盗賊王の花嫁―女神の玉座4―
黒羽は息をひとつ吸い込んで柄をきつく握る。
絶対に負けない。呑み込まれたりなどしてやらない。
「冥炎、お前はあたしだ」
黒羽はそうつぶやいて体の奥底にまだ潜んでいる力を解放する。冥炎が意識の内側に潜り込んでくる。
奪われるのでなく、掴み取る。
刀身から青い炎がほとばしる。
デヴェンドラが踏み込んできて、炎を払おうとするが全てかき消されることはなかった。
冥炎と神剣の刀身が勢いを殺さずぶつかり合い、衝撃で空気が震え狼の遠吠えのような音が響く。
「馬鹿な……」
折れるどころか欠けることのない冥炎に、デヴェンドラが目を見開く。
炎の飛沫が飛び散る中、互いにぶつかり合った反動で一旦後方へと退き再び前進する。
冥炎も体も今まで以上に軽かった。
特に体は考える間もなく動く。魔族であるデヴェンドラの移動の速度、跳躍力、腕力になにひとつひけを取らない。
(でも、まだ足りねえ)
それでもデヴェンドラに切っ先は届かない。技量が足らないのだ。
力だけでは足りない。
黒羽はデヴェンドラの神剣を持つ手に狙いを定めながらも寸前で躱されてしまう。
疲労と霊力の消耗に一瞬、冥炎に意識を持って行かれそうになるのを踏みとどまり距離を取る。
お互い後一寸足りない中、デヴェンドラが動く。
黒羽は炎を押しだそうとして、ここへ来て受けたアマン課長の指導を思い出す。
力を入れるばかりではいけない。
黒羽はデヴェンドラの動きから目を離さずに、息を吐きながら入りすぎていた肩の力を緩めて刀身に炎を纏わせる。
その間に目前まで迫って来ていた神剣の切っ先が、黒羽の動きを読み切れずに微かにぶれる。
その一瞬の隙を見逃さずに黒羽は抑えていた冥炎の力を一気に解放し、神剣の刀身にぶつける。
みしりと軋む音がする。
そして天井高く吹き上がる青い炎の中に折れた刀身が巻き上げられて、そのまま燃え尽きた。
「ありえない、こんなことは……」
そう呆然とつぶやいたのは、まっぷたつに折れた神剣を見下ろすデヴェンドラだった。
「……ここで、終いだな」
黒羽自身も刀身を折るにまでいたったことに驚きながらも、安堵の息をもらす。
『その体が欲しい。デヴェンドラ、その者の魂を奪うのだ。これはもういらぬ』
話し合いをするにもどうすればいいものかと黒羽が考えていると、神の声が響いた。
かと思えば宙に浮いていた玉座が落下し、意識を失ったネハの体が投げ出される。
「畜生」
黒羽は慌てて動こうとしたものの、急に足から抜けてその場に膝をつく。
「ネハ!」
デヴェンドラが折れた剣を投げ捨ててネハが落ちていく場所まで走る。床に体が打ち付けられる寸前にネハは受け止められて黒羽はほっとする。
「主よ! 器は簡単に取り替えられるものではありません! ましてや人であるか魔族であるかすらわからない肉体になど」
どこにいるかもわからない主神へと、デヴェンドラが戸惑いの声を上げる。
『我は不滅、我は永遠、わ、れ、は……』
神の声の反響が不規則に大きくなったり小さくなったりしながらぶつりと途切れ、黒羽も何かがおかしいと気付く。
「なんなんだよ……くそ、体に力がはいらねえ」
立ち上がろうとするにも全身が重たく、以前霊力を使い果たしたときと同じように動けない。
ここから主神が現れでもしたらまずい。
そう黒羽が焦り始めた時、ぎしぎしと縄が軋むような音が聞こえた。
「崩れる……」
デヴェンドラがネハを深く抱き込んで庇う体勢を取り、何が起こっているのか分らない上に身動きが取れない黒羽は冥炎の柄を握り込むことしか出来ない。
ばらばらと天井が、壁が剥がれ落ちていく。
真白い空間は薄明かりの灯るどこかへと変貌する。最後の一欠片が落ちると、ぼやけていた景色がはっきりして緑と土の匂いが濃くなった。
「外か、ここ」
木々の合間からうっすらと陽が射しているのを見上げて黒羽は目を細める。藍色に紫が滲んでいる空は夜明けか夕暮れなのかはわからない。
「黒羽さん!」
ふと後ろから漓瑞に呼ばれて黒羽は驚くと同時に笑みを浮かべる。
「おう。無事だったんだな……って、てめえなんでここに!」
漓瑞の後ろから現れたムスタファに黒羽は咄嗟に立ち上がろうするものの、できるはずもなく歯噛みする。
「黒羽さん、今、彼は我々と戦う気はないそうです。立てないんですか?」
漓瑞が駆け寄ってきて心配そうに黒羽の顔を覗き込む。
「霊力使い切った時と似てるんだけど、なんか違うな。お前の方は何があったんだよ」
「色々と……後で話します」
確かに今は込み入った話をしている場合ではないと黒羽は、ムスタファがデヴェンドラに向かって静かに歩いて行くのを見やる。
ムスタファに戦意は見られない。ただ、デヴェンドラの顔は絶望に沈んでいた。
「ムスタファ、あなたがここにいるということは主はもう駄目だったのか」
「汝の役目はとうに終わっていた」
デヴェンドラはうなだれ、腕の中のネハを無言で見つめる。
「……ならば、この子は魂を得られるのか」
「新たな魂を得られるだろう。あれはいただいておく」
ムスタファはうなずき折れたデヴェンドラの神剣をみやる。
「ああ。僕にはもう必要のないものだ」
ネハに目を向けたまま、デヴェンドラが力なくうなずいた。そして柄と半分の刀身が残る神剣をムスタファが拾い上げる。それはそのまま彼の手の中で消えた。
「まさか、ロフィットさんの神剣が目的だったのか?」
黒羽は神剣を折られたロフィットのことを思い出し、近くにいるはずだと周囲を見渡す。少し離れた木陰で彼は変わらず意識がなく倒れたままだった。
「監理局の神剣は不純物が多い」
ムスタファがそれだけ答えてふっと姿を消す。声をかける間もなかった。
「……ったく、なんなんだよ」
ムスタファと戦闘にならなかったのはよかったものの、まったくわけがわからない。
そうしてゆるやかに空が明るくなってきてようやく夜明けなのだと気付く頃、意識を取り戻した局員達や盗賊団の魔族が集まってきた。
一触即発の緊張感が漲る中、デヴェンドラが投降を口にして事なきを得た。ネハも遅れて目覚めた後に、唯一ロフィットだけが目を開けなかった。
***
鉱山一帯の瘴気噴出の危険は下がったとみて、数人の局員を残して黒羽達は局舎へと戻っていた。
「う、なんとか立てるか……?」
黒羽は医務部の机に手をついてやっと自力で立ち上がったものも、生まれたての子鹿のように両脚は小刻みに震えている。
「痛みはありませんか?」
なんとも言いがたい顔で医務部の男性局員が問うのに、黒羽は首を横に振る。
本当は痛いのかもしれないが、痛覚が麻痺していて分らない。
「妖刀が抜けるので霊力も枯渇していない、負傷もみられない。全体的に熱を持っている様子なので、重度の筋肉痛に近い何かではと思ったのですが、痛みはないですか」
「ちょっとは痛い、かもしれ……っ、いってえ!」
言われてみれば感覚の遠くの方に鈍い痛みがうっすらある気もすると痛覚を認識した途端、全身に痛みが走って黒羽はその場に崩れ落ちる。
「黒羽さん!?」
作品名:盗賊王の花嫁―女神の玉座4― 作家名: