セカンド・パートナー
第五話
それからひと月後、初めての店で、佐知子は内藤幸次と向かい合って座っていた。
沙織から初めて幸次を紹介された時、彼の話から、父親と経営している不動産屋の場所がすぐに頭に浮かんだ。それは佐知子が以前勤めていた会社の近くだったので、見覚えるのある店だったからだ。
そして、今日、佐知子は思い切って幸次の店を訪ねた。もちろん、甚だ非常識な行動であることはわかっている。だが、あの夜の孝のことを思うと、男性側の気持ちを知りたいという気持ちを抑えきれなくなっていた。妻がいながら、他の女性とつながりを持つ男の言い訳を。
また一方で、そんな妻の立場とは逆に、妻子ある男と付き合う沙織側に立って、それではたして本当に心が満たされるのかも知りたかった。
沙織には悪いとは思ったが、自分よりはるかに恵まれた状況にいるのだから、これくらいのことをしても許されると思うことにした。
もし、店に幸次以外の人がいたら、物件を探す顧客を装うつもりだったが、ちょうど幸次ひとりが店番をしていた。店に入ってきた佐知子の姿を見た幸次は、とても驚いた様子だったが、この喫茶店の名前を告げ、ここで待っていて下さい、と言った。
言われた店で待っていると、店番を父に託したのだろう、しばらくして幸次はやって来た。
佐知子は立ち上がって、まずは詫びた。
「すみません、急にお訪ねしたりして」
「沙織さんはご存じないのですね?」
「はい、内藤さんとふたりだけでお話したかったものですから」
ちょっと困ったような表情を浮かべ、幸次はコーヒーを注文した。
「それで、僕に何か?」
「沙織の言っていることは本当なのでしょうか? そうだとしても、男性側はどう思っているのかがとても気になりまして」
幸次は、まっすぐ佐知子の目を見て話し始めた。
「佐知子さんは、沙織さんの古くからの親友だとお聞きしています。ですから、正直にお話します。
今日は沙織さんを心配してみえられたのでしょうが、安心してください、僕たちはこの間お話した通りです。沙織さんもあなたに事実をお話していると思いますよ」
「そんなに固い絆で結ばれているのなら、なぜ、お互い離婚して一緒になろうと思わないのですか?」
「僕は二十代前半で結婚して家庭を持ちました。妻とは熱烈な恋愛の末結ばれ、ふたりの子どもにも恵まれました。平穏な暮らしが続いている今、波風を立ててまで離婚するつもりはありません」
「そんな形で結婚されたのに、沙織とも心を通わせているのですよね? 大変失礼ですが、それって家庭人としてはおかしくありませんか?」
「恋愛をして家庭を持ち、子どもが生まれる、ごく自然なことですよね。でも時が流れ、子どもたちも成長し、親としての役目も果たし終えた。そんな時、ふと感じたのです。若かりし頃と今とではいろいろと変わってしまったことがあると」
沙織と同じようなことを言っている、そう思いながら、佐知子は黙って幸次の言葉に耳を傾けた。
「今や妻は息子たちの母親で、私たちは家族です。その関係に慣れきってしまい、いつからかお互いをちゃんと見ることも、お互いに関心を持つこともなくなっていました。今、妻と支え合っているのは、日々の暮らしであって、人生を共に楽しむ、心を支え合うという、本来大切であるはずのことがなくなっていたのです」
こういう時にタバコでもあれば、良い間になるのだろうが、このご時世、そうはいかない。幸次は代わりにコーヒーを口に運んだ。
「若い時に家族を作るために選んだ女性が、一生の幸福を共にできる相手とは限らない、僕たちは、二十年という歳月で、少しずつ好みも考え方も変わっていってしまったのだと思います。
でも、愛した女性には変わりありません。ですから、生涯、暮らしに困らせるつもりはありませんし、沙織さんとのことで嫌な思いもさせないようにするつもりです。そういう意味で、沙織さんとは男女の関係にはなりません。
男の勝手な言い分かもしれませんが、妻は子孫を残すために遺伝子が選んだ女性であり、沙織さんは僕自身が人生の晩年を楽しむために選んだ女性であるような気がします。そのふたつを併せ持った相手と生涯を共にできる、というのが理想だし、本来それが結婚というものかもしれません。でも僕にはそれができなかったということです。
僕にとって沙織さんは、たしかにセカンドパートナーですが、それは順位を示す二番目というより、第二の人生のパートナーという意味なのです」
ひと通り、言いたいことを言ったという感じで、幸次は黙ってしまった。今度は佐知子が何か言う番だとわかっているのだが、佐知子は何を言っていいのかわからなかった。
幸次の話は、わかるようでわからない。正しいようで何かおかしい。
「幸次さんのお気持ちはよくわかりました。でも、正直言いまして、今のお話をすぐに理解することは私には出来ないようです。ただ、お時間を取っていただいて、丁寧にお話してくださりありがとうございました」
家に帰っても、佐知子はただ、ボーっとソファーにもたれて、しばらくの間、何も手に付かなかった。
自分は、沙織への嫉妬心と、夫、孝への不信感からくる苛立ちから、親友の彼にこっそり会いにいくという、常軌を逸した行動に出てしまった。でも、その相手は、親友を心配して話を聞きに来たと思ってくれた。佐知子は、とても恥ずかしいと同時に、そうだったらどんなに救われるだろう、そう思った。
結局、沙織の言う通りだということが裏付けされたが、幸次の妻は、はたして幸せなのだろうか? 佐知子は、やはり妻という立場の側に身を置いて考えていた。
(最後まで面倒を見てくれるというが、心は他の女性にいっている――そんな夫にそばにいてもらっている妻。もっとも、そうと気づかせない配慮はするだろうが、それでも哀れだ。
むしろ、関係を持って、いずれ別れる、そんな相手の方が罪は軽いのではないか? 沙織たちは、互いの相手のために関係は持たないと決め、免罪符のようにしているが、本当は逆なのではないだろうか?)
今夜も、夫は早く帰ってきそうもない。また、深夜のご帰還だろう。もしかしたら、あの正体不明の電話の主といっしょなのかもしれない。
しかし、今の佐知子は今日の幸次の話を聞いたせいか、夫の疑惑などほんの些細なことのように思えた。
(たとえ、もしもそのようなことがあったとしても、男の単純な一時の行動など、取るに足らないことではないか、沙織が再三言っているように、ほどなく終わることなのだから。
そんな、存在するかもわからない、不確か女の影に惑わされている場合ではない。今は夫婦間の修復が先なはずだ。
今度、旅行にでも誘ってみよう、ふたりだけの時間を過ごし、お互いを見つめ直そう。そして、人生を豊かにする共通の生きがいを探すのだ)
佐知子はそう思うと、ソファーから身を起こし、背筋を伸ばした。
(私は、セカンドパートナーなんて必要ない)
作品名:セカンド・パートナー 作家名:鏡湖