藁人形は微笑わない
九条が最後に辿り着いたのは、東寺だった。東寺は真言宗の根本道場であり、東寺真言宗の総本山でもある。「教王護国寺」とも言われている。五重塔が有名なこの寺院は平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より弘法大師に下賜(かし)され、真言密教の根本道場として栄えた。中世以降の東寺は弘法大師(要するに空海)に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、現代でも京都の代表的な名所として存続している。さらに、一九九四年には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。
東大門から中に入ると直ぐの所に瓢箪(ひょうたん)池が見え、夕空に包まれた五重塔が綺麗に演出されていた。
「熊取っ!」
九条はもう一度叫んでみた。やはり、返事は見当たらない。彼が一瞬絶望しかけたその時、丁度池に死体が浮かんでいるのが見えた。慌ててその場に駆け寄ってよく見てみると、その遺体は太秦孝明――あの虐めっ子だった。そして彼を少し見た後、九条は立ち上がって辺りを眺める。
「出てこい、犯人――熊取いずみさん。いや、高木彩夏さん」
九条のその一言に対し躊躇する事無く、彼女は現れた。きっと、近くの木々に隠れていたのだろう。
「ばれてしまいましたね。でも、何で私がやったって分かったんですか」
「まず、その敬語口調やめてくれないか。君は二つ下の学年の熊取いずみじゃない。同級生の高木彩夏だ」
熊取、いや高木は「はーい」と生返事を返した。
「まず、今回の事件。簡単にまとめれば、昨日の夜九時半から十一時半の間に、宇治政樹さんを清水寺で殺害。さらに、八坂神社で蛸を殺害。そして、六条通商店街で鱈を殺害。そして、一番最後に山科美穂さんを水中に沈めて殺害。さらに、たった今太秦孝明さんを殺した。孰れにせよ、水中に遺体を入れたり、道から外れた松の木の下に置いたりして犯行時刻や発見時刻は遅らせられるからな」
「なるほど、犯行の順番も正解よ」
「ただ、君は僕にわざとあの順番で事件を発見させた」
「……ど、どういう事かな」
「丸竹夷って分かるかい。古典芸能研究会に入っているなら当然、分かるよね」
高木は自信満々に「ええ。分かりますとも」と答え、歌詞の一節を歌い始めた。
「――丸竹夷二押御池、姉三六角蛸錦、四綾仏高松万五条、雪駄ちゃらちゃら魚の棚、六条三哲通り過ぎ、七条越えれば八・九条、十条・東寺でとどめさす――だけど」
「どうやら分かっているみたいだね……実は、それが答えだ。そもそも丸竹胡というと、京都市の中心部の東西・南北の通りの名を覚えるために、通りの名前を編み込んだ唄がいくつかある中の一つだ。その中でも代表的なものが南北の通りを覚える寺御幸、そして東西の通りを覚える丸竹夷。丸竹夷が口伝えに伝えられてきたものであるのに対し、寺御幸は一度途絶えてしまったものを、過去の史料をもとに再編したものだ」
「確かに」
「そして、この歌詞は各通りの頭文字から取られている。北から順に丸太町、竹屋町、夷川、二条、押小路、御池、姉小路、三条、六角、蛸薬師、錦小路、四条、綾小路、仏光寺、高辻、松原、万寿寺、五条、雪駄屋町、銭屋町、六条、三哲、七条、八条、九条、十条、東寺と言った具合だ」
「……ほう」
高木が感嘆する。
「丸竹夷二押御池――二条城で御池に沈めて殺害。姉三六角蛸錦――八坂神社で蛸を殺害。四綾仏高松万五条――清水寺で宇治政樹さんを殺害。雪駄ちゃらちゃら魚の棚――六条通商店街で魚を殺害。今の六条通商店街があるのは、昔は六条通では無く魚棚通だからね。さらに、六条三哲通り過ぎ、七条越えれば八・九条。そして、十条・東寺で太秦孝明にとどめを刺す。実に君らしい殺人トリックだ。丸竹夷の歌詞通りの順番で、僕に発見させた」
「へえ、トリックも正解ね。最後に、動機は」
高木が九条に問い掛ける。
「それは君が一番知っているはずだ……まあ、良い。僕から説明する。幾つか推測も含んでいるが、それでも良いか?」
「――どうぞ」
高木が首を縦に振った。
「そもそもの原因は、中学一年生まで遡る。教室で飼っていた鱈が何者かに殺されていたという件だ。誰が殺したのかという事はさておき、それぞれの人物を殺した動機を簡単に説明していこう。まず、先に見つかった山科美穂から。彼女に関しては至って簡単な動機だ。まとめれば、彼女とは恋敵だったからだ。中学を卒業して以降に、彼女の友人から話を聞いたが、どうやら僕の事を好いていたらしい。実際、クラスの委員長と副委員長だった僕と山科の二人には、付き合っているという噂もあり、嫉妬してしまう原因はあるからな。続いて、次に見つかった宇治政樹さんだ。彼は恐らく、君の事が好きだった余りに、どうせストーカー行為でもしていたのだろう。流石にあんな事されれば、誰でも嫌気が生まれるはずだろう。そして最後に、先程亡くなった太秦孝明さんについてだ。彼は、君を虐めていた主犯で、君が好んで飼っていた鱈を殺した犯人なのだろう。これに関しては完全に推論だが。どうだい、僕の推理は」
「殆ど正解ね。九十八点って所かしら」
高木が腕を組む。
「その二点の減点は、何なのかい」
「一つ目。宇治くんにはストーカー被害なんて受けてない、という所。告白さえされてないけれどね。でも、私の本命の人では無かったからね」
「ほう。因みに、太秦を殺した動機はこれで合っているのかい」
九条が高木に確認する。
「これはあっているわ。でも、違うのは別の所かな。そもそもの、私がこれらの事件を起こした動機」
高木の言葉を、九条が固唾を飲んで見守る。
「大好きな君とデートしたかったから」
九条は「えっ」と声を上げ、唖然していた。
「まず私が中学の時にあの事件を起こした理由は、一度自分を殺す為。毎日虐められたりしていたのが悲しかったんだ。勿論、自分を殺すっていうのは世間的にね。物理的にじゃないよ」
「分かっている。そんな事をされたら、悲しくて僕が死んでしまう」
「結局、君は高木生存説を今日まで信じ続けてきてくれたからね。君が生きていてくれて本当に良かったよ」
「因みに、事件の後はどうしていたんだい」
「元々用意していた私服に着替えてから、ちゃんと飛び降りたよ。トイレの窓から――もし死んじゃったら、生き返った時に来世で生まれ変わって幸せな人生を送れるかなって思っ……」
その時、高木の傍に足早に歩み寄った九条が、彼女を力の限り抱き締めた。
「命を無駄にするな、高木っ! 死んでお前が何が出来るっていうんだ。お前が死んだら、俺はどうして生きていければ良いんだ……第一、お前がやってみたい事っていうのは……、やってみたい事っていうのは……僕と一緒になる事だろうがっ!! だったら、早く告白してこいよ、この馬鹿野郎が」
「――馬鹿野郎、って」
九条が流していた右目の涙を、高木が血の付いていない方の左手で優しく拭き取った。すると、彼は安心したのか平静を取り戻した。
「すまない、高木。ついつい口が滑ってしまった」
九条が、冷静に謝罪した。
「――藁人形は笑っていなかったよ」
「えっ」
突如高木が発したその言葉に、九条が驚いた。