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盗賊王の花嫁―女神の玉座4―

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「まだ主神がおわす頃だ。引き継ぐ記憶は必要最低に留めていて正確だ。西の要の神のように、好きに膨大な記憶を保持していられればよかったのだが」
 遙か昔すぎではないかと呆れる一方で、漓瑞は引っかかる一言にデヴェンドラを見上げる。
「要とされる神のことをしっているのですか? ……私の祖先は東の要であったそうです」
 数多の神が存在した頃、その中でも特に力の強い要とされる神がいたという。他の要に関してはまだ何も分っていない。
「玉陽の……! 彼の女神は監理局に一番最初に屈した記憶がある。だからあなたも監理局に従っているのか。後は南と東と、西に一柱ずついたはずだ。南の要の神とは会ったことがある」
 何かに違和感を覚えたのか、デヴェンドラが口を噤んで考えこみ始める。
「気になることでも?」
「保管しておくべき記憶が欠如している気がする。僕らの主神が封じられた後、どうなったか。おかしい。記憶の保持が不完全だ」
 一番知りたい監理局の空白の三百年のことが、彼の記憶から抜けているのではないのか。
(彼は、主神の復活のためだけに残されたのか)
 かつての王といえば聞こえはいいが、主神の傀儡でしかないのではと漓瑞は考える。
 多くの神々。従える者、従う者。その関係は複雑に絡み合って真に上に立っているのは誰なのかが曖昧にされる。
 空白の期間を知る魔族の末裔がどこかにいるかもしれない。
「……監理局の神剣は紛い物だと、あなたは仰っていましたね。なぜですか」
 とにかく少しでも情報を引き出そうと、漓瑞は質問を重ねる。
「あれは……」
 思考を止められたデヴェンドラが煩わしそうな顔をしながらも答えかけた時、がらん、と金属が転がる音がした。
 ふたりが音のした方へと目を向けると、そこにはまっぷたつに折れた剣とおぼしきものがが転がっていた。
 一瞬、冥炎かとひやりとさせられる。しかし、近づいて見れば違うとすぐにわかった。
 しかしまったく知らない剣ではなさそうだった。
「これは、神剣ルーベッカ?」
 ロフィットが持っていた神剣とよく似ているが、まるで力を感じない。
「その剣はもう死んでいる」
 デヴェンドラが柄に触れるとどろりと神剣は溶けて、後には赤黒い血のような水たまりができた。
「持ち主がどうなったかわかりますか?」
 神剣が折れるなど、ただごとではない。
「いや。だが、主神が復活された様子もないのに、なぜこんなことばかり」
「……何者かが介入している可能性は?」
「神の復活をしっているのは僕と今、眠っている仲間達だけだったはずだ。他にいるはずがない」
 頑なな物言いに、漓瑞は訝しむ。
「渡し人は? 彼らは元々同族でしょう」
「いいや。彼らとは袂を分ってから一度も接触していない。彼らは主神の記憶を放棄したはずだ」
 そんなはずはない。藍李かは渡し人から何らかの情報は得られたのだろうから、自分達に鉱山で待機の指示があったのだ。
 何かが食い違って、噛合っていない。
「おそらく、あなたの記憶には抜けがあるはずです。ここから出ないことにはどうにもなりませんね」
 ロフィットの神剣がああなってしまった現状、黒羽の安否も不安が増してくる。
「ネハを見つけなければ……」
 そうは思えど、見渡す限り同じ景色でふたりは途方にくれるしかなかった。

***

「あの野郎、どこ行きやがった……!」
 黒羽は一瞬だけ姿を見せたアデルを探して、やみくもに回廊を走り続けていた。しかし、いつまでたっても見つけられずに立ち止まり悪態をつく。
 そして周囲を首を巡らせて、あれだけ走ったというのにまるで景色が変わらないことに顔を顰める。
 こんなわけのわからない空間で漓瑞達とはぐれただけでも落ち着かないというのに、どこかにアデルがいるとなればなおさら焦燥が募る。
「戻った方がましか……」
 黒羽は先に進むべきか、それとも引き返すか来た道を振り返る。
 とにかく真っ直ぐに走ったはずなので、後退すればもといた場所へはもどれそうなのだが。
「こうなりゃ、どこ向かっても同じそうだけどな」
 いっそ右か左かにでも曲がるかと思いつつも、黒羽は体を反転させて来た道の奥へと目を凝らす。
 奥は暗く特に人影が揺れている様子もない。
 どうしたものかと何気なく一歩だけ戻ったとき、一瞬目の前が真っ白になった。そうかと思うと景色ががらりと一変した。
 今度は鬱蒼と木々が覆い茂る外だった。
「くそ、また飛ばされた……」
 舌打ちして、黒羽はふと景色に既視感を覚える。伸びきった木々や踝まで茂る下草はどことなく人工的で統一感がある。
 恐る恐る足を進めて見ると、黄色い薔薇の低木も見えた。さらに先に行けば、大きな大理石の水盆があった。
「あの商人の屋敷の中庭、か?」
 魔族のデヴェンドラと駆け落ちした令嬢ネハの生家である屋敷の中庭だ。だが屋敷は見えないので、よく似ていても同じ場所ではない。
 水盆に近づいて、黒羽は息を呑みすぐに駆けだす。
 浮いているのは睡蓮でなく、ひとりの女性だった。
「おい、大丈夫か!?」
 仰向けで眠っているかのように水に浮かぶ女性を抱き上げて、黒羽は体を軽く揺すって声をかける。
 体は暖かいを通り越して熱い。そこで彼女の体がまるで濡れていないことに気がつく。
「……あ」
 かすかな吐息と共にゆっくりと長い睫が重たげな瞼が上げられて、澄んだ茶色の目が露わになる。掠れただれ、と誰何する声が唇からこぼれ落ちた。
「監理局の黒羽です。もしかしてネハお嬢様ですか?」
 こんな所にいる人間の女性となれば、彼女しか思いつかなかった。
「監理局……デヴェンドラは、どこ? わたくしの、夫は……」
 ぼんやりとした瞳が徐々に焦点を結び、動揺に揺れる。
「いや、会ってないです。それより、体は? 動けそうですか?」
 熱があるのではないのかと顔を覗き込むと、彼女ははっとした顔をして身じろぎする。
「自分で動けます。あの、申し訳ありませんが……」
 黒羽の胸を軽く押した所でネハが不可解そうな顔をする。
「失礼なことをお訊ねしますけれど、あなた、女性で?」
「ああ。紛らわしい顔ですけど、女です」
 そういうことかと黒羽はうなだれてネハの問いかけにうなずく。
「いえ、ごめんなさい。ここは、屋敷ではありませんよね」
 黒羽に体を支えてもらいながら水盆の縁に腰掛けたネハが、周囲を見渡す。生まれ育った当人が違うというなら、違うのだろう。
 黒羽はここまで来た経緯をかいつまんで説明する。
「あたしも仲間とはぐれて迷ってるんです」
「わたくしも、気がついたらここにいたので……」
 ネハが疲れたため息をついて、重たげに頭を振る。そのしんどそうな様子に黒羽は心配になる。
 服越しでもわかるぐらいにネハの体は熱を持っていて、大丈夫とは言いがたい。
「熱、あるんじゃないんすか?」
「熱いのだけれど、熱があるのとは少し違うと思いますの。あの、これからどうなさるのですか? 夫を捕らえに来たのでしょう」
 自分の身よりも伴侶のことを気にかけているネハに、黒羽は目を伏せる。
「それが、監理局の仕事ですから。今の所は窃盗と公務執行妨害、か? とにかく罪状自体はそんなに重くはないはずです」
作品名:盗賊王の花嫁―女神の玉座4― 作家名: