①残念王子と闇のマル
(今すぐ、消えたい。)
けれど、昨日カレンと交わした『黙って消えない』という約束に縛られて、逃げることができない。
私は自分を抱きしめたまま、カレンに背を向けた。
「ああ、次の標的はおとぎの国なのか。」
男はわざとらしく手を打つと、嘲るように笑った。
「ははっ。さっすが最高級の娼婦だなぁ、マル。遊び人で名高いカレン王子様ですら手中におさめるとはなぁ!」
私は思わず耳を押さえて、その場にうずくまる。
その時、カレンがゆっくりと男へ一歩近づいた。
「おまえ、誰?」
その声色は、背筋が凍るほどの殺気を孕んでいる。
「あ~、申し遅れました!顔だけで頭の中身は空っぽの、カレン王子様の記憶に私なんかが残っているなんて期待してしまって愚かでした!」
カレンの殺気に怯むことなく…むしろそれを更に煽るように男は言葉を続ける。
「私は、そこの娼婦にまんまと嵌められて隣国に攻め滅ぼされた、今は亡き緑の都の第一王子キースでございますよ。」
キースの言葉に、カレンがチラリと一瞬、こちらを見た気配がしたけれど、私はカレンに背を向けたままふり返らない。
そんな私達を面白がるように、キースは更に言葉を重ねた。
「その女、本当にしたたかな女なので要注意ですよ。なんたって、そんな純朴そうな幼い容姿をしていますが、その容姿を逆手にとって、『初めて』の顔をしながら国の要人や王族に簡単に股を開いて次々と虜にし、諜報するのを得意としている下衆な忍ですから。あなたについてまわっているところを見ると、次の標的はおとぎの国で間違いないでしょう。」
(もう…ダメだ…。)
私の汚い過去を、カレンに知られてしまった…。
私は両膝を抱えて、そこに顔を伏せうずくまる。
(まだ…幸せが始まったばかりで、良かった。傷が浅い内に、元の従者に戻れる…。)
気持ちの整理をつけようとしている私の耳に、『王子』の飄々とした口調が飛び込んだ。
「よく喋る男だね~。」
ため息まじりにそう言うと、王子は白雪姫へ花束を渡す。
「あなたがお元気になられて良かった。救ってあげなくて、申し訳ない。僕にはキースと違って、背負わないといけない国があったものだから。」
その王子の言葉に、キースが歯軋りする音が聞こえた。
「あなたがこれからお健やかに過ごされることを、陰ながら応援しているよ。」
白雪姫が王子に歩み寄る気配がする。
「カレン様。…あの、また…」
「旅のついでに寄っただけだから。あなたは、命を救ってくれた者を大事になさい。」
白雪姫の言葉を遮ってやんわりと拒絶すると、踵を返してこちらへ戻ってきた。
私の後ろで足音が止まると、王子は私の腕を掴んで無理矢理引っ張り上げ立たせる。
「お邪魔したね。きみたちも元気で。」
小人達に柔らかな口調で挨拶をすると、王子はそのまま私を引っ張ってリンちゃんたちのところへ戻った。
「お待たせ~、リンちゃん、星。」
いつも通りの口調で馬達に話しかけると、軽やかにリンちゃんに跨がる。
私は自分の身の置き所がわからず、俯いたままその場に立ちすくんでいた。
すると、馬上から今まで聞いたことがないくらい冷ややかな声が掛かる。
「おまえもさっさと乗りな。」
(『おまえ』)
その瞬間、鋭く尖ったつららで心臓を貫かれたように全身が凍りついた。
動かない私を一瞥すると、王子はそのままリンちゃんの手綱を取り、踵を返して走り去る。
(嫌だ、王子!)
どんなことになっても、王子のそばからは離れたくなかった。
私は急いで星に跨がると、王子の後を追った。
(つづく)
作品名:①残念王子と闇のマル 作家名:しずか