京都七景【第十五章】
「でも、なんだか急いでいるようけですけど」
「とくに急いではいません」
「変ねえ。わたしには急いでるように見えるけど。わかった、早く解放されたいって思ってるのね、そうでしょう。ずいぶん長いこと、ご迷惑かけちゃったから」
「滅相もない。実に楽しく、意義ある午後でした。もし、ほかにお役に立てることがあるなら、まだまだつき合いますよ」
「本当に?嘘じゃありません?」
「もちろんです。嘘じゃありません」
「なら、もう少しつきあってくださいます?」
「ええ、喜んで」
「ああ、よかった。ほっとしたわ。じゃ、嫌われたわけじゃなかったのね」
「どうして僕があなたを嫌いになるんですか」
「あら、だって、浅井忠様についての二つ目の質問に答えてもらえないまま、急いで帰りそうにするから、これはてっきり嫌われたんだと思っちゃった」
「あっ、そうか。そういえば答えていませんでした。僕としたことが、失敗したな。谷崎潤一郎の墓石の話があまりに衝撃的すぎて、他のことが考えられなくなっていました。ごめんなさい。では、お答えしましょう。ところで、二つ目の質問て、何でしたっけ?」
「浅井忠様と磯田多佳女の初めての出会いは、いつどこで、だったんでしょう?」
「それなら割と簡単に答えられますよ。浅井忠は二年半近くのパリ滞在を終え、一九〇二年の八月、東京に戻ります。直後の九月にはもう、京都の高等工芸学校に教授として着任し、色染科と図案科で授業を開始する。黒田清輝と並び称せられる大洋画家が京都に来て教えている。そのことを知って、東京に遅れを取ったと感じていた京都洋画壇の人々も洋画の発展を期して浅井のもとを続々と訪れる。さっそく、浅井忠の新居内に「聖護院洋画研究所」を設けて浅井に後進の指導に当ってもらおうということが一決され、京都の洋画研究もようやくその緒に就き始めた。翌年(一九〇三年)二月には、高等工芸学校長、中澤岩太(なかざわいわた)と浅井忠が発起人となって、洋画家の懇親会を祇園中村楼(八坂神社の南楼門のすぐ脇に今もありますよ)で開催し、京都における洋画研究の拠点作りと発展とを、高らかに謳い揚げる。この席上で浅井忠と磯田多佳女は顔を合わせるわけです。つまり、この懇親会に呼ばれた芸妓の中に磯田多佳女がいた」
「まあ、なんてすてきな出会いでしょう」
「僕も、そう思います。ああ、そのときに居合わせたかったな。残念です」
「わたしもよ。その時の磯田多佳女にお会いしたかったなー。きっとあでやかだったでしょうね」
「多佳女二十三、四。春たけなわの頃、ですかね。若やいでひと際あでやかだったでしょうし、文芸趣味もあったから浅井忠との間に話が弾んだでしょうね。ただ残念なことに京都での浅井は多忙を極めていた。だから、以後なかなか多佳女に会う機会が持てなかったかもしれない。でも、祇園のお茶屋に浅井先生が来たときは、必ず多佳女は顔を出したんじゃないかな。なんだかそんな気がしますね」
「多佳女って、いったいどんな人だったんでしょう。写真や絵は残ってないんでしょうか」
「写真は、僕も知りません。でも、それらしき絵は残ってますよ」
「ぜひ、教えていただけませんか?」
「もちろんです。浅井忠の作品の中に『婦人像』という絵があるんです。日本髪を結った、和服の若い女性が、「ほかい(平安時代から使われた食べ物を運ぶ容器です)」に左手をのせ、その手の上に右手をそえて物思いに沈んでいる。女性は口をきりっと引き締め、やや緊張気味ですが、それは一生懸命姿勢を崩さぬよう気を配っている様子とも取れる。目は理知的で、何か遠くにあるものを瞑想しているようだ。描き手の心がこもった、とてもいい肖像画です。おそらくこれが磯田多佳女の肖像です。もっとも、これは、ある浅井忠研究者の受け売りなんですけどね。でも、僕にも一つだけ決め手があるんです。それは多佳女が着ている着物です。多佳女は、いつも好んで、縦縞の紬(つむぎ)を着ていたらしい。見れば果たしてその縦縞の紬じゃないですか。僕はもうそれが本物のお多佳さんだと信じて疑いませんね」
「うわあ、そうだったんですね。いいことを聞かせてもらっちゃったな。早速、帰りに、浅井忠の作品集を買って、わたしも、ぜひ見てみますね。二つ目の質問に答えてもらったばかりか磯田多佳女の肖像まで教えてくださって、感謝、感激です。もう思い残すことはありません。本当にありがとうございました」
「どういたしまして。僕も、とてもいい一日が過ごせました。楽しかったし、それに、おいしかった。ごちそうさまでした」
「あのう、ということは、やはり、もう帰ろうとしてます?」
「ああ、ええ、はい。そろそろ僕の役目も終わったようだから」
「いえ、いえ、まだ決して終わってはいないのよ」
「でも、もう思い残すことはないと」
「ええ、だって、わたしの質問には十分答えていただきましたから。でも、二三あなたにお聞きしたいことができたの。この機を逃したら、あとで後悔しそうだから」
はっと胸をつかれたね。ここに来て、ついに事態が急展開するのだろうかと、僕の心に動揺が走った。
「こ、こ、こ、後悔というと?」僕はある期待をした(お察しの通り)。
「だって、あなた、浅井忠様と多佳女のことをとても詳しく知っているうえに、わたしの疑問にピンポイントで答えてくださったでしょう?そんな人にこの先また出会えるとは、わたしには到底思えないの。身勝手なことを言って本当にごめんなさいね、でも、わたしに取って、あなたはきっと運命の女神なのよ。だから、お会いしたこの機会を大切にして、疑問に思ったことはすべて聞いておかなければ、取り返しがつかないことになりそうな気がするの。あなたが帰ろうとするたびに後ろ髪引かれる思いがするのは、あなたの前髪をしっかりつかまえておきなさいという女神からのメッセージなのかも知れないわね。うふふふ」
「あの、言っていることが少しもわからないんですけど」僕の期待は、この不可思議な理論に一瞬で吹き飛ばされてしまった。
「あら、いいのよ、分からなくても。わたしがあなたを大切な人だと思っていることだけ感じてくだされば、それでいいの。どうでしょう。察していただけます?」
「べつな意味でなら、察したいですね」
「まあ、それは急には難しいことだわね。今後よく考えてからということにしてはどうかしら?」
僕は何だか、体よくいなされたという感じがしたが、どんな意味合いにせよ彼女に必要とされているなら、今後発展する可能性はあるわけだと自分に言い聞かせた。
「ウ、ウイ、ダ、ダコール。いけね、フランス語が出ちゃった。も、もちろん、賛成ですよ。えへん。それじゃ、疑問にお答えしましょう。何なりと質問してください」
「感謝します。あまりお時間は取らせませんから、あと二つだけお願いね。では、一つ目。浅井忠様は、確かフランス留学以前は東京で活動をしていたと思うけど、どうして留学後、すぐ京都の工芸学校に赴任できたのかしら。留学前から決まっていたのでしょうか?」
「そうきましたか。実は、それこそ僕の調査の中心課題なんですよ。ちょっと長くなりますが、聞いていただけますか」
作品名:京都七景【第十五章】 作家名:折口学