盗賊王の花嫁―女神の玉座4―
そして最後に滅多にない素面の時のオレグに聞いてみたかった質問を投げる。
「俺は藍李ちゃんのそういうとこ嫌いだぞ。なんでも正しいかどうかだけじゃ決められねえよ。俺は自分が護りたいもんだけ護る」
オレグが立ちあがって、娘の元へと歩き出す。
「……そう思うんなら早死にしそうな真似、やめなさいよ」
藍李はひっそりとつぶやいて本来の目的地である南部局の執務室へといくことにしたが、途中で総局長は今日は出てきていないと聞かされて眉を顰める。
あれからサービルの体調は優れないままだ。無理だろうとは分かっていたが、代わりにハイダルがいるのでそのまま進路変更はしなかった。
「大量の瘴気の噴出の危機ですか……」
黒羽達からの報告書の内容を告げると、ハイダルが厳しい表情になる。
「神剣が一本は必要だと思うわ」
「そうですね。……できれば私が出たいのですが、父の容態が優れないので難しいですね。午後までには決めておきます」
確かにハイダルが出てもらった方が色々とやりやすいのだが、今、総局長が執務につけない状況で代理となる彼を支局に送るわけにもいかない。
「それと、神剣も何かありそうだわ。向こうの魔族は自分が持ってるのは神剣だって言ってて、監理局のは紛い物だって」
「……確か、以前タナトムで魔族が神剣と称した剣を持っていましたよね」
ハイダルが言うように魔族が神剣だと主張した剣は、以前タナトムの旧神によって魔族に与えられたもので魔族は神剣だと主張した。
「あれは、結局後で回収して瘴気が凝った物だってわかったから、妖刀や魔剣と一緒よ。でも、今回はそうじゃないみたいなのよね。これを紛い物ってわざわざいうのがひっかかるわ」
「監理局が知らないことを知っている神の末裔である魔族がまだ多くいるのでしょうか」
「いるんでしょうね。さすがに監理局も都合の悪いものを全部根絶やしにはできなかったのよね」
藍李はこれではまるで悪事を働いている側の言い方ではないかと自嘲する。
オレグに正しいことなどと言ったことまで陳腐に思えてくる。
「……全ての歪みが今になって返ってきているんですね。我々は祖先の過ちを今から償いながら責任を持って対処していかなければ」
ハイダルが重苦しくつぶやく。
(償う、ね)
彼はそういう考えで動いている。目的は同じでも噛合わないことは多くなるだろう。
ランバートとオレグだとてそうだろう。
「私達はまた資料あさりしてるしかないわね」
ほんの齟齬で割れてしまわぬようにハイダルとは上手くやっていかなければと、藍李は気をひきしめる。
そしてうんざりするほどの資料とまた向き合わねばならないことに、少々表情が険しくなっているハイダルと目を見合わせて苦笑した。
***
黒羽とと漓瑞が戻ってから支局は大わらわだった。
鉱山の一帯に大量の瘴気が溜っていて、近々それが吹き出す危険があるというデヴェンドラの話には懐疑的な声もいくらかあった。だが、実際に巨大な妖魔が出現していることと一帯の腐った木や一部の湧き水からも瘴気が確認されたことによって、緊急の対策がとられることになった。
「どんどん話が大きくなってくるな」
万一の時のための近隣住人達の避難場所や、避難勧告をいつ出すかの話し合いがやっとまとまってきたところで少々息をつく間ができた黒羽はそう漓瑞に話しかける。
「ただの盗難事件というわけにはいかないとは思っていましたが……」
漓瑞がうなずきながら何かに気づいたのか、多くの局員がひしめく魔族監理課の入口の方へと目をやる。
「聖地の石が!」
慌てふためいた様子で駆けて来たのは、聖地の警備係だった。
「今度はなんだよ」
良くない報告であることは明白で、ぼやく黒羽の表情も険しくなる。
警備係の青年の話では聖地の石が真っ黒く変色していたということだった。それだけでなく近づくことができないほどの熱を帯びているという。
鉱山の瘴気の噴出危機に続けて、聖地にまで異常事態が発生している事実にその場にいる局員の顔が一斉に強張る。
「お取り込み中失礼します! 本局より応援に来ました! ルーベッカのロフィットです!」
そこへ新たに凡庸とした面立ちの二十歳ぐらいの青年がはきはきとした声で割り込んでくる。黒髪と褐色の肌で一瞬支局員かと思ったがどうやら本局の神剣の分家の当主らしかった。
一同安心が半分、神剣の分家が出動する事態の深刻さにさらに緊張感が高まり不安が半分といった様子だ。
黒羽と漓瑞は監理部長の元へロフィットと向かいながら、現状を報告する。
「はい、はい。なるほど。聖地にはおふたりにいってもらいやしょうか。俺はこっちでちょいと陣頭指揮とりますんで。部長達には話しておくから、聖地の方よろしく!」
朗らかに言ってロフィットが手を振り、その様子に呆気にとられつつ黒羽達は踵を返す。
「……神剣の分家の人ってよ、もっと堅苦しいもんだと思ってたけどああいう人もいるんだなあ」
今まで接したことのある神剣の分家当主といえば、北部総局長の側近ぐらいだったのでこうも明るい気質の人だとは意外だった。
「藍李さんもああいう方ですし、色々でしょう。私も少々驚きましたが」
「ああ。そうだよな。藍李、総局長だもんな」
宗主家の当主であることよりも親友として過ごした時間の方が長すぎて、時々藍李の立場が結びつかないことがある。
そんなことを話しながらも地下水路に向かうふたりの歩調は早かった。
聖地までは水路を使って四半刻もかからなかった。出口である掘っ建て小屋から外に出ると事前に聞いたとおり、本当になにもない河原だ。遠く離れた場所に河が流れているのが見える。
対岸には小さなあばら屋が河からずいぶん離れた場所にぽつぽつと建ち並び、牛や山羊などの家畜が水を飲んでいる様子が覗えた。ただこちら側は何もなく山が近かった。
「例の石は向こう側でしたね」
漓瑞が右手側に歩き出し、黒羽はその後をついていく。
「あれか……」
聖地の石は遠目からでもすぐに分かった。川辺にぽつんと佇む卵を逆さまにしたような真っ黒い石がある。
近づくと、待機していた警備係の局員の女性がが真っ青な顔のまま振り返って、不安そうな視線を向ける。
「これ以上は近づかない方がよろしいかと……」
局員がいる位置から石はまだ遠いが確かに異様な熱気を感じる。そして石は遠目に見ればただの黒だったが、近づけばどこか真っ黒い底なしの闇が凝っているかのような不吉さがあった。
石と言われているから石と認識できるが、そうでなければ闇が滴っているかにも見える。
「瘴気が出てるわけでもねえよな」
黒羽は濃い瘴気に触れているのに似た背筋がぞわぞわする気色の悪い感覚に顔を顰める。
「ええ。瘴気は感じません。しかし、これは……」
漓瑞も同じく不快そうな顔で巨石を見上げる。
「やっぱり、もうちょっと近づいて見るか」
ぼんやり眺めていてもどうにもならないのではないかと、漓瑞に訊ねてみると彼は少し考えてちいさくうなずいた。
「私が膜を張るので、一緒に行きましょう」
作品名:盗賊王の花嫁―女神の玉座4― 作家名: