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盗賊王の花嫁―女神の玉座4―

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 目を開けると見慣れた天蓋の紗が見えて、ネハはああ、またかと思う。
 体を起こして寝台から降りると裸足の足裏に馴染んだ絨毯の感触。ここは自分が生まれ育った部屋。
 だけれど、捨ててきたものだ。だからこれは現実ではない。この頃よく見る夢だ。部屋はが明るいのか暗いのかすら分からない。
 調度品や絨毯の模様がはっきり分かっても自分の手足や体が見えなかった。
 窓の向こうから子供の笑い声が聞こえてきて視線を向けると、瞬きひとつの間に淡い光が部屋を満たす。
 窓辺に立つと、弟のニディとデヴェンドラがふたりで一緒にいる様子がぼんやりと見えた。
 デヴェンドラが庭師になってから、窓辺から見える景色が変わった。
 植物たちがどれも光を纏っているかのように、眩く生気に満ちあふれていて外を見る回数が増えた。今までの庭師と何が違うのかと、とても興味深かった。
 あの指先に特別な力でもあるのだろうか。魔族というのは特別な力をもっているというから、それかもしれない。
 ある日、自分は一輪の黄色い薔薇をと、窓辺からデヴェンドラに声をかけた。
 ニディが家庭教師の下で学んでいて、庭には彼ひとりしかいなかった時だ。
 デヴェンドラはとても驚いていた。話しかけたのは初めてだったのだ。
 女というのは不必要に家族以外の男と口をきかないのが作法だ。だからニディからデヴェンドラの話は聞いても、直接言葉を交わす事はなかった。
 デヴェンドラは特に大きな花を咲かせる薔薇を一輪摘み取ると、茎に厚手の手袋を嵌めた手で茎を撫でて器用に棘を落とす。
 そして窓辺におずおずと近寄って、彼が薔薇を差し出す。
 間近で見ると、手折ってしまったのを申し訳なく思うぐらいに立派な薔薇だった。
 ネハはそっと薔薇を受け取りながら、デヴェンドラが手袋をつけたままでいることを残念に思う。
 欲しかったのは薔薇ではなくて、彼のこんなにも美しい花を育てる不思議な指先に触れてみたかった。
 そんな好奇心を押し殺し切れなかった。
 薔薇からデヴェンドラの手が離れる前に手袋を奪った。唖然として固まる彼の指先は庭仕事で荒れていた。
『普通だわ』
 何かもっと大きな驚きがあると思ったのに、あまりにも感慨がなくてがっかりした。
 触れてみてもごく普通の手だった。手の甲にある刻印だけが、彼が自分とは異なる魔族という種族であると主張している。
『……お嬢様』
 ひどく戸惑った様子のデヴェンドラにネハは手袋を返す。
『ありがとう。とても綺麗な薔薇だわ』
 微笑みかけると、ほんのりと頬を赤らめてデヴェンドラがうつむいていいえと口ごもりながらそそくさと窓から離れていった。
 それから徐々に言葉を交わす事が増えていった。近くの植え込みの世話をしながら、デヴェンドラはどういう作業をしているか話したり、あるいは自分の生まれ育った場所のことを話したりした。
 ニディも一緒のことが多かった。自分はずっと部屋の中だったけれど、ふたりと一緒に過ごす時間が部屋の中に置かれたどんなものよりも価値あるものだった。
 しかし、そんな時間は長く続かない。
 父が嫁ぎ先を探し、デヴェンドラも一年近く前から時々思い詰めた顔をするようになっていた。
 そして彼はそう遠くないうちに庭師をやめると言いだしたのだ。
 ちょうど、嫁ぎ先が決まりかけていた頃で父が自分と彼の関係に気づいたのかと思った。だが、そうではなかった。
 ぽちゃ、と水音がしてネハは今度は本当に覚醒する。
 窓のない部屋の中では今が夜か朝かすらわからない。部屋の奥にある階段を上がれば露台があって外が見えるのだがそこまでする気力がなかった。
 この頃やけに眠たくて、動くのが億劫だった。夢の中では軽々動かせていた体も重く、もう一度目を閉じてしまいたい。
 だけれどあの水音はデヴェンドラが帰ってきた音だ。彼は水から水へと『跳ぶ』のだ。とはいえどいう水でもいいわけではなく、限られた地下水脈から汲み上げられた水でないといけないらしい。
「ネハ、具合が悪いのか?」
 よろよろと半身を起こしていると、デヴェンドラが心配そうに駆け寄ってくる。
「いいえ。ただ、眠いだけ。何か、あったの?」
 デヴェンドラは酷く憔悴していた。
「復活が始まったんだ。しばらくは外に出ないでいてほしい。どれだけのことが起こるか僕にもまだわからない」
「ええ。あまり外に出る気分ではありませんもの。……ニディやお父様は大丈夫かしら?」
 この場所にいることに不安はないが、生家の家族が心配だった。
「それは心配しなくていい。あそこの水脈には乱れがない。だけれど、監理局の保持している地下水道と水脈が干渉し合っているから、監理局もじっとしていないだろう」
 デヴェンドラの話は眠気のせいもあって、いまひとつ理解しきれなかったもののネハは彼の言葉を信じる。
「デヴェンドラ、どうか気をつけて」
 監理局の動きも気にかかった。どうやらデヴェンドラの目的も気づいているという。かつて、監理局は自分達に従わない神々を封じ、殺めたと聞いている身としては夫の身が案じられる。
「大丈夫だ。……出掛けるときは起こすから、寝ていてもいいよ」
 夫の表情がくつろいだものにかわり、ぽんと頭に手を置かれてネハは自然とうなずいて目を閉じていた。
 指先に触れる、優しいぬくもり。
 最初に触れた時と同じ、普通の手だ。でも、自分にとっては特別なもの。
 ネハは安心しながら眠りについた。

***

 そこは誰にも知られていない『場所』だった。箱型の朽ちた灰色の建物が乱立する、どことも繋がっていて繋がっていない隠された空間。
「南から召喚が……」
「水の流れが滞った」
「誰か、『識者』をたてるべき」
「盟約はどうする。我々は、これを護らねばならない」
「しかし、もはやくびきは朽ちている」
 さわさわと建物のそこかしこで声がさざめく。
「だが、盟約は盟約」
「我らが護るべきは正しき水の流れ。これがなければ崩壊が始まる」
 中央に据えられた鉄塔にぽつり、ぽつりと人影が集まっていき彼らは空を見上げる。
 上空は青い。だが、ゆらゆらと揺れている。水面だ。
 ここは世界の水底と遠い昔に呼ばれていた。
 そして、ここに住む者達は今も昔も『渡し人』と呼ばれている――。

 
***

 地面の陥没から半日。地下水路の不具合は続いたままだが、少々徒歩での移動距離が増える程度で業務への大きな支障はなかった。本局への連絡も滞りなく行われていた。
 しかし、陥没した穴からはじわじわと水が染み出してきていた。穴が深すぎて目視できないが、小石を落とせば水音が聞こえる。
「瘴気が吹きだしてきそうにはまだねえんだよなあ」
 黒羽はぽっかりと地面に空いた穴を覗き込む。様子見をしているものの、今の所聖地や鉱山の方も以上は起きていなかった。
「ここからは何も感じられませんね……ここまでのことが起きて鉱山以外で瘴気が全く感じられないというのも不気味ですね」
 地面に穴の縁に触れる漓瑞が目を細めて穴の奥を覗く。
「なんか見えるか?」
 視力のいい魔族の漓瑞が何か見つけたのかと思ったが何も見えないと、彼は首を横に振った。
「また立ち往生かよ」
作品名:盗賊王の花嫁―女神の玉座4― 作家名: