盗賊王の花嫁―女神の玉座4―
「デヴェンドラと我々の祖先は同じく水を媒体として道を開く神族でしたから、とても近いのです。我々は神でも人でもない存在となり、残った者は神として生き続けご存じのようにの血を受け入れ魔族となったのが今です。地下水道と地下水脈は境がほんの薄い紙切れ一枚程度のもので、今回は何らかの変質によりこうなってしまったのでしょう。我々も困っています……」
続けて喋った後、老人の体が不意に傾ぐ。倒れるのかと藍李とハイダルは立ち上がり駆け寄ろうとしたが幸い彼は額を抑えながら持ち堪えた。
「大丈夫ですか? 医務部の者を呼びましょうか?」
ハイダルが気遣わしげに問うと、老人は弱々しく頭を横に振った。
「水路の外に出ることがないので、地上の空気に慣れないだけでございます。……本来、我々は記憶を引き継いでも、記録は残してはいけない。他者の記憶に留めてもいけないと女神と制約を交わしました。しかし、世界を繋ぐ水路を維持するのは祖先から引き継いだ大事。だからこそ制約を破り、ここまで参りました……ああ。そうです。これは代償。私の、私の肉体は消える。魂も消える。どうか、この体は水路に投げ入れて下さい、ませ」
途中からうわごとのように喋り続ける老人の動きがぴたりと止まったかと思うと、彼は今度はその場に倒れた。
「嘘でしょ……大丈夫ですか!? 声が聞こえますか!!」
藍李は唖然としながらもハイダルと共に老人に駆け寄る。
仰向けにそっと寝かせた老人の目は伏せられていた。藍李は老人の手首を握り脈がないことに愕然としながら心臓にも耳を当てる。
「駄目だわ……」
そして蒼白な顔のハイダルを見上げて首を横に振った。
***
渡し人の老人に奇蹟が起こるわけもなく、そのまま遺骸を水路に沈めることになった。
無論、彼が死んだことは他の渡し人にも告げた。そして返ってきたのは水路に葬ってくれとの答だった。親族という概念は渡し人達にはないらしく、魂のない肉体はただの器にすぎず最後の別れも不要だと告げられた。
記憶が失われたと、渡し人は言い残して船着き場から離れた。棺を運ぶのを手伝った三名の局員にも退出してもらっていて、い、水葬に立ち合うのは藍李とハイダルだけだ。
藍李とハイダルでその日の内に木棺を用意した。急ごしらえで葬儀すら行えないことに後ろめたさはあった。
だが、葬儀というのは女神の元へと魂を送る儀式だ。
しかし、老人の魂は消え去ったという。
送るべき魂もなければ、彼らにとっての神は一体誰なのだろう。
立ち尽くしたまま藍李は黒い水面に沈みんでいく棺を見つめていた視線を、隣で両膝をついて祈るように両手を組むハイダルへと移す。
彼の表情は硬く組んだ手は、強く握りしめすぎて震えてる。
「ハイダル、気にしすぎるのはよくないわよ」
藍李はハイダルへ静かに語りかける。
まさか渡し人が女神との契約について他言したとき、命が尽きることになっているなど予想もしなかった。
彼らが水路についての状況を説明するのに時間がかかったのは、きっと犠牲を誰にするか決めるまでの時間だったのだろう。
「……この犠牲にどう報いればいいのでしょうか」
ハイダルが苦しげに声を絞り出して、藍李は棺が沈んで凪いだ水面を見やる。
「ここでいつまでもいるのは弔いにはならないわね」
結果を悔やみ悲しんでいても何も始まらない。
ハイダルがうなずく代わりにゆっくりと指を解いて、立ち上がる。そして立ち去ろうとしたとき、船着き場に降りる石段を踏む音がした。
「お、なんだ、もう終わっちまったか」
やってきたのはオレグで、その後ろにはランバートもいた。一応は本局長であるランバートに渡し人が死亡したことは書面で報告していたので、ふたりが来ること自体は不思議ではなかった。
「こないかと思ったわ」
「悪かったな。ちょっと深酒して寝過ごしたんだよ。俺は正直どうでもよかったんだが、本局長様がどうしてもって言うから来たまでだ」
オレグのいい加減さに苦言を呈する気にもなれず、藍李はうつむき気味のランバートを見据える。
「渡し人が秘密を打ち明けたらこうなるって知ってた?」
ランバートの瞳が怯えたように一度震えて、何も知らなかったのかと彼が首を横に振るより先に悟った。
不測の事態に動揺している時の顔だ。
「兄上から渡し人についての話を聞いたことはなかった……」
「アデルの奴に信用されてないんじゃないか、お前。これ、南部の支局でのことに渡し人が関係してるって事なんだよな? ったく、協力してやるって言ってるのにアデルは本当に情報よこさねえな。坊やも災難だったな」
オレグがぼやきながら藍李とその一歩後ろにいる、いまだに沈痛の表情を浮かべるハイダルに笑いかける。
「……そちらも今、ジャロッカで何が起きようとしているのか知らないのですね」
「今現在何が起きてるかもしらねえよ。どういう状況だ?」
ハイダルが逡巡した顔を藍李に向けて、話すべきか判断を待つ。どのみちあとで本局長に報告はすることなのだから、かまわないだろうと藍李は現状をかいつまんで教える。
ランバートの様子からして、アデルからの連絡は一切なさそうだった。
「なるほど。もしかしたら神々は瘴気が発生しないように、自主的に眠りについたのかもしれない」
藍李達の仮説をランバートも口にする。
「でも、鉱山には瘴気がたまってんだろ。神様達は自分らの瘴気は抑え込んで、人間の方は放置って酷い話だな」
話が長くなりそうな気配を察して、オレグが石段に腰掛ける。
「……支局の地下に神々の魂、鉱山は行き場を失った人の魂。聖地はなんでしょうか」
ハイダルが異変の起きている三地点を上げていく。
「足りないのは主である神ね。……玉陽の時、アデルは神の復活のために瘴気を集めてたわね。あー、そういうこと? 嫌だわー」
藍李は自分の考えに苦虫を噛み潰したような顔をして頭を抱える。
「なるほど、神様達は復活のために瘴気を自ら蓄えておいてるってことか。えげつないな」
オレグが藍李の思考を口にして、ランバートとハイダルも顔を強張らせる。
「水脈を使って移動しているのなら、神の魂が動き出した時になんらかの大きな力が作用した反動で陥没ができたということかもしれないか」
ぼそぼそとつぶやくランバートに、それが妥当な線だろうと全員がうなずく。
「移動した先はやはり鉱山ということでしょうか」
「そうでしょうね。結局、焦点は鉱山でいいわけね。あとは、神剣の問題だけどそこも何も聞いてないのね」
すでに話をしたオレグでなく、ランバートへと答を求めると彼は曖昧に首を横に振った。
「子供の頃に、これがある意味監理局の罪の象徴とだけ聞いた。神殺しに使っていただけだとおもっていたが……」
「使えないわねえ」
藍李は弱腰なランバートにわざとらしく冷たい視線を向ける。
(あの人、ランバートを都合よく使ってるだけで、肝心なことは本当に教えてないのね)
ランバートはアデルがどうしても動けない時にだけ、あるいはひとりでは手が足りないときにだけ必要最低限の情報を与えられているのにすぎないのかもしれない。
(今、ランバートが状況を把握していないのは、あんまりよくないかしら)
作品名:盗賊王の花嫁―女神の玉座4― 作家名: