③銀の女王と金の太陽、星の空
第十章 初契り
私は空を伴って、私室へ戻り、女官たちを下がらせた。
空は私が用意した水を一気に飲み干すと、大きく息をつく。
そして袈裟懸けのベルトを外し、背中の2本の刀を下ろす。
「母は…俺を身籠ったことに気がついて、すぐに将軍から離れたんだ。里の者に将軍の子どもを身籠ったことを知られたら、道具にされると思ったから…俺と将軍を守るために…。」
言いながら、空は腰にぶら下げている武器もベルトごと外して下ろす。
ごとんっと重い音がし、その武器の重さを知る。
「母は、娼婦をやめたんだ。俺を育てながら娼婦をしたくない、と必死で仲間に理解を求めて…。母は里の頭領だったし、上忍としてもトップクラスの実力の持ち主だったので、里の者も文句を言えず、母は娼婦をやめることができたんだ。ところが」
そこまで一気に言うと、空は自分の額に手を当てて、部屋の柱にもたれかかる。
顔面が蒼白だ。
今にも倒れそうな空の体を、私はそっと支えた。
「俺は…俺が…生まれつき色術の力が強かったばかりに…普通の子育てが、母はできなかったんだ…。」
(!)
空は私を見つめると、顔をゆっくりと近付けてきた。
そして鼻と鼻がくっつきそうな至近距離で、私を見つめる。
私も、真っ直ぐに空を見つめ返す。
するとその切れ長の黒水晶の瞳が一瞬苦しげに細められた刹那、私を荒々しく抱き寄せた。
そして何度も何度も抱き締め直し、すがるように頬をすりよせてくる。
「母も、おまえほど精神力が強かったら良かったのに…!」
震える声と共にすりよせられる頬は濡れていて、私の頬もしたたかに濡らす。
(空、泣いてるの?)
「赤ん坊の俺が母を見つめただけで、泣き声を上げただけで、母は色術にかかるんだ…!
」
(赤ちゃんの頃からそんな力が…!)
その様を鮮明に想像した私は、その
まま空をギュッと抱き締めた。
「毎日、日常的に色術にかかる母は…娼婦をやめていたけれど、男を欲するようになったんだ…。」
空の背中は小刻みに震えている。
私の体をすっぽりと包み込んでしまう大きな体なのに、その背中はとても小さく幼く感じるほど頼りなかった。
私は、そっと空の背中をさすった。
すると空は、更に私をきつく抱き締める。
「男を求める体と、それを否定する心の葛藤が母を苦しめ、その弱った心にまた俺の色術が入り込むものだから、さすがに上忍の母も精神を少しずつ破壊されていった。」
空はそこまで言うと、腕の力を緩め、涙で濡れた黒水晶を切なく細め、私を見つめる。
「はたから見ても、精神が壊れてきているのがわかるようになったのは…おれが5歳の時だった。」
私は空の涙をタオルで拭いながら、近くにあったソファーに空を座らせた。
「仲間が、母に言ったんだ。」
グイッと腕をひかれ、私は倒れ込むように空の膝に座らされ、そのまますっぽりと抱き締められた。
抱き締められているんだけれど、まるで幼い子どもが甘えて抱きついているように感じるほど、空の纏う空気は弱々しかった。
「『空は、危険だ。離れた方がいい。』」
空の腕が小刻みに震える。
頬を私の額へ押し当て、少し荒い息を吐く。
「そして俺は、無理矢理に母と引き離され…娼館へ預けられた。」
(5歳で娼館!?)
驚いて身を起こそうとする私を、空は抱き締めたまま止める。
「その後は、想像通りだ。理性が壊れてきていた母は、里の男たちの慰みものになり、頭領とは名ばかり。俺は…男女関係なく、客をとらされた。」
(!!)
「…も、もう、わかった!空!!」
私は空の口を両掌で塞いだ。
これ以上は、空が傷つくと思ったからだ。
でも空はそんな私の手首を掴むと、そっと外した。
「きいてほしいんだ、おまえに。」
膝の上に座っている私は、体を起こすとちょうど空と同じ高さで目が合う。
少し涙も落ち着いたようだ。
私はホッとして、思わず小さく微笑んだ。
すると空は切なくそれを見つめた後、再び私を自分の腕の中におさめる。
「俺は男娼から抜け出したくて、忍の稽古に励み、実力を身に付けていった。そして少しずつ男娼より任務のほうが増えてきた13歳のある日、任務の帰りに母の様子をこっそり見に行ったんだ。」
私を抱き締める力が、再び強くなる。
「5人の男に、遊ばれていた。」
私は思わず、空の服を握りしめる。
「仲間の男たちだったけれど、俺はそいつらを殺した。…初めて、人を殺した。でも…母はもう俺のことがわからなかった。…わからないばかりか、俺を男として…求めてきた。」
(子どもを認識できない…。しかも…。)
空と別れて8年間、空のお母さまがどれほど壮絶な生活を送ったのか…、ようやく会えたお母さまの惨状を目の当たりにした上、自分を認識してもらえず性的な対象にされそうになった空の心の傷を考えると、私は胸が押し潰されそうに苦しくなった。
(ひどすぎる…あまりにも、ひどすぎる…。)
『おまえも、ひとりだな。』
空の言葉が甦る。
空に比べたら、比べることなんてできないくらい私なんか孤独でもなんでもない…!
私は自分の口を押さえてむせあがる嗚咽を押し留めようとした。
腕の中で小刻みにふるえだした私の顔を、空はそっとのぞきこんだ。
「なんでおまえが泣いてんの。」
わずかに笑いを含んだ声色に、私の涙は更に溢れ出す。
空の首筋に顔を埋めながら、首を左右にふった。
空は喉の奥で小さく笑うと、私の頭をぎゅっと自分の体に押し付けるように力を込めた。
「初めてだよ、こうやって人とまともに話せたの。」
喉元に耳が当たるので、空の低い艶やかな声が頭に直接響いてくる。
「母にすら、抱かれたことがほとんどないし、ましてや目を合わせての会話などできたことなかった…。」
空は私の後頭部を撫でながら、甘えるように頬をすりよせてくる。
「男娼として、数えきれない人数と肌を合わせてきたけれど、みんなおかしくなるし…。」
私は空の背中に腕をまわし、ギュッと抱き締めた。
空も応えるように、抱き締め返してくる。
「心を交わしながらの抱擁が、これほどに心地よく幸せな気持ちになれるなんて、知らなかった…。今までは触れられることが恐怖で不快だったから…。」
そして一度大きく深呼吸をすると、私の肩をつかみ、自分の体から私を離す。
「ごめんな、こんな汚れた体に抱きしめてしまって…。」
そして、首を傾げながらふわりと優しく微笑む。
「ありがとう。」
言いながら、私を膝からおろす。
私は首を左右にふって、空へ抱きついた。
「汚れてなんか、いない!!」
再び、今度は私の意思で空の膝へ座り、その体を強く強く抱き締める。
「私は、あなたとこうやって普通に話しができる人間になれて…本当に嬉しい。」
体を起こして、空を間近で見つめる。
「ほら、全然変わらない。」
言いながら笑うと、空の黒水晶の瞳から涙が一筋弧を描いて流れた。
そして切なく目を細めながら、首を傾けた。
「…忍に情は必要ないけれど…俺というひとりの人間には…どうやら必要だったようだ…。」
ゆっくりと顔が近づいてくる。
作品名:③銀の女王と金の太陽、星の空 作家名:しずか