[完結]銀の女王と金の太陽、星の空
第十九章 王子と頭領
『母上、私は父上を誇りに思っております。』
深い銀色のおかっぱ頭の幼い男の子が、こちらをまっすぐに見て微笑む。
切れ長の涼しげな黒水晶の瞳を三日月に細める表情は、愛しい人にそっくりだ。
『父上のお役に立てるよう、もう少し強く賢くなってから、また母上の元に参ります。必ず、戻って参ります。ですから、それまでどうか悲しまずお健やかにお過ごしください。』
「…どこに行くの?」
『どこへも参りません。いつでも母上のおそばにおります。ただその腕に抱いて頂けるには、もう少し時間がかかるだけです。』
「行か…ないで!」
『母上、一国の王は軽々しく涙を見せてはいけません。たとえ親兄弟、子どもが死のうと、感情を見せては国を治められませんよ。』
「楓月(かづき)!」
思わず名前を呼んで手を伸ばす。
『…かづき…?私の名ですか?』
訊ねる表情は笑顔なのに、なぜか泣きそうに見える。
「楓(かえで)に月と書いて『楓月(かづき)』よ。」
私の言葉に楓月は満面の笑顔で頷く。
『ありがとう。』
けれどその声は、すすり泣く声にかき消された。
私は、眩しさに瞬きながら目を開けた。
「女王様、気がつかれましたか!」
聞きなれた女官の声に、私はゆっくりとあたりを見回した。
「具合はいかがですかな?」
医師が枕元まで来ると、そっと跪く。
「…お腹が…痛…くない?」
私はそっとお腹に手を当てる。
「ここは、城?」
なんだかボンヤリしていて、よく頭が回らない。
「あなた様の私室ですよ。」
医師は穏やかな微笑みを見せる。
「どこまでが、現実?」
部屋を見回しても、女官と医師しかいない。
女官はなぜか皆、泣き腫らした目をしている。
「どこまで、とは?」
医師が私の手を握りながら、そっとその手を撫でる。
「お腹の、子は?」
私は医師を見つめた。
医師が笑みを深めたその時、風が動く。
「聖華。」
聞こえてきた声は、愛しくてたまらない声だった。
「…空。」
私は体を起こそうとする。
けれど、下半身にうまく力が入らず、起き上がれない。
そうこうしているうちに、寝室のカーテンが開き、会いたくて仕方がなかった愛しい人の姿が現れた。
私が腕を伸ばすと、空が風のように傍まで来て、私を抱きしめる。
「聖華!」
私も『空』と呼びたかったけれど、堰を切ったように溢れる涙と嗚咽で言葉にならなかった。
そんな私を、空はギュッと抱きしめる。
私も空の背中に腕を回すけれど、うまく腕に力が入らない。
「空様、まだ安静が大事ですよ。」
やんわりとたしなめるような、医師の声が聞こえる。
空は私を腕に抱いたまま、そっと身を起こした。
「傍に、いさせてくれないか。」
色術を気にしてか、私の首筋に顔を埋めたまま言った。
耳元で空の艶やかな低い声が聞こえ、鼓動が高鳴り幸福感で満たされる。
傍で、医師が立ち上がる気配がする。
「また、様子を見に来ます。それまでお任せしましたぞ、空様。」
風がざわざわと動き、女官たちと医師が部屋を出ていったことがわかった。
空は私をベッドに寝かせると、そっと隣に潜り込んできた。
私はそちらへ体を向けたいけれど、うまく力が入らず向けない。
そんな私を、空がギュッと抱きすくめる。
「…熱いな、身体。」
言いながら、瞼に口付けられる。
「もう少し、寝みな。」
私は意識がボンヤリとして、もう瞼を持ち上げられない。
その代わり、深呼吸をして空の香りを確かめる。
「も…いなく…ならない?」
最後のほうはうまく呂律が回らず、言えなかったかもしれない。
空はふっと笑うと、抱き締めたまま頭を撫でてくれた。
「ん。もう離れないから安心しな。」
そして頬に柔らかなものが触れるのを感じながら、私はまた意識の奥底へ沈んでいった。
「楓月?」
耳元で艶やかな低い声がして、ふと目が覚めた。
とたんに、空の綺麗な寝顔が視界いっぱいに広がる。
「…へぇ…。」
珍しく寝言を言っているようで、ふっと口の端をあげて笑う。
しばらくその様子を眺めていると、鉛色の睫毛がふるえて、ゆっくりと切れ長の瞼が持ち上がった。
「…!」
開いた黒水晶の瞳が私の碧眼を捉えて、珍しく驚いたように見開かれる。
「空。」
私が笑顔で名前を呼ぶと、空がその瞳を潤ませ、私を力強く抱き締めた。
「無事で、良かった!」
空は私の首筋に顔を埋めながら、涙声で言った。
「それはこっちの台詞よ。」
吐息が首筋にあたるくすぐったさに肩をすくめながら言うと、空は顔をあげた。
そして私を仰向けにすると、覆い被さるように左耳朶を口に含んだ。
(あ…。)
そこには、空のピアスをしていた。
耳元で、くちゅっと音がし耳朶が舌で転がされる。
その艶かしい音と感触に、背筋がぞくりと痺れる。
私が耳朶を食むたびに、空はこんな感覚になっていたのだろうか。
「空…。」
息を吐きながら名前を呼ぶと、空が耳朶を解放する。
そして色気たっぷりの視線を寄越しながら、私の右側に片肘ついた。
「誘ってんの?」
「!!」
一気に顔が熱くなる。
そんな私の頬を大きな左手で撫でながら、空は笑みを深めた。
「体が戻るまで、お預け。」
そして私の王家の紋章入りのピアスを私の目の前にぶら下げる。
それは、空のピアスをつける時に外していた左側のピアスだった。
「いつの間に…。」
「つけて。」
私の言葉を遮って、空が自分の左耳をこちらへ向けてくる。
「…これを?」
私が戸惑うと、空が右耳を見せる。
「実は、左右共、生まれたときに母さんにホール開けられてたんだ。でも任務中に右側のを落としちゃってね。それ以来、ホールピアスつけてたんだけど、わかんなかったでしょ。」
言いながら、いたずらっぽく黒水晶の瞳を三日月に細めて微笑む。
確かに、その右耳朶には透明のホールピアスがついていた。
「右には、しまっておいた母さんの形見の黒水晶のピアスをつけて、左に聖華のこれをつけるから」
そこでいったん言葉を切った空は、一瞬真顔になった後、妖艶に微笑む。
「お揃い。」
妖艶なのに無邪気な様子に、私の鼓動は激しくなるばかり。
私は高鳴る鼓動をなんとかおさえながら、空から自分のピアスを受け取ると、左耳へつけた。
揺れる大きな金のピアスをつけた空は、本当に美しくて艶やかで、色術なんてなくても誰もが虜になってしまうようだった。
「みんなに狙われそう。」
右耳に黒水晶のピアスをつけている空をうっとりと見つめながら、思わずそんな言葉を呟いた。
「じゃ、聖華が守ってよ。」
私の手を大きなその手で包み込むと、手の甲に口付ける。
そして、二人で視線を交わして同時に笑う。
「空。」
私が空を見つめながら首を傾げると、空も同じように首を傾げて私を見つめる。
「ん?」
「星一族の件は、どうなったの?」
その瞬間、笑顔が消える。
でもすぐに、空は微笑んだ。
「もう、一族は女・子ども入れて8人しか残っていない。」
「…どういうこと?」
作品名:[完結]銀の女王と金の太陽、星の空 作家名:しずか