声をかけた。
「おはようございます、カレン。」
私の声に、カレンはビクッと体を震わせると、慌てて私から離れた。
「うわっ、ごめっ、マル!」
そして慌ててベッドからとび降りて、私から大きく距離をとる。
「な…なんにもしてないから!これは、寝てる間に無意識にやっちゃったみたいだけど、もうしないように気をつけるから!!」
私はそんなカレンの前に立つと、その腰に抱きついた。
でも恥ずかしくて、言葉がでない。
「…マル。」
カレンは小さく呟くと、私に覆い被さるように抱きしめてくる。
「こんなに華奢だったんだ…。」
鎖帷子を着ていない私の体を、確かめるように何度も抱きしめ直す。
「ん。満足!」
カレンはそう言うと、私から体を離し、頭を撫でる。
「マル。よく眠れた?」
輝く笑顔で顔を覗きこまれ、私は顔が熱くなった。
「…はい。」
すると、カレンが悪戯っぽく笑う。
「いや、僕も驚いたんだ。まさかマルが熟睡するとは思わなくて。」
(忍として失格だな…ほんと。)
苦笑いする私の頭をもう一度撫でると、王子は花が咲くように美しく笑う。
「僕がいることで、安心してくれたなら、すごい嬉しい。」
「カレン…。」
私が見上げると、カレンは優しく微笑んでくれた。
「さて、準備して行きますか。」
言いながら、服を取り出す。
私も自分の荷物から服を取り出すと、カレンに声をかけた。
「トイレで着替えてきます。」
すると、王子はこちらに背を向けて、寝間着を脱ぎながら顔だけふり返る。
「便器に落ちるなよー。」
からかいを含んだ言葉に、私はムッとして言い返す。
「そこまで小さくありません!」
私の返事にカラカラ笑うカレンをひと睨みして、私はトイレへ入った。
なんだかずいぶん一晩で、心の距離が近づいた気がする。
今日もなにが起きるかわからないけれど、カレンと二人なら乗り越えていけると思った。
「今日は暑いな~。」
カレンは胸元のボタンをいつもよりひとつ多く開けて、パタパタと扇ぐ。
「カレン、なるべく木陰に入ってください。」
言いながらカレンとリンちゃんを木陰側に誘導すると、カレンが抵抗する。
「それじゃ、マルと星がずっと日向になるじゃん。」
「大丈夫です。私たちは慣れていますから。鍛え方が違うので。」
冷ややかに言うと、カレンは頬を膨らませながら私を睨む。
「僕だって、鍛練はしてるよ!」
私はカレンに水を渡しながら、頷いた。
「知ってます。鍛練してなきゃ、あんなに武術全般強くないですから。」
カレンは水を一口飲むと、嬉しそうに笑った。
「でも、私は武道の技を研くだけでなく、どんなに過酷な状況でも生き抜け、戦える心身の強さと知識を幼い頃から叩きこまれてるんです。」
カレンはもう一口、お水を飲んで私に水筒を返してくる。
「確かに、マルが体調崩してるとこ、みたことないなぁ。」
そして陽の光に負けない、明るい笑顔で笑った。
「マルはほんとにすごいなぁ。」
(すごい…。)
その言葉を素直に受け止められない私は、カレンから目を逸らした。
私は、忍として汚い任務もこなしてきた。
それをこなすために、訓練自体も…過酷を極めた。
正直、母上はこのことについては知らないし、知っていたら即座に忍を辞めさせていたと思う。
父上も、ものすごく苦しんで葛藤していた。
けれど頭領となるためには、避けて通れないことだったので、心を鬼にして訓練してくださった。
それはわかっているけれど、こうやって純粋に感心してくれるカレンを見ていると、改めて自身がいかに汚れているか思い知らされ、苦しくなる。
(本当に、カレンの傍にいていいんだろうか。)
私はカレンをこっそり横目で盗み見た。
(カレンは、私の真実を知ったら…それでも愛してくれるんだろうか…。)
背筋に冷たい汗が流れる。
陽射しは体を焦がすほど暑いのに、私の心と体は冷えきっていた。
「マル、今度は交替しよ。」
その言葉と同時に星の手綱が引かれ、否応なしに日陰へ連れ込まれる。
「順番な。」
カレンが、陽の光を反射しながら満面の笑顔で私を見た。
「…今日はどこへ向かうんですか?」
私も努めて笑顔で応える。
「ちょっと寄り道したいんだ。」
「寄り道?」
カレンの『寄り道』は白雪姫のお墓参りだった。
カレンは例の花畑に寄って花束を作ると、小人の家へと向かった。
小さな家の扉をノックすると、中から出てきた小人がカレンを見て驚く。
「王子様!!」
「やあ。姫に会いに来たんだけれど、姫はどこにいるのかな?」
王子はお墓の場所を訊いたのだけれど、小人達はばつが悪そうな顔でヒソヒソとなにか話している。
「そろそろ遊びに見える時間じゃが…」
「いいんじゃないか、この際ハッキリさせたほうが…」
私とカレンが顔を見合わせたその時。
「王子様…。」
鈴を転がしたような可愛らしい声が、後ろから掛かる。
(この声は…。)
私とカレンが同時にふり返ると、そこには亡くなったはずの白雪姫が立っていた。
カレンが息をのむ音が頭上でする。
白雪姫とカレンは、お互いに言葉なく見つめ合った。
その時、白雪姫の後ろから明るい茶髪の男性が姿を見せる。
「姫、荷物はこれで全部ですか?」
(!!)
私は心臓がギュッと縮み上がった。
慌ててカレンの後ろへ隠れる。
「マル、どうした?」
カレンが私をふり返った時、茶髪の男がこちらを見た。
「マル?」
そしてカレンの顔を認めると、茶髪の男が口の端を歪めて笑う。
「おや、これは口づけで助かる姫を見捨てて逃げた、残念王子のカレン様ではありませんか。」
花束を持つカレンの手が、グッと拳に握られる。
「そしてその残念王子の後ろにいるのは、娼婦のマルか。」
嘲笑うように言われた瞬間、カレンが私を勢いよくふり返り、目が合った。
私も、そのエメラルドグリーンの瞳に捕らえられたように見つめ返す。
「…しょう…ふ?」
掠れた声でカレンが私に問う。
「!…。」
その声で、私はカレンの瞳から解放され、目を逸らすことができた。
「…どういうことだ、マル。」
今まで聞いたことのない、低く冷たいカレンの声。
作品名:①残念王子と闇のマル 作家名:しずか