盗賊王の花嫁―女神の玉座4―
そう言って、デヴェンドラ顎で急斜面になった場所を示す。
「あそこを登れば道が見えるあとは下っていけば小さな集落がある。早くここから出て行け。お前達は穢れそのものだ」
そして激しい怒りを滲ませる声を叩きつけられて、黒羽と漓瑞は視線を交わす。
髪の一本たりとも残さずこの場から消え去れとまで思っていそうな様子から、示された道に偽りはなさそうだった。だがこのままデヴェンドラを放っておくのも躊躇われた。
とはいえ、交戦するというわけにもいかず渋々黒羽と漓瑞はそのまま山を下りることに決めた。
「なあ、もう一個だけ教えてほしいんだけどよ、あんたの奥さん今、どうしてんだ?」
去り際、黒羽はもうひとつの気がかりを口にする。
「彼女は安全な家にいる。……もし、ニディと旦那様に会うのならけして彼女を不幸にするつもりはないと伝えておいてくれ」
先程と違ってデヴェンドラの声が柔らかくなって黒羽は目を細める。
本当にこれは駆け落ちで他の事件も神も一切関係ないのだ。
「そうか。……まああ、あたしらも瘴気を自分らで鎮めることは諦めねえからな。過去になにがあろうが、妖魔から人間を護るのが仕事だ」
黒羽が強い意思でデヴェンドラを見据えると、彼は少し不快げに眉を顰めてから背を翻し木立の中にあっという間に姿を消していった。
「何が最善か図りかねますね。神の復活が瘴気を鎮める唯一の手立てでなければよいのですが」
きつい斜面を登りながら漓瑞がため息をつく。
「神様が復活するのがそんなに悪いことには正直あたしは思わねえけどな」
どうにか一番上にたどりついて黒羽は滴る汗を拭う。
もし神がもう一度目覚め、それが瘴気を撒き散らさないというなら監理局は迎えるべきではないのだろうかとも思うのだ。
「しかし、監理局と監理局が築いた世界に寛容でいて下さる保証はありませんよ。厄介な事になるのはさけたいものです」
「また神様と戦争になるのはなあ。ああ、もうややこしすぎるのは今は無理だ。腹減った」
周囲が薄暗くなりながらも昔の道を下っていると、集落の灯がぼんやりとみえてきて緊張の糸が緩んだ黒羽は襲ってきた空腹感に考えるのをやめる。
「アマン課長からいただいた食料を食べてはどうです?」
「ん、ああ、そうだな」
苦笑する漓瑞から食料の入った布袋を渡されて黒羽は名前の知らない無花果に似た果実を口にする。
(不幸にしない、か)
そしてふっとデヴェンドラが言っていた言葉を思い出す。
後ろ向きではなく、かといって前向きとも言い切れない言葉。
不幸せではないのかもしれないけれど、幸せとも遠いところへふたりが向かっている気がした。
***
黒羽達が鉱山で滑落したとの報告を受けてやきもきしながら夜をすごした藍李は、早朝になって無事に支局に戻って怪我もないという報せに胸を撫で下ろした。
「もう。心配させるんだから……」
しかし安心したのも束の間、デヴェンドラと接触した黒羽達から報告は悩ましい物だった。
「どれだけ瘴気がたまりこんでるのかしら」
執務室で報告書を読んでいた藍李は口元に当てていた手に無意識の内に歯を立てて、微かな痛みにすぐに口から手を離した。
この頃、嫌な癖がついたものだ。
次から次へと問題が発生しては万全の解決策が見つからない。とはいえ最低限の対処はしておかねばと藍李は執務室を出る。
瘴気が大量に吹き出す危険があるならば、神剣が必要だ。さすがに管轄区外への神剣の分家をだすわけにもいかないので、南部局側へ事情を説明して少なくともひとりは配備してもらわねばならない。
(紛い物……)
神剣に関しても引っかかる報告があった。デヴェンドラは監理局の神剣を紛い物と言ったそうだ。
自分達が命を削り繋いできた役目が胡散臭さを発しているのはなんとも気分が悪い。
藍李が背中にある九龍の重みにげんなりしながら南部局の棟へと向かう途中、廊下の奥からぱたぱたと軽い子供の足音が聞こえて来た。
近くに庭園があるのでそこに向かう子供だろうかとと思いながら音の方へ目を向けると、見知った少女だった。
「おはようございます!……えっと、藍李様!」
銀髪の少女が藍李の顔を見上げて、藍李の名前を思い出してにっこりと笑う。
その天真爛漫な表情は藍李には少々複雑なものだった。少女は北部総局長であるオレグの九つになる娘だ。
「おはよう。アリーサ。ひとり?」
「父様と一緒です。父様、藍李様がいらしたわ!」
アリーサが呼びかけた廊下の奥から少し遅れてオレグがやってきて、お互い愛想笑いだけ返す。
「どうも。ちょっとだけ話、かまわないかしら?」
この際なので少しでも情報を引き出せないかと藍李はオレグに訊ねる。
「今日は可愛い娘と遊ぶ約束してるんだ、悪いけど、今度にしてくれないかな」
「そうしたいのはやまやまだけれど、こっちも悠長なこと言ってられる状況じゃありませんの」
食い下がるとオレグは少し興味を示したらしく、目的の庭園まで行くことを条件に乗ってきた。
「で、南の方は大変なのか?」
大きな石や登りやすい樹木が多い庭園の中央の榕樹《ガジュマル》の側に置かれた長椅子に座り、オレグが立ったままの藍李を見上げる。
「大変よ。何も知らない?」
「南でことが起きるぐらいだな。ランバートもよくは知らない言ってるし、アデルの野郎はもっとわからねえ奴だな」
オレグがアリーサが同い年の他の子供と遊び始めたのに目を向けて、表情を緩ませていた。今日の彼からは酒の匂いがしなかった。
「それでも、あなたはあちら側なの?」
「あっち側。藍李ちゃんも子供できたら考え変わるかも知れねえぞー。俺ひとりならまあ、神剣の宗主のお役目我慢してやらないこともないけどなあ。可愛いだろ、うちのお姫様は。俺に似なくてよかった」
笑顔で手を振る娘に、手を振り返すオレグの表情は普段の様子とずいぶん違う。彼は似ていないと言うけれど、雰囲気はそっくりだ。
「可愛いわね、確かに。私はあんなじゃなかったわねえ」
自分で言うのもなんだが、思い返す限りアリーサと同い年頃の自分は無邪気という言葉がすでに似合わない子供だった。
物心ついた頃には次期宗主としての役目をこんこんと教わってきた。
アリーサは神剣の宗主家の跡継ぎという自覚は薄そうだった。
「藍李ちゃんはまあ、そういやそんなかんじだったか? 清藍さん厳しい人だからな。女親と男親で違うものかな」
「さあ。性格じゃない? ねえ、神剣について知らない? 監理局の神剣は紛い物だって話が出てるのよ」
「ああ。これが元々の大義名分だからな、まあろくでもない真実があっても不思議じゃない」
オレグが自分の腰の剣に触れながら首を捻る。
「ろくでもない、ね。そうよねえ。そうじゃないと隠したりしないものね」
できることなら知りたくないのだがそういうわけにもいかない。
「藍李ちゃんもういいか? 貴重な娘との時間はこれ以上邪魔しないでくれるかな」
オレグの物言いは軽い口調だったが、表情は本当に嫌そうだった。
いつまで粘っても引き出せる情報はあまりなさそうだと藍李も引き下がることにした。「わかりましたわ。……あなたにとって、今の選択は正しいと思ってる?」
作品名:盗賊王の花嫁―女神の玉座4― 作家名: