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二度目に刺される

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                  妹の早紀

「古いモノにこそ、新しいモノにはない情緒というものがあるんだよ」
 と豪語するのは、梶谷健太という大学生だった。
 スマホ全盛のこの時代に、いまだガラケーを使っていて、
「別に困らないから。何かを検索したい時には、パソコンがあるし」
 とまわりに吹聴している、いわゆる「アナログ人間」であった。
「もし、二十歳年が上だったら、きっと、いろいろな原稿を手書きしていて、今でもパソコンを使いこなせていないかも知れないな」
 と、言われても、
「それならそれでいいさ」
 と嘯いていた。
 さすがに、生まれた頃からパソコンはあったのだから、パソコンくらいは使えるが、携帯電話に関しては、いまだにガラケーだった。
「日本独自の文明の利器だからな。俺が使いこなしてやらないと」
「どういうことなんだい?」
「ガラケーというのは、ガラパゴス携帯という意味で、日本独自の進化を遂げた日本製の携帯電話のことなんだよ。別に古いモノという意味での中傷から来た言葉ではないのさ。他の島と接触のないガラパゴス諸島の生き物になぞらえた用語であって、ガラケーには、先進的な技術や機能を有しているのさ。ただ、海外で普及しなかっただけなんだよ」
「なるほど、そういう見方もあるな」
 友達との会話では、圧倒的に不利な状態でも、それなりに対抗できるだけの知識を持っているのが梶谷健太の特徴であり、友達の方も最初の頃は、彼に言い聞かせるつもりだったのだが、最近では、彼のうんちくが楽しみになり、その内容を自分の教養に生かすことができればと、思っていた。
 ただ、彼にうんちくを引き出させるには、彼のプライドに少しでも抵触しなければいけない。ちょっとした会話で反応するほど、彼は子供ではなかった。表から見る彼の冷静さは、まるで学者肌を思わせたのだ。
「そういえば、学者肌と言われる人は、たいていどこか変わっていて、人とは違うところに頑なになり、自尊心は半端ではないように思えるよな」
「でも、梶谷のやつはそんなことないよな。少し変わったところはあるけどな」
 変わったところというのが、古いモノばかりを大切にするというところだった。
 彼がガラケーを持っているからと言って、スマホをまったく使えないわけではない。人並みに使いこなすことはできるのだが、それでも敢えてガラケーを使っていた。
 しかも、彼は着信を、着メロや着うたにしているわけではなく、普通の、
「プルルルル、プルルルル」
 という音だった。
「これがいいのさ」
 と言っているが、他の連中からすれば、
「それだったら、家にある固定電話のようで嫌なんだよ」
「どうしてだい?」
「だって、固定電話というのは、家族共通の電話であって、誰に掛かってきたものだか分からないだろう? それってあまり面白くないじゃないか。着うたや着メロだったら、誰に掛かってきたものなのかはおろか、設定しておけば、誰から掛かってきたものなのかということも分かるんだよ」
「そうかな? 僕は、結構固定電話の呼び出し音、好きだけどな」
「俺は、中学の時、携帯電話すら持たされていなかったから、好きな女の子から電話がかかってくるとしても、固定電話だったんだよ。着信音では判断できなかったので、どれだけやきもきしたことか」
 すると、もう一人の友達が、
「それはそれで楽しいんじゃないか? いつ掛かってくるか分からないのを待っているのって、後から思うと楽しい思い出になったりするものだよ」
「そうかも知れない。でも、あの時の自分の心境を思い出すと、やっぱり最先端の機能を持ったものを持ちたいと思うのは心情じゃないのかな?」
「そうかも知れないな」
 元々は、健太の話だったのだが、途中から他の話に切り替わってしまった。
 これもいつものことで、話が気づかないうちに、さりげなく切り替わっていることが多い。そんな時、健太は他人事のように話を聞いているのだ。
 健太は、古いモノに造詣が深いが、これは彼の性格というよりも、育った環境によるかも知れない。彼の家は資産家で、裕福な家庭に育っていた。家にはクラシックなものがいっぱい置かれていて、裕福な人ほど、骨董品に興味を持つというが、健太もその血を受けついているのだろう。
 健太が専攻しているのは考古学で、この大学を選んだのも、考古学の権威としての先生がいたからだった。
 家族の一部からは、経済学に進むことを嘱望されていたが、その意見を押し切って、考古学の道を選んだ。
 父親は、反対はしなかった。むしろ反対をしたのは母親だった。家族の長である父親が反対していないのだから、健太が考古学を志すようになるのは、それほど難しくはなかったのだ。
 健太の最近の趣味はクラシックを聴くことだった。骨董趣味が嵩じて、最近ではレコードプレーヤーを手に入れ、ネットオークションや、中古CD屋でレコードのあるところを馴染みとして、細々と集めていた。
 音に関しては、なかなかいい音を聴けるわけではないが、あくまでも骨董趣味の一環として集めるのは楽しいものだった。
「何でもかんでもコンパクトになってしまっているけど、そんな今だからこそ、かさばるレコードを集めるというのは楽しいもの」
 と話をしていた。
 元々、大学の近くにクラシック喫茶があって、かなりの数のCDが置かれていたが、奥の方に百枚近くのレコードも置かれていて、中にはジャケットをこちらに向けているものもあった。
 実際には動かないが、レコードの手前には、昔の蓄音機が置かれていた。
「アンティークショップに置いてあってね。思わず買っちゃったよ」
 と笑いながらマスターは話していた。
 使うことはできないので、オブジェにしかならないが、それでもその存在感は健太にとって十分で、蓄音機を見ながら聴くクラシックは、さらに重低音を奏でているようであった。
 自分の部屋では一週間に一度は一枚のレコードを聴くようにしている。その時々の気分で、ワルツだったり、協奏曲だったりを変えている。今ではほとんど手に入らないレコード針の消耗を考えてのことだった。
 屋敷には、両親と妹、そして執事や家政婦が数名住んでいた。ほとんどの人が住み込みで、家族の面倒を見ていた。
 父親は仕事の関係で、ほとんど家にいることはない。海外出張も頻繁で、子供の頃は、父からのお土産が楽しみだった。
「お坊ちゃまもお嬢様も、お父様が留守がちでお寂しくないですか?」
 と、家政婦の一人から聞かれたことがあったが、
「寂しくはないよ」
 と答えていた。
 それは決して強がりではなかった。小さい頃から家族よりも家政婦がいつもそばにいたので、家族という感覚がマヒしていたのかも知れない。子供心には、それは普通のことで、大した問題ではないと思っていたが、家政婦には、親よりも自分たちの方が身近に感じられるという不自然な関係を危惧していたのかも知れない。
 それでも、家政婦は余計なことを言わず、黙々と家事をしていた。子供から見ても、手際の良さは見事なもので、感心させられた。
「さすがにプロだ」
 と感じたのは、小学生の高学年になってからで、中学になると、今度は家政婦が疎ましく感じられることもあった。
作品名:二度目に刺される 作家名:森本晃次