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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま 36話~40話

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 「そうでもないさ。たまを懐に入れたり、日傘を2本も持ってきたり、
 足袋まであたしに分けてくれたり、あんたも相当な世話焼きだ。
 じゃ、あたしのお気に入りの食堂へこれから案内するから、
 そこでラーメンを食べようか」

 「願ってもありません。どこまでも、着いていきますお姉さん」

 「うふふ。お前ったら、なんだか、いちいち可愛いね。
 よし。着いといで。
 喜多方のラーメンはどこで食べても、美味しいよ。
 あっ、たまには無理がある。スープは熱々のうちが一番旨いからね。
 猫舌のお前には、無理があるなぁ」

 喜多方市のラーメンは昭和の初期、「源来軒」が、中華麺に近い
「支那そば」を打ち、屋台を引いたのが原点。
当時は敗戦の影響による食糧難の時代だった
そんな中。「支那そば」は喜多方の市民にとって、すばらしいご馳走になった。
そしてその味は、あっというまに市民生活の中へ浸透した。

 源来軒から、支那そば作りを継承する人間が増えていく。
市内の多くの食堂で、支那そばがメニューとして出されるようになる。
こうした流れから現在でも、多くのラーメン店が「○○ラーメン」という屋号を
使わず、昔ながらの「○○食堂」という表記をしている。
喜多方ならではの、流儀といえる。

 喜多方市は蔵とラーメンの街として、全国に知られている。
きっかけは、「蔵」の写真展示会。
市内で写真店を営んでいる金田実氏が、四季を通して喜多方の蔵の写真、
500枚ほど撮影した。
東京で写真展を開催したことで、「蔵のまち喜多方」が
全国に浸透するきっかけを生んだ。

 1975年(昭和50年)。NHKが「新日本紀行」で「蔵のまち喜多方」を
全国に紹介したこと。このことで人気に火がついた。
おおくの観光客たちが、蔵とラーメンと酒蔵の町へやってくるようになった。

(40)へ、つづく