藁人形は微笑わない
「私に一杯釘を刺されたりしたから。結局、私が作ったあの五体の藁人形は少しも笑おうとしなかった」
「そりゃ、そうだよ」
「それにしても何だか、私がまるで藁人形みたいに思えてきたんだ。結局、釘を刺されたのは自分だからね」
「――そうか。それなら、今からその藁人形を笑顔にさせてあげようか。まずは手を洗え」
九条は高木を突き放してから懐の携帯電話を取り出すと、誰とも会話する事無く、次の文面を打った。
『烏丸さん、犯人捕まえました。ただ、少しだけ時間を下さい。今日の午後十一時に京都府警に身柄を引き渡します。自首したいようです』
携帯電話を閉じた九条が、高木に声を掛ける。
「今からデートしに行こう。熊取いずみではなく、高木彩夏として。そして、先輩後輩の仲ではなく、恋仲として」
高木は「九条くん、私と何処に行くの?」と、手を拭きながら尋ねていた。
「決まっているじゃん。今日は祇園祭前半の山場、前祭(さきまつり)の山鉾巡行さ。一緒に行かないかい。あ……あと、呼び方は賢(・)くん(・・)でいいからな。変に気を使われたくないし」
九条の言葉に対して顔を赤らめていた高木は、自らの鼓動を落ち着かせる為に一呼吸置いてから、笑顔で返事をした。
6
無事に就職内定通知を貰ったその日、九条は「今日ばかりは宴会だ」と意気込み、軽やかに表路へと出た。依然として変化を見せない丹波橋の街並みは、今もなお哀愁が感じられた。
そして、いつもの様に京阪丹波橋駅に九条は辿り着いた。サークルの後輩や、恩師に内定報告をする為だ。そして、今日も既に定期券と化したピタパを改札の読み取り部に触れさせ、七時四二分発の特急電車を待つ間に、京都寄りから二つ目の長椅子の端に腰を下ろした。そこで、自分のスマートフォンの画面に目を通し、ある程度の情報を仕入れるのはやはり彼の日課だった。
「EUからイギリスが離脱。ユーロ値が大き――」
九条は、安いバイトで地道に溜めたお金で実際に株式取引をする様になっていた。株を観れば、世界が分かる――これは彼がよく友人に言い散らしている常套句だった。
そんな中、七時四二分発の特急が駅へと姿を現していた。段々と大きくなっていくその姿を見て、九条は慌てる事無くゆっくりと立ち上がった。
「――お早う、九条くん」
特急列車と到着アナウンスの声に掻き消されそうになりながらも、その声は確実に九条の元に伝わっていた。
馴染みのあるその声。
無駄に幼いその声。
何かと切ない記憶がふと蘇って、脳裏を駆け巡る。
九条は既に扉のしまった特急列車の方では無く、その声のする方へと足を動かしていた。
「えっ」
その場にいたのは、彼が昔見た人物によく似た女性だった。背丈も顔のパーツも、何となくではあるが面影があった。
「はじめまして。九条賢市くん」
「は……、はじめまして」
やはり状況の読めない九条を背に、先程の特急列車は丹波橋駅を発(た)った。
「すみません。貴方は一体……」
九条が素直に問いかけた。
「私は高木彩夏の二つ上の姉、高木悠夏よ。今は京都府警で働いているの。貴方が気にかけている彩夏ちゃんの事、教えてあげようか」
黒い長髪を贅沢に下ろしていた彼女は微笑みながら、疑問符を浮かべていた九条を見つめていた。
「……本当の事?」
「そう、本当の事。少し前に、彩夏ちゃんは獄中で死体の状態で見つかったんだ」
九条は開いた口が塞がらなくなる程に驚き、溢れる涙を堪える事でさえも出来なかった。
X年前、そこに置かれていた変死体。
完全な密室になっていたはずの彼女の部屋。
その傍には、腐りかけた藁人形。
一緒に、ダイイングメッセージを添えて。
――X年前のその日を最後にして、君は僕の前から消え失せた。
藁人形は完結(おわ)らない――
(了)