盗賊王の花嫁―女神の玉座4―
「どうして、ここに」
漓瑞は身構え冷静な顔をとりつくりつつもの、まともにムスタファと戦う術がなく内心酷く焦っていた。
「汝と戦うつもりはない。この朽ちた魂を清めにきた」
ムスタファは視線を白い象へと向ける。
「今からこの神は復活するのではないのですか?」
問いかけながらもデヴェンドラが不足の事態に陥った原因は、この神の魂が復活できない状態でないからではと漓瑞は考える。
「再生は不可能だ。この魂は穢れ腐り、もはや本来の姿には戻れない」
「戻すために清めるのでは?」
ムスタファの目的がはっきりとせず、漓瑞は首を傾げる。
「清めるというのは、我が身に取り入れるということだ……」
まるで答が答えになっていないと再び訊ねようとしたとき、ふと白い象の瞳に意志が宿った。
『死神よ、我はまだ死なぬ。清らかなる新たな肉体を我は得る』
空間全体に声が響き渡って、ふっとあたりが明るくなる。何気なく視線を向けた床は水面のごとくさざめいていた。
「黒羽さん!?」
そして遙か下方にデヴェンドラと対峙する黒羽の姿が見えて、漓瑞は目を丸くする。ただまったくの別空間となっているのか、姿は見えてもなんの音も気配も感じられなかった。
「デヴェンドラか」
ムスタファがそうこぼしながらも視線は黒羽に向いていた。戦意は感じられないが、観察している。
足下まで青い炎が吹き上がってくる。
冥炎の瘴気は感知できないものの、この炎は今までとは明らかに違う。この地にやってきて幾たびか黒羽が冥炎を使う所を見たが、それとすら別物だ。
黒羽の表情がよく見えずに、不安になる。
自己再生能力、痛覚の鈍化。元よりアデルによって作られた神子であり人よりも身体能力が勝っていた黒羽は、以前よりも人から離れた存在へと変わり始めている。
「アデルは、あの子をどうしようとしているのですか……?」
漓瑞はムスタファへと答を求めるが、何ひとつ返事はなかった。
***
剣先が眼前に迫ってきて、黒羽は咄嗟に身を退く。
その動きまで計算していたデヴェンドラの追撃が的確に迫ってくるのを寸前で躱す。
(藍李にちょっと似てるな)
相手の動きを計算し尽くしてその場の支配権を握るやり方は藍李もよくやる戦法だ。デヴェンドラは黒羽の動きや癖を確実に掴んで、先読みの精度は上がっている。
黒羽は黒羽で、持ち前の直感と反射の早さで対応しているものの、主導権はすでにデヴェンドラにあった。
受け身に回りながら、黒羽は反撃の隙を窺う。だがほんの少しでも攻撃を仕掛ける素振りを見せればことごとく躱されてしまう。
「くそっ!」
肩口へ振り下ろされたデヴェンドラの剣を冥炎で受けたが、魔族の腕力には敵わず押し負けそうになる。
体勢を崩す前に、黒羽は刀身から青い炎を吹き出させる。
「それは、妖刀ではないのか?」
神剣を一振りして埃でもはらうかのごとく炎を波を軽々とけしさったデヴェンドラが、訝しげに眉根を寄せる。
「最初はただの妖刀だったんだけどな」
自分の肉体と同じく冥炎も変質してしまっている。神剣でもってすら容易くは折れない妖刀はすでに別の何かなのだろう。
しかし、物心ついた頃から側にある冥炎はなんであろうと愛刀であることに変わりない。
黒羽はデヴェンドラが戸惑う隙を見て踏み込む。
振り下ろした刃は受け止められる。
デヴェンドラの持つ剣は、さっきまではあまり感じられなかった強い力が漲っていた。ロフィットが持っていた神剣よりももっと強大な力だ。
さすがにこれは冥炎でもすぐに折られてしまう。
(神剣相手に連戦はきついな)
ほんの少し前にロフィットと剣を交えたばかりで、冥炎はどこまで保つのか。
デヴェンドラの切っ先が首筋を掠めて、黒羽は息を呑む。
血と魂を捧げよという神の言葉に従って、命を奪いに来ているはずの剣に殺気がない。まるで猟師が獲物を捌くかのように淡々としている。
「……話はきいてもらえねえか」
黒羽は冥炎を構えて、呼吸を整える。
ここまで本気を出していなかったわけではないが、デヴェンドラとはまだ和解の余地があるのではと期待して霊力は多少は温存していた。
だが、じわじわとデヴェンドラの剣は急所へと近づいて来ている。
相手に隙があろうがなかろうが攻撃を叩き込んでいくしかない。
貪欲な妖刀は黒羽が力を全開にするのにすぐさま気付いて食らい付いてくる。手元から剣の重みが消えていく。
妖刀と自分の意識が混じり合って、互いの境界は淡く滲む。
(全部は、持って行かせねえ)
ぎりぎりのところで黒羽は自分の意識を保ちながら、思い切り足を踏み込んで跳ぶ。
デヴェンドラが真正面から受ける体勢を取るのを見ながら炎の濁流と共に突っ込んだ。
「無茶な真似を……」
炎は消されて目前にはしかめっ面のデヴェンドラがいた。
黒羽は勢いのまま斬りかかるが、切っ先は弾かれる。
神剣がそのまま追ってくるのを低く身を屈めて躱し、そのままデヴェンドラの背後に回りこむ。
足を払う黒羽の一閃は届かない。
外した瞬間に後退する動作は間に合わなかった。
「っ……!」
肩から斬り落とさんと真上から振り下ろされた刃が黒羽の右肩を割く。浅くはなく血が吹いた。
痛みはなかった。そのことに動揺しながらも、黒羽はデヴェンドラから間合いを取る。
「人ではないのか?」
出血が止まり傷が浅くなるのを見たデヴェンドラが、不気味な物を見る眼差しで黒羽を凝視する。
「あたしにも、わかんねえよ」
自分が一体どうなってしまっているのか一番知りたいのは黒羽自身だ。
だが今はそんなことにかまっていられないと、黒羽はデヴェンドラが見せた僅かな隙を見逃さずに再び炎の波を起こす。
攻撃はなかなか届かない。
デヴェンドラの間合いに踏み込む度に傷が増えては消えていく。もはや自分でも一体どれだけ攻撃を受けたのか分らないほどだ。
「その魂と血肉ならば、神に捧げるに相応しいか」
どれだけ傷ついても回復してしまう黒羽に、デヴェンドラが半ば感心した口調でつぶやく。
「相応しいもなにも、絶対にやらねえ」
黒羽は目線だけ頭上に浮かぶ玉座へと向ける。
デヴェンドラを止められるのはネハだけだろうが、彼女は意識がなく手が届かない。
「もう、ここまでだ。僕は僕のなすべきことを果たす」
デヴェンドラがまとう空気が変わる。
相変わらず殺意は感じ取れないが、ぶつけられれば人が耐えきれないほどの力を肌で感じる。
「駄目だ」
黒羽が本能的に目の前の力に萎縮していると、冥炎がもっと力をつけ込んでくる。だが、もっと力を解放しなければ一瞬で塵芥になりかねないのもわかっていた。
――恐れないで。受け入れて。
少女の声が耳奥でこだまする。
(紅春《こうしゅん》?)
朽ちかけた冥炎を復活させ、黒羽に己の魂を力として注ぎ込んで身罷った砂巌の公主であった少女の声に違いなかった。
同じ事を命尽き果てる前に彼女は言っていた。だけれども、恐れずにはいられない。
冥炎と同調しすぎれば護りたいために剣を握っているはずなのに、破壊衝動に支配されて自分が自分でなくなってしまうのだ。
(怖がってるから、駄目なのはわかってる)
作品名:盗賊王の花嫁―女神の玉座4― 作家名: