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京都七景【第十五章】

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 浅井は天にも上る心地がしたにちがいありません。権力争いの柵(しがらみ)がまといつく東京から、大手を振って離れることができる!しかも、行く先は京都!おまけに図案科、色染科で生徒を教える!浅井にとって、これ以上の好条件はなかったはずです。もし、条件が一つでも欠けていたら、その後の浅井の順調な発展はなかったのではないかと僕は推測します。中でもアールヌーヴォー式工芸図案を実地に試したい浅井には、京都が必須条件でした。なぜなら、京都はついこの間まで、政治はひとまずおくとしても、平安時代からの優れた伝統文化が息づく、千年の都だったからです。優れた図案家もいれば、各種工房もあり、そこで働く練達の職人も大勢いる。見渡せば古今の名品はそこここにある。特にアールヌーヴォーには元禄以前の心持ちの雄大な作品の研究が欠かせない。元禄以前というのは、おそらく安土桃山から元禄時代まででしょうから、その中心地は京都です。心持ちの雄大な作品といえば、まず琳派(りんぱ)と見て間違いない。だから京都でなければならなかった。
 京都は浅井の夢を実現する、すべての条件を備えていた。浅井は京都にビングのような店を出して、旧来の工芸図案を革新する夢を持っていたのでしょう。その夢の実現に向けて、ともに歩きたいと思った相手が、磯田多佳女だったというわけです。ちょっと京都のことを端折りましたけど、僕の知っていることはこれだけです」
「まあ、ここで終わるんですね。いいところなのに、とっても残念。でも仕方ありません、ここからはわたしがやらなければならないことですもの。今日は素敵な話をしてくださってありがとう。あなたが自由自在にわたしを過去の時空に案内して次々に疑問を解いてくださり、その上、わたしが今後の手がかりまでいただけたのは、身に余る光栄でした。お話を伺えて、わたし、俄然やる気が出てきました。本当にありがとう」
「いいえ、僕こそ、稀に見る楽しい時間を過ごさせてもらいました。ありがとうございました。でも、いいんでしょうか。もはやここで終わりそうな気配ですけど、最後の質問はどうしますか?」
「あら、大丈夫、忘れていませんから。だって、聞き逃したらもったいないですもの。でも、お手間は取らせません、たいした内容ではないので。ですから、ぜひ、ご意見だけ聞かせてもらえます?」
「もちろんいいですよ。さあ、どうぞ」
「あの、わたしが磯田多佳女を知るきっかけになった虚子先生の随筆があったでしょ。その中にこんなことが書いてありました。ある日、虚子先生が俳人仲間とお多佳さんの店によって、しばらく話したあと、いよいよ立ち去ろうとすると、お多佳さんが

「これからどこへおいでやすの」ときいたから、虚子先生は

「これから宇治の方へ行ってみようと思います」と言うと、
お多佳さんは急に畳に突っ伏してしばらく顔をあげなかったそうなの。虚子先生はそれがどういう意味なのか分からなかったけれど、一緒にいた仲間たちは、あれはどういう意味だったんだろうと後々まで噂したということよ。で、その随筆の中では、話はそのままになってしまって、解釈されてもいなければ、解説者も解き明かしてはいないようなの。わたし、ずっと頭の隅にひっかかっているんだけれど、どうして突っ伏したのだか分かります?」
「うーん。難問ですね。気にしなければ何でもないことのようだけど、しばらく突っ伏していたんですよね?地名を聞いただけで人がしばらく突っ伏したままになるくらいだから、けっこう重大なことかもしれないな。それっていつのことか具体的な日付は分かりますか」
「それがはっきり書いてないので、よく分からないの。ただ、書いてある内容から察すると、浅井忠先生が亡くなってしばらくしてからのことに間違いはなさそうね」
「ふーん、それなら、事実が絞れそうな気もしますね。宇治、宇治と。きっと宇治が鬼門(避けるべき場所)なんだろうな。宇治が鬼門、宇治が鬼門と。…ん、なんだ、そうか、そうだったんだ!。わかりましたよ。時期が確定しないので一つの可能性ではありますが、分かりました」
「やっぱりそうだわ。今日お会いしてから、いろいろ疑問が解けて来たので、この件についても何か手がかりをつけてくださるものと、かなり期待していたの。さすが、わたしの運命の女神様ね」
「あの、そのフレーズやめてもらえますか。女神って、あまり嬉しくないんで。それで、つまりこういうことじゃないでしょうか。ことは漱石に関わる問題だと思います。たしか亡くなる前の年、漱石は京都に旅行しました。その際、磯田多佳女と知り合い、二人に交際が始まったのは、あなたもご存知だと思います。
 ある日、多佳女は漱石を北野天神の梅見に誘います。当日、漱石はいそいそと多佳女の来るのを待ちますが、時間になっても多佳女は現れない。電話をかけると、今日は宇治に行って夕方まで帰らないと言う。漱石は裏切られたと内心腹を立てた。そういう事件がありました。その後、お互い、その件には触れないまま、漱石は東京にもどることになります。
 さて、後日、漱石のもとに多佳女から手紙が届きます。中に先生の『硝子戸の中(うち)』が届かないのでもう一度送ってほしいと書いてありました。漱石はきちんと送ったからそちらには届いているはずだ、もし届いていなければ、天罰に違いない。梅見に誘っておいて宇治に行ってしまうような無責任なことをするから、いい報いは来ないと思いなさい、もう一度郵便局で調べて、それでもなければもう一度手紙を書きなさい。そうすれば送ると答えました。
 しばらくして再び多佳女から手紙が来ます。その中で、多佳女は宇治に行った件を謝ります。ところが、梅見に行く約束はした覚えがないと書いている。これが漱石の怒りに火をつけました。漱石は、事実は一つだから、どちらかが嘘をついていることになる。自分は事実を言っているつもりだから、嘘は多佳女がついているのだろう。商売ならそういう嘘をつかなければならないこともあるだろうけれど、多佳女はせっかく善良な好い性格を持っているのだから本音で誠実な交際が出来ないのを自分は残念に思う、と書き送りました。
 この手紙に多佳女は参ったのだと思います。漱石に対する良心の呵責に苛まれる日々が続いたでしょう。しかも漱石は翌年の十二月に亡くなってしまいますから、きちんと謝ることも出来なくなった。だから、宇治行きは多佳女の心に傷となって残ったのだと思います。これが僕の解釈です」
「まあ、すっきりと納得の行く解釈ね。一度聞いたら、ほかの解釈は受入れられそうにないわ。うーん、分かったのはうれしいけど、何だかくやしいなあ、してやられたという感じ」
「でも、きちんと裏は取っておいてくださいよ、漱石研究年表でね」
「あら、さえない署長に助言している名探偵みたいね」
「残念ながら、その表現は正確じゃないですね。だって、今日は僕たち、芸者と大身の若様ですから」
「まあ、よく覚えてたわね、感心、感心。なら、多佳女にちなんで、わたしを文芸芸者と呼んでいただけるかしら」
「もちろんです。あなたさえよければ初めから呼びたかったくらいです」
作品名:京都七景【第十五章】 作家名:折口学