盗賊王の花嫁―女神の玉座4―
漓瑞が手から水を溢れさせて半球状の水の膜で黒羽と自身を包み込む。それから心配そうな支局員に危険そうであればすぐに引き返すと告げて先へと進み始めた。
「この中だと暑くねえな」
水にくるまれているからか熱気は和らいだ。
「私のこれは瘴気を浄化するものですから中和できているとしたら瘴気なのでしょうか」
「そうか、でも、なんか瘴気とは違うよなあ」
じりじりと慎重に足を進めていくが特にこれといって、危険を感じることはない。手を伸ばせば石に触れられそうな距離まで近づいてふたりは足を止めた。
「これ、あん時のこと思い出すな。玉陽の聖地でお前、こういうのの中に入れられてた」
漓瑞が玉陽の聖地の中で消えかかった時、翡翠の卵の中に彼がいたことを想起するとあの頃の感情まで蘇って来て胸が強く締め付けられる。
あのまま失うかもしれないという焦りと、絶対になくすものかという感情。
「あの時、私は神の器とされかけていました。これが蘇るべく神の器なのでしょうか……」
ここから旧い神が復活するのやもしれないと思うと、不気味さが増してくる。
「黒羽さん……」
漓瑞がふと目を細めて石の下の方を示す。
「なんだこれ、溶けてるのか?」
逆さのの卵の底の方が輪郭がぼやけて、溶け出しているかに見えた。そして漓瑞が張っている水の膜に波紋ができる。
「離れましょう」
異常を察知した漓瑞が緊迫した声で告げる。ゆっくりと様子を窺いながら後退していると、ぽちゃんと水音がひとつ響いた。
「なんだ……?」
水膜に異変はない。だが石の周囲の地面が瞬く間に黒く染まっていっている。
これは早急に逃げなければと本能が警鐘を鳴らす。
黒羽と漓瑞は歩幅を広げて急いで石から距離をとっていく。
そうしている間にもぬらりと光る油膜のような黒い染みはどんどん広がっていき、逆に石は小さくなっていく。
そうして石がなくなりきる頃には、地面の染みの広がりも止まった。
あと数歩というところで難を逃れた黒羽達は安堵し、漓瑞が水膜を消す。
「どうなんってんだよ、本当に」
目の前に広がる黒い油溜まりに似た何かもすうっと音もなく消え去った。後には底が見えないほどの深い穴ができていた。
黒羽は呆然と穴を眺めるが何かが出てきそうな気配はない。
「周囲を調べてみましょうか」
少し離れた場所で新たな変化がないか待ってから、黒羽と漓瑞は目を白黒させている支局員と共に穴の周囲をぐるりとまわることにする。
だが特にこれといったものも見つからず、ふたりは支局員にもう少しの間待機してもらうことにした。
「申し訳ありません。道が塞がっております」
水路を行く途中、急に舟が止まって船頭の渡し人が戸惑った顔で黒羽達をみやる。
「水路から出られねえってことですか?」
「支局への直通の水路だけです。近くになら下ろせますのでそこから歩いてお戻りいたけますか?」
歩くのはかまわないが、この状況で支局に通じる道が塞がっているというのは嫌な予感しかない。
「原因は分かりますか?」
漓瑞が進路変更をする船頭に問いかけると、彼は首を横に振った。
「いいえ。こんなことは初めてですので」
渡し人にもよくは分からないこの状況は気になるが、それよりも支局のことが気がかりだ。ふたりは支局近くの市街地の一画に降ろされるとすぐに、支局に向かって走り出す。
「建物は、ありますね」
街中でも一際大きな支局の建物はしっかりと建っていて、煙が上がっていたりすることっもなく安心する。
しかし、何も起こっていないわけでもなさそうだった。
局内に入ると中は騒々しかった。話を聞くと、中庭の演習場が陥没したとのことだった。ロフィットも今、そこにいるらしい。
幸い穴に落ちた者もいないということなのだが、とにかく中庭の三分の一がなくなったという話だ。
「こりゃ酷いな」
そして、演習場に出ると本当に中央部分が深く陥没していて唖然とする。瘴気の対策会議中で演習がとりやめになっり誰も落ちなかったのが不幸中の幸いだった。
そうして、穴を見下ろしているロフィットに聖地でも陥没があったことを告げ、水路の異変も報告する。
「いや、まいったな。思った以上に大変だな……」
目を丸くしながらロフィットが報告に厳しい顔つきになる。
まだ何もわからない状況に、現場は昏迷していくばかりだった――。
作品名:盗賊王の花嫁―女神の玉座4― 作家名: