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第五章 騒乱の居城から

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1.桜花の告白ー1



 鷹刀一族の屋敷を囲む、天にも届きそうなほどの煉瓦の城壁。そして、そこに嵌め込まれたかのような、重厚な門。その鉄格子の隙間から、警察隊に扮した斑目一族の凶賊(ダリジィン)たちは、要塞の如き居城を盗み見ていた。
 彼らは、門からの侵入者を阻止するよう命じられていた。しかし、つい先ほど次期総帥、鷹刀エルファンと、貴族(シャトーア)の藤咲家次期当主、藤咲ハオリュウを通してしまった。しかも、貴族(シャトーア)の子供は、彼らの同僚を護衛として従えていったのである。
「中に行った奴らは、どうなったんだ……?」
 彼らは、背伸びをして門の内側を覗いていた。足のサイズひとつ分の高さを増やしたところで、たいした意味もないのだが、そこは気分の問題だろう。
 そんなふうに壁の中ばかりを気にしていた彼らだったが、遠くから猛烈な勢いで近づいてくる轟音の気配には、さすがに気づかざるを得なかった。
 屋敷を囲む長い外壁の彼方に、彼らは小さな黒い点を発見した。やっと視認できるくらいだったそれが、黒塗りの車であると確信を持てた次の瞬間には、目前に迫っていた。
 あわや、というところで、車輪とアスファルトが強烈な金切り声を上げ、車が停止する。
 彼らが全員、轢死をまぬがれられたのは、運転手の腕前と、ほんの一瞬とはいえ、車の発見が早かったためであろう。車輪から弾け飛ぶ火花を一番近くで見た男などは、死を覚悟したほどだった。
「て、敵襲だ!」
 ひとりの男が叫び、狙いも定めずに発砲した。
 車に乗っている者は、総帥の危機に駆けつけた、鷹刀一族きっての猛者に違いない。――そいつを車外に出してはならぬ、との一心だった。
 鋭い銃声と共に、ボンネットの上で弾丸が弾ける。それを皮切りに男たちの銃弾が次々に車を襲い、ボディーを、フロントガラスを蜂の巣にしていった。
 無計画に撃ち続けた弾倉が、空になるのは時間の問題だった。
 急に反応しなくなった引き金のわけを知り、彼らは青ざめた。いつも彼らと苦楽を共にしている愛刀は、今は腰にない。
 皆一様に、恐怖という名の鉄球のついた枷に両手両足を繋がれ、身動きが取れなくなった。車から出てくる相手に脅えながら固唾を呑む。
 しかし、車の扉が開くことはなかった。
 その代わり、頑丈な鉄門が重たい音を上げる。
「なっ……!?」
 誰も手を触れていないのに、格子の門が内側に向かい、左右にふたつの弧を描きながら開き始めた。
「門が勝手に……?」
「中にいる奴が、やっているんだ!」
 遠隔操作で門を開け、車ごと突入する気なのだろう。
「し、閉めろ!」
 男たちの何人かが慌てて鉄格子に飛びつくが、硬いアスファルトに靴底を削り取られながら、門に引きずられるだけである。
 ひとりの男が、はっと顔色を変えた。予備の弾倉の存在を思い出したのだ。慌てて入れ替えると、周りにいた者も彼に倣う。
「タイヤを狙え! 突入させるな!」
 しかし素人の射撃など高が知れている。ましてや狙いを定めにくい低い位置だ。当たるわけがない。
 彼らをせせら笑うように、ぐおん、と荒い鼻息が如きアクセル音をふかせると、車は急発進した。
 門はまだ開ききってはいなかったが、ぎりぎり車一台分の隙間は出来ていた。
 体を張って止めようとする者などいなかった。いたら確実に無駄な最期を遂げていただろう。男たちは放心したように、敷地内に消えていくトランクパネルを見送る……。
 やがて鉄門は、格子を握っている者たちを引きずりながら、再び閉ざされていった。


「庭に行ってください!」
 高く鋭い声が、車内に響いた。
 ルイフォンが身を起こしたときには、既にメイシアが切り込むような目を運転手に向けていた。彼女の右手は胸のところでぎゅっと握られ、あたかも飛び出しそうな心臓を必死に抑えているかのようだった。
「お前、顔が真っ青だぞ」
 ルイフォンは、有無を言わせず彼女の肩を抱き寄せる。
 体の触れ合った箇所から、小刻みな振動が伝わってきた。彼は彼女の頭上に手を伸ばし、黒絹の髪をくしゃりと撫でる。
 暴走車でここまでたどり着き、最後は弾丸の嵐の歓迎だ。防弾硝子があるとはいえ、正直ルイフォンも生きた心地がしなかった。
「大丈夫か?」
 顔を覗き込んできたルイフォンに、メイシアはぎこちないながらも、にこりと笑う。
「はい。それに、これからです」
 目線を移し、彼女は前を向いた。そこでは、桜の木が今日も穏やかに薄紅色の花びらを散らしていた。
 メイシアは優美だが、強い桜だ。繊細で儚げなのに、根がしっかりとしている。だからこそ、無理をして折れてしまいそうで、ルイフォンは怖くなる。
 彼は、つい先ほどのやり取りを思い返した――。


「お前、何をするつもりなんだ?」
「え……。ええと……」
 何故か、メイシアが顔を赤らめた。
「言った通り……です。私が警察隊を説得しますので、屋敷中のスピーカーに私の声が届くようにお願いします」
「何を言うつもりなのか、という意味で訊いている」
 聡明な彼女なら、質問の意図が分からないはずがない。こんなことで声を荒立てたくはないのだが、彼女は自分の身を顧みずに行動する。それが心配でたまらなかった。
 ルイフォンの鋭く光る猫の目に、メイシアは肩を縮こめる。
「すみません」
「謝らなくていいから説明してくれ」 
「……言ってしまうと、勇気がなくなりそうなんです」
「情報の共有は基本だ」
「それは分かります。でも、私を信じてくれませんか……?」
 凛とした黒曜石の瞳が、まっすぐにルイフォンを映した。
 彼女の白い頬には、まだ泥の筋が残っている。比喩ではなく、つい先ほどまで彼女は彼と共に死線を乗り越え――か弱い細腕で、必死に彼を守ってくれたのだ。
 ルイフォンは口まで出掛かった反論の言葉をぐっと飲み込んだ。
 彼女を信じられないような度量の小さな男には、なりたくない。
 万一のときには自分が守ってやればいい――なんて格好いいことを言えるほど、武に優れているわけではないのは自覚している。だが、警察隊が相手なら、少なくとも貴族(シャトーア)の彼女だけは危険がないはずだ。あとは自分の身くらい、自分で守ればいい。
 ルイフォンは傷だらけの自身の体に神経を巡らし、負傷箇所を確認した。そして、「分かった」と、メイシアの頭に掌を載せる。驚いたように目を見開く彼女に、彼は父親譲りの悪戯な笑みを浮かべた。
「お前を信じる」
「おい! それで納得するのかよ!?」
 そう叫んだのは、メイシアとは反対側の隣に座るリュイセンだった。
「作戦を知らなければ、俺たちは動きようもないんだぞ!」
「す、すみません」
「謝るくらいなら、ちゃんと言え!」
 小さくなって頭を下げるメイシアに、リュイセンの凄味のきいた怒声が、ルイフォンを飛び越え、突き刺さる。
 険悪な雰囲気。
 だが――。
「あのぅ、お取り込み中すみませんが、もうすぐ着きます。銃撃に備えて身を低くしてください」
 不幸な運転手の申し訳なさそうな声が、メイシアの味方となったのだった。


 門を守っていたのは一個小隊ほどの偽の警察隊員たちであったが、敷地内には数多くの正規の警察隊員たちが散らばっていた。
作品名:第五章 騒乱の居城から 作家名:NaN