盗賊王の花嫁―女神の玉座4―
「他に手段も何もありませんでしたし、気にしすぎることはありませんよ」
「死んでるからな。襲ってきたなら正当防衛ってやつだ」
漓瑞とロフィットが言うように、そうする以外手段はなかったのはわかっているので黒羽は考えすぎないことにする。元より悩むのは得手ではないので、気を持ち直すまではそうかからない。
そして進んでいくと再び木陰に人が倒れているのが見えた。
「局員じゃねえな」
倒れていたのは六人で片耳に局員章がない。両手の甲には魔族の証である刻印があった。
「文様が左右で違いますね。……純粋な神というのとも違う」
かつて神であった者達は人間の血を受け入れ、魔族と呼ばれるようになった。人の血が混ざらずにいると、両手に刻印があることが特徴だ。
「盗賊団の一味か? 彫り物でもなさそうだな」
黒羽もしゃがみ込んで両手の刻印を見比べてみるものの、どちらかが後から意図的につけられたものには見えなかった。
「局員と同じで気を失ってるだけだな。こいつらがいるってことは瘴気の大元に近づけてそうか。漓瑞さん、瘴気はどんなかんじだ?」
「かなり濃くなってきています。この道の奥の方かと」
かつての坑道への入り口に繋がる道の先を漓瑞が示す。
「さっさとすませちまいたいけど、簡単にはいかねえよなあ」
真っ暗で何も見えない道の先からは一体何が飛び出してくるのか。警戒を強めながら黒羽達はさらに慎重に進んでいく。
坑道へ続く道は長らく使われていなかった割には下草は少なく、倒木が道を塞いでいることもなくきちんと道としての役目を果たしている。
そうして坑道の入り口まで辿り着くと、漓瑞が一瞬顔を顰めるのが見えた。
「きついか?」
よほど瘴気が濃いのかもしれないと、黒羽は彼に確認する。
「ここから吹きだしてきています……。天幕を張り続けるのは難しいかもしれません」
「よし。俺が外を見てくる。これ出た途端全然別の場所に飛ばされないことを祈っててくれ」
ロフィットがそう言って慎重に体を出して、黒羽と漓瑞はじっと彼を見守るが姿が見えなくなることはなかった。
「あれ、見えるってことは大丈夫か?」
ロフィットも奇妙な空間に飛ばされた訳ではなさそうで、こちらに手を振って漓瑞に天幕を外してみてくれと言った。
「……大丈夫ですね。しかし、これはまた濃いですね」
天幕が消えた途端むわっと体中が瘴気の不快な感触に包まれて、黒羽も顔を歪める。
「だいぶきついな。でも、進むしかねえか」
おそらくこの先に何かはあるはずだ。
「よし、俺が先頭に立つからおふたりさんは後ろ頼む」
神剣を抜いたロフィットが前に立ち、黒羽達は暗闇のさらに奥へと踏み込んでいった。
***
坑道の中は外と比べて幾分涼しい。ただそれ以上に濃い瘴気が体中に纏わり付いてきて、半固形のどろどろした何かの中を歩いているような、体の重さと息苦しさを感じる。
「だいたいなんでいっつも穴蔵の中入って行かなきゃならねえんだか」
神々にまつわる事を調べる時、大抵地下や洞穴に入って行くことばかりだと、黒羽は愚痴をこぼす。
「隠すなら穴彫って埋めるぐらいしかないからじゃね? しっかし、この瘴気で妖魔が一匹も出ないのは変……漓瑞さん。大丈夫っすか?」
ロフィットが辺りを見回しながら、顔が強張っている漓瑞に気付いた。
「お前、体きついんじゃねえのかよ」
漓瑞の半歩後ろを歩いていた黒羽はロフィットの言葉を受けて彼の覗き込み、あまり平気そうではないと不安になる。
「継続して力を使っていた影響でしょう。それより、何か聞こえます」
漓瑞が坑道の奥へと話を逸らして、黒羽とロフィットは耳をすませる。
かすかに風が唸るのに似た音があった。
「どっかから風が通り抜けてるっていうにも、ここは全然風がないのは妙だな」
ロフィットが立ち止まって、黒羽と漓瑞も彼の判断を待つことにした。
「……よし、もう少し進んでみるか。やばそうだったら後退っつーことでいいか?」
「はい。漓瑞、お前、本当に大丈夫だな」
黒羽は漓瑞に念押しし、彼がうなずくのを確認して再び奥に向かって歩き出す。進むにつれて坑道にこだまする音は大きくなっていくと同時に、奇妙な音も混じり始める。
生木が折れるような音に、くぐもった音。風に似た音が不定期にするたびに、焦げ臭さと生臭さが混じり合うなんともいえない不快な悪臭まで漂ってきた。
(できれば見たくねえもんありそうだな)
黒羽は酷い匂いにしかめっ面で明後日の方向へ視線を向ける。口を開くとまともに悪臭を吸ってしまいそうで、誰もが重たい無言を保ったまま音の正体にだいたいの予想をつける。
何かの呼吸音と、咀嚼する音だ。それも、相当巨大な生き物だろう。
問題は、一体何を食べているかだ。
(さすがに人間じゃあねえよな)
局員達は皆、坑道の外で意識を失っていて、咀嚼音からしてもっと大きい。
「おっと」
先頭を歩いていたロフィットが声を上げて立ち止まる。
「行き止まりっすか?」
「いや、ありゃすごい。ほら」
漓瑞がロフィットが顎で示す少し先に、松明の明かりを向ける。
「なんだ、あれ。大きすぎるだろ……」
道の先は下り坂になっていて先にはだだっ広い採掘場があった。その中には巨大すぎる妖魔がうずくまっていた。
鯨ほどはありそうな大きな妖魔は胸から上が虎で、胸から下が蛙だ。
「妖魔を、喰ってるのかよ」
巨大な妖魔は時々口から火の粉が飛び散らせながら、牛や馬に似た中型の妖魔を無心に屠っていた。
妖魔が坑道から湧き出ないのは、あれが端から食べてしまっているからだろう。
「ここで戦闘になるのはまずいですね……」
あんな巨大な妖魔が暴れたら、坑道が崩れて生き埋めになりかねない。
「退却だな」
ロフィットが即決して、三人は一度外に出るために息を潜めて引き返すことにする。だが、不意に妖魔が食事を止めて首をこちらに向けた。
そして立ち上がり口を大きく開けたと同時に、ロフィットと黒羽が剣を抜く。
牛蛙と獣の鳴き声が混ざり合ったざらついた咆哮。
それだけで坑道全体が揺れる。
「くっそ、やるっきゃねえ」
ロフィットが神剣を振るう。
目に見えない浄化の力が空気を振動させながら、妖魔に向かう。
妖魔が口から火を吹き出してその力を受け止める。神剣の浄化の力は妖魔の炎を打ち消したものの、木か何かに燃え移った残り火に照らされた妖魔の体は無傷だった。
神剣の力と拮抗するだけの力を持つ妖魔に、三人は愕然とする。
監理局の長い歴史の中で、たった一匹で神剣と対峙できる妖魔の記録はない。
「ふたりは外へ走れ! 俺はできるだけ奴が動かないように止める」
視線を妖魔に向けたまま、ロフィットが黒羽と漓瑞に命じる。
「あたしも戦います!」
ひとりよりもふたりの方がまだましなはずだ。
「妖刀と神剣じゃ、一緒に戦うには相性が悪い、行け!!」
強く言葉を叩きつけられて、黒羽は歯噛みして踏み出しかけた足を留める。
「黒羽さん、ここは」
そして漓瑞にも促され、背を翻す。
何もできないのは嫌だが、足を引っ張るのはもっと嫌だった。
「頼みます。外で待ってます」
作品名:盗賊王の花嫁―女神の玉座4― 作家名: