盗賊王の花嫁―女神の玉座4―
悔しい思いを抑え込んで黒羽はそう言い残し、漓瑞と共に坑道を走る。時々ぐらぐらと揺れて、獣の咆哮が轟く。
「うおっ!」
一際大きな揺れがやってきて、走るどころか立っていることすらできずに黒羽達はその場にしゃがみ込む。
パラパラと頭上から砂や岩の粒が落ちてくるのに、このまま崩れるのではないかと危機感に背筋が冷える。
「収まりましたね。仕留めたのでしょうか」
幸い崩れることはなかったが、今度はしんと静まりかえって何も聞こえなくなった。
「漓瑞……」
魔族の漓瑞の聴覚なら多少は状況が分るのではと、彼の顔を見る。
「何も、聞こえません」
漓瑞が首を横に振って、黒羽は坑道の奥へ目を向ける。
「様子見に行った方がよくねえか?」
できることならロフィットの無事を確かめたい。
「……外で待ちましょう。戻っている内にここが崩れないとも限りません」
「でも、もし動けなくなってたらどうすんだよ。ほっとく訳にもいかねえだろ」
負傷して身動きできない状況であったり、早急に治療が必要な状態かもしれない。
漓瑞は困った顔をして考え込んで、仕方ないと諦めのため息をついた。
「呼びかけながら、戻りましょう。声が届く距離になったら救援が必要か確認して、次の行動を決めましょう」
「わかった」
黒羽は漓瑞の指示に従って、数歩ごとに声を張り上げる。しかし、いつまで経っても反響するのは自分の声だけだ。
「おかしいですね。採掘場はそろそろ見えるはずなのですが」
ずいぶん引き返した所で、漓瑞が異変に気付く。
「まさかいつの間にか道が変わったってことか?」
思い当たることといえば、あの一際大きな揺れの時だ。
「そうだとすると、もはや出口すら分らなくなりましたね……黒羽さん!」
漓瑞が何かに気付いた時、ぴちゃんと水音がする。
一瞬で辺りが暗闇に包まれる。
「漓瑞?」
漓瑞が持っていた松明の灯が消えたのかと思い、声をかけるが返事がなければ気配すら感じられない。
黒羽はすぐに冥炎に火をつけて、周囲を照らす。
「くそ、どこだよここ。支局じゃねえよな」
見渡した周囲は明らかに今いたはずの坑道ですらなかった。高い天井と無数の極彩色の柱が乱立している様子は、第九支局の局舎によく似ていた。
そうして広い空間の奥から緩やかに蒼白い光が流れ込んできて、周囲をぼんやりと照らす。
「黒羽」
どこからともなく呼びかけてくる声に、肌が粟立つ。
幼い少年の声は聞き覚えがあった。
「アデル……!」
視線の遙か向こうで子供の影が動いた――。
***
ほんの一瞬の違和感の後、警告の声も遅く黒羽の姿は漓瑞の前から消え去った。
「……まったく、本当に次から次へと」
厳しい顔で漓瑞は歯噛みしながら、視線を周囲に巡らせる。
松明の火は消えてしまっているものの、周囲は蒼白い光に満たされて極彩色の柱が無数に乱立する広い空間ということはわかった。
これだけ広ければ同じ空間の別の場所に黒羽もいるかもしれない。あてどなく歩くべきか、ここで耳を澄ませてじっとしているべきか悩ましいところだ。
漓瑞は柱の一本に近寄って何が描かれているのか目を細めて観察する。
赤い地に緑の蔦草、金色の鳥、青い花。小指の爪の先程しかないそんな文様が、螺旋状にびっしりと描き込まれていた。
花が散っては咲くを繰り返しているのは、命が生まれ変わることを現わしているのだろうか。
どの柱も同じ模様で、一度動けばここに戻れないのは確実だ。
「黒羽さんは、動いているでしょうね」
もし、似た場所にいるのなら黒羽がじっとしていられるとは思わなかった。
ならば入れ違いになるのを避けるために動かない方がなどと考えていると、広間の奥から足音が聞こえて来た。
黒羽のではない。
「……ここで何を」
柱の陰から出てきたのはデヴェンドラだった。どうにかこの状況を説明してもらえそうではある。
いきなり斬りかかってくる気配のないデヴェンドラの腰の剣に視線を一瞬だけ投げて、漓瑞は彼の顔を見上げる。
「来たくてきたわけではありません。採掘場にいたのですが、気がついたらここに。もうふたり局員ともはぐれました。……どちらも見ていませんね」
デヴェンドラの最初の様子からすると、黒羽とロフィットには遭遇していなさそうだ。
「ここはかつての王宮だ。地上のどこでもない場所。神の復活の時が来て、道が繋がった。だが、回廊が捻れてしまっている。僕の記憶にある限りでは、こんなにも広くはなかったはずだ」
周囲を見渡しながらデヴェンドラが、苛立たしげに眉根を寄せる。
「ということは、あなたも迷っているのですか」
デヴェンドラが外に繋がる道を知っているかと思っていたが、これはまったくの期待はずれらしい。
「……そうだ」
むっとした顔でデヴェンドラが迷子になっていることを認める。
「お互い、ここで争うのは懸命ではありませんね。この状況、どこまで把握していて把握していないのですか?」
神の復活を先導していたデヴェンドラにとってもこの事態は想定外のことらしいとはいえ、少なくとも自分よりは何か分っているはずだ。
「僕が主神の器となるはずだったのに、なれなかったからこうなったのだと思う。他の神々は同族の体を器に、いくつかの選ばれた人間の魂もこの国の人間を器にして復活するはずだったのにできていない」
不服そうに語られることに、漓瑞は倒れていた支局員や魔族を思い出す。
彼らが新しい器となるのなら、元の彼らの魂は一体どうなってしまっているのか。
「局員達の魂は損なわれたのですか?」
「いや、同族達も人間も魂は損なわれなかった。今は衝撃で気を失っているだけのはずだ」
魔族はともかく、支局員は無事ということで漓瑞は安心する。
「なぜこんなことになったのか、心当たりは?」
核心に触れると、デヴェンドラはふと目を逸らしてしばし黙り込んだ。そして重たげに口を開く。
「ネハかもしれない。彼女の元へたどりつく直前に、ここに送られた。あそこは主神の復活の時にも影響の及ばないはずの場所だった」
「あなたは、奥方を探しているのですね」
ネハの名を口にした時には焦燥が見て取れた。
「ああ。見つけられないどころか回廊からも出られない」
声を萎ませて言うデヴェンドラに、思わず漓瑞は深いため息をもらす。そうすると、彼は眉間の皺をさらに深くした。
「……ここを抜け出る方法はまったく思いつかないのですか」
「この回廊は王宮の外回廊だ。王宮内部に繋がる表門と裏門の二箇所の扉がどこかにあるはずだが、見つからない」
「何度かは訪れたことはあるのですよね」
どことなく自信なさげな様子に、漓瑞は不安になって訊ねる。返答はすぐに帰って来なかった。
「この肉体では、初めてだ。記憶にはある」
それは書物に書かれた絵を見て『覚えている』ということと同じでないだろうか。
「生まれ変わる前のことですか。それは一体どれだけ前で、どこまで正確なのですか?」
魔族の寿命は長ければ三百年ほどある。気が遠くなるほど昔では、まったく当てにならない。
作品名:盗賊王の花嫁―女神の玉座4― 作家名: