盗賊王の花嫁―女神の玉座4―
だが、妖魔の方はそれを許してくれそうになく、巨体にあるまじき速度で木々を薙ぎ倒しながら近づいて来る。
「畜生、ここでやらなきゃ駄目かよ」
黒羽は妖魔の突撃を躱して炎を打ち込み、アマン課長も追撃をかける。
だが確かに攻撃は効いているはずなのに妖魔の動きは止まらない。
見えない尾の先がまだ暴れて地面を揺らし木々が倒れる。
「頭を潰せ!」
窮地に追い込まれる中、どこからともなく声が響く。
「頭って、もうほとんど潰れてるじゃねえか」
声の主も気になるが、それよりも目の前の敵が先決だと黒羽は焼け焦げた妖魔の頭を見やる。
「尾にもうひとつ頭があります!」
漓瑞が木の陰にもうひとつ頭を見つけて声をかける。
言われてみれば確かに木陰で何かちらちらと動いていた。
「よし、いきますか」
アマン課長が巨大な氷の塊を尾の方へと投げつけ、もうひとつの頭を持ち上げさせる。
そして頭が視界に入ると同時に黒羽は一気に炎の波を蛇の頭にぶつける。
その瞬間、巨体が一気に霧散して双頭の蛇の妖魔は消え去った。
「助かったけど、誰ださっきの」
汗を拭い、黒羽は剣をしまわずに周囲に首を巡らす。人の姿はどこにも見えない。
「黒羽さん!」
声の主を探すのに黒羽の意識は少し逸れてしまっていた。近くの木がゆっくりと倒れてきていた。
「と、うわっ!」
慌てて黒羽は冥炎から炎を放って木を燃やすのだが、ついでに足場が崩れる。
漓瑞が瞬時に駆け寄って黒羽の腕を掴むが引き戻すには遅すぎた。
ふたりはそのまま崩れた場所から斜面へと転がりおちていった――。
***
見上げた先には木の残骸に土や石しかなかった。
「これ登るのは無理だよなあ」
思いの外下まで落ちてしまった黒羽は元いた場所に戻れそうにないことに渋い顔をする。
今でも不意にころころとどこからか崩れた小石が降ってきていて、下手に登ろうとすると危険そうだ。
上からアマン課長が無事を確認する声がかかって、救助はしてもらえることになったのだが今日中にとは難しそうだった。
「どこから崩れるかわかりませんからね……。黒羽さん、本当に大丈夫ですね?」
痛覚が鈍っているものの、体に違和感もなく足や腕が動かないということもない黒羽は問題ないとうなずく。
「にしても、瘴気が濃いのに妖魔が出ないってわけでもないみてえだな……」
対峙した双頭の蛇の妖魔の巨体からいって、地下深くの瘴気はかなりのものだろう。
「地表に出てくるということはどこかから瘴気が噴きだしている可能性もありますね。下手に沢の水を飲むのもやめておいた方がいいでしょう。生き物が少ないということは地下水が瘴気に汚染されているからかもしれません」
「まあ、アマン課長が水と食料だけは投げ込んでくれたからこれで持ち堪えるしかねえな」
時間がかかりそうだということで、アマン課長が水筒と乾し肉と果実が入った布袋を投げ落としてくれたのだ。
「さほど暑くなくて助かりましたね」
幸い日陰になっているのと、今日はいつもより涼しく日が傾けばさらに暑さはやわらぐだろう。
「後はまた妖魔が出ねえことだな。これ以上霊力使ったら腹がもたねえ」
黒羽は空腹を訴える腹に手を当ててぼやく。
「早い内に出られるとよいのですが……さっきの声の主も気になりますしね」
「助けてはくれたよな。……デヴェンドラか?」
あの時、確かにこちらに協力するための声だった。だが声の主が男だということがわかっても、ほんの二度だけしか聞いたことがないデヴェンドラなのか判別は難しい。
「ここにいるなら十中八九窃盗団でしょう。ひとまず斜面から離れましょうか。急に崩れるかもしれません」
「そうだな。近くに安全そうな場所ねえかな」
「小屋ぐらいは残っているでしょうが、近くに坑道の入口もありましたよね」
上から見たときに確かに坑道の入口は見たと、黒羽と漓瑞は木々と石で凹凸が多い地面を慎重に歩いて行く。
その途中、倒れた古木の影に朽ちた小屋を見つけた。
「これ、中に入っても大丈夫そうか?」
木板を組み合わせた掘っ建て小屋は、風が吹けばすぐさま吹き飛んでしまいそうなほどに痛んでいる。
「その小屋はもう使えない」
黒羽に答えた声は漓瑞ではなかった。
「誰だ!?」
誰何して黒羽は剣を抜いて構える。
「お互い、争うのは得策じゃない」
そう言いながら小屋の裏から出てきたのはデヴェンドラで、そんなに近くにいても気づくことができなかった自分に黒羽はひやりとする。
「そちらが戦う気はなくとも、私達はあなたを捕縛するのが仕事です」
「捕縛しないというなら、帰り道を教える。できるだけこの場を血で穢したくない。妖刀や魔剣の瘴気もここに溜った瘴気に影響を及ぼしてしまうかもしれないしな。できればさっきの妖魔も僕がやるつもりだったんだが」
攻撃する意志がないことを示すように、デヴェンドラが腕を組む。彼はそうしなくても丸腰に見えた。
黒羽はしばし迷いながらも剣を収める。それでも柄に軽く手を置いたまま警戒を解かなかった。
「あんたが持ってんのは妖刀でも魔剣でもねえのか」
デヴェンドラが視線を伏せてからおもむろに口を開く。
「……僕が持っているのは監理局が扱っている紛い物ではない本物の神剣だ。どうする、取引に応じるか?」
含みを持たせた言い方をしながら、デヴェンドラが小首を傾げる。
ここで睨み合ったところで分が悪いのは明らかに自分達の方だと黒羽と漓瑞は仕方なく彼についていくことにした。
とはいえ、何らかの罠かもしれないと警戒を解いたわけでもなく相手の背中が無防備だというのに妙な緊張感があった。
「この一帯には瘴気が凝っているのですか?」
密集した木々の隙間を移動しながら、漓瑞がデヴェンドラに問いかける。
「地下に行き場を失った魂達の怨嗟が吹き溜まっている。もう、抑えきれないところまできているんだ」
デヴェンドラが足を止めて二人を振り返った。
「監理局は邪魔をしないでほしい。僕達は僕達の役目を果たすためにこの地に留まっている」
「……あなたがたの役目というのは旧神の復活ですか」
「監理局は我々の神のことを知っているから、わざわざお前達余所者をよこしたのか」
漓瑞が核心をつくと、デヴェンドラを取り巻く空気が明らかに変わった。肌を刺す敵意に黒羽は柄を強く握る。
「もしかしたら、旧神に纏わる何かがおこるかもしれないと調査に来たのです。ここに膨大な瘴気の溜まり場があるのなら監理局としてはそちらの対策を優先的に考えねばなりません。……別の地では復活した神によって新たに瘴気が撒き散らされる危険もありました」
漓瑞が言うのはタナトムでのことだ。封じられた神が目覚め、聖地には妖魔が湧きだしていた。
(あっちこちで瘴気が溢れ始めてるのか……?)
タナトムだけではない。砂巌でも溜っていた神々の瘴気が溢れていたのだ。そしてまたここでも膨大な瘴気が吹き出す寸前なのだ。
「思い上がるな。神々への暴虐を尽くし諸悪の根源であるお前達に彷徨う魂は救えない。彼らを鎮めるには神を復活させるしかないんだ。この国を妖魔で埋めつくされたくないのなら僕等の邪魔はしないでくれ」
作品名:盗賊王の花嫁―女神の玉座4― 作家名: