青春スプレヒコール
私は自然にこの平素な言葉を吐いていたが、その時の教室には一瞬沈黙が生まれていた。そして、その沈黙が無くなったと思えば、数秒の笑いが起こる――よくある虐めの風景だ。本人のいる前では直接悪口を吐かず、陰でこそこそと悪事を働く事だ。勿論、私の思い違いの可能性もあるのだが。
これが何か大きな事件に発展しなければ、こんなに嬉しい事は無い。
「そうか、月島さんでも分かんない事あるんだ。それじゃ、部活で」
春日はそう言い捨てると、一番後ろにある自分の座席へと戻っていた。
私にだって、分からない事はあるさ。人間だもの。しかも、学校内だけでも私の上にはまだ四人いるんだもの。
分からない事――あ、恋愛か。
私の悪い未来予知は最終的に的中してしまった。
事件が起きたのは、週が明けてからの出来事だった。それは、私がようやく台詞を覚えてきた頃の事だった。
登校したての私がいつもの様に教室の隅の特等席に座ると、教室にいたクラスメイトが妙にざわついていた。それが不自然に聞こえたので、私はその声に耳を澄ませた。
「咲良の奴、最近隣のクラスの春日とやたら仲が良いんだって」
「うわ、きもっ」
「春日も残念だな、あんな奴と仲良くする人間だったなんて」
「塵(ごみ)だな、塵」
私はその言葉に耐えられなくなっていた。
【季節】の無いあの世界にいた頃の私なら、どんな悪口でも耐えられていたのかもしれない。
でも、今回は訳が違っていた。
その悪口の対象が、私にとっての数少ない友達だったからだ。
私は調子に乗っていたのかもしれない。
彼らの言葉を借りれば、彼は塵なのかもしれない。
ただ彼を塵なんて言う権利は誰にも無いはず。
でも、何故か心よりも体が先に動いてしまったんだ。
その結果、感情に逆らえなかった私の方が愚かだ。塵だ。
この事件が起きた現場を改めて観た私は、言葉が出なかった。そして、自分の犯した罪の大きさを知った。私は本当に最悪な人間だ。
やがて、私には今回の事件を理由にして、一週間の自宅謹慎が言い渡された。
「どうしたんだ、春日……最近元気無いな」
酷く落ち込んでいていた春日に金崎さんが声を掛けた。
「すげえ」
「よく、あれだけ暗い春日に声掛けられるよね」
部屋の奥の方で脚本を読んでいた土田と木原が、ひそひそと話している。度胸のある金崎さんに感心しているようだ。
「……な、春日。お前が落ち込んでいるのって、水野の事が原因だろ?」
春日は首を横に振った。
「じゃあ、月島か?」
彼の恋愛事情を知っていた演劇部員達の前で嘘を吐く事は出来ないと思った春日は、「そうです」と小さく呟いていた。
その様子を見た金崎さんは、すぐに彼に対する結論を出した。
「……今日は、家に帰って休んだ方が良いよ」
木原と土田が二人の傍に寄り、金崎さんの意見に賛成意見を付け加える。
「取り敢えず、家で頭冷やして来いよ」
「主役とヒロインのメンタルが壊れてたら、この劇も月島さんへの告白も上手くいくはずなんかないからな」
春日を優しく労(ねぎら)う彼らの言葉に促されるように、始めは拒んでいた様子を見せなくなり、彼は先に帰る事を決断した。
「有難うございます……つっちー、木原、そして部長も」
春日はゆっくりと身支度を済ませると、「お疲れです」と言って教室を離れた。
「――行っちゃいましたね」
木原が彼が駆け出して行った扉の方を見て言った。
「はは、そうだな」
金崎さんはそう言って笑顔を見せていた。
「……それじゃあ、僕もお先に」
すると、恕(ど)作(さく)さに紛れて帰路に就こうとした土田の肩を掴んで、金崎さんは彼の耳元に囁いた。
「嘘だよ……、な?」
土田は、まるで笑顔と恐怖が同時に現れたような表情をするとこう答えた。
「もも、も、勿論ですよ――。冗談に決まっているじゃないですか」
「そうだな……それなら良かった。じゃあ、主人公とヒロインがここに帰ってくるまでに、せめて俺らだけでも完璧に近い所まで進めておこうか」
金崎さんが二人にそう問いかけると、やや面倒臭がりながら彼らは首を縦に振った。
「ですね!」
「ま、俺は台詞が少ないからすぐにでも……」
残暑がまだ残っていた部室は再び笑顔に包まれていた。
十六歳の夏、ようやく綺麗に色づき始めた私の【季節】は、自滅という形で終わりを迎えた。
今日であれから四日目だ。私の世界は黒一色に逆戻りしていた。
それは、私がかつて夢見たあの世界と同じだった。いわば、【季節】など存在しない、ただ時間だけが流れていく――そんな世界だった。
六帖の部屋中一面に貼られた趣味のアニメや漫画のポスターを見ながら、私は布団の上に横たわっていた。
「ふぅ」
溢れ出す様々な感情を抑えながら、溜め息を吐いた。
沈黙に落ちた。
何も言えなくなった。
どうすることも出来なくなった。
私にはこの沈黙が長く感じた。
きっと、彼も同じだろうか。
「何事も無く、時間が早く過ぎてほしい」
それが私の願いだった。
そんな愚かな私がいた。
暑さが何故か本気を出し始める残暑、彼がもう私には欠かせない欠片になっていた。つまりは、私は彼に飢えていた。彼が必要なんだ。でも、私はその大切な欠片を失ってしまった。もう遅かったんだ。もうやり直すことは出来ないんだ――そんな事が脳裏を過ったその時だった。
机の上から着信音が鳴る。
「電話電話……あ、春日君!」
私は、自分の携帯電話を急いで取るとその画面を覗いた。
Shinji: 梓さんこんにちは。
……いや、もう六時だからこんばんはかな?
そんな事はどうでも良いんだけど、本題に行かせてください。
私は心の中で「早く行けよ」と鋭く突っ込んだ。
Shinji: 本題です。
この前、月島さんが僕のせいで事件を起こしちゃって、
一週間の停学処分を食らったそうなんだ。。。
だから僕は、彼女を何とかして元気付けたいんだ……
何か良い方法は無い?
当事者の一人でもある私からすれば、この文面の内容は全て知っているものだった。しかし、その文面の通り、私は落ち込んでいたと言っても過言ではない。
きっと、私は彼の事を求めていたのだろう。
彼という名の太陽に希望を与えて欲しかったのだろう。
その為私は、迷わずに次の行動を起こす事が出来た。
サクラ:君に逢いたい。
春日はその短い文を見るなり、すぐに返事を伝えた。
Shinji: へ?
私は今更ながら、決定的なその誤りに気付いた。
もしこの文面のままだったら、私が彼とのメールでのみ演じる羽目になっている別人・朝倉梓が春日と会う事を促しているようにも思われてしまう。
――これはまずい。
私はそれに気付くとすぐに彼に返信した。
サクラ:きっと月島さんがそう思ってるんじゃないかな……と思って、ね(#^^#)
だから一度、彼女に会ってみたら?
Shinji: 君なら絶対にそう言うだろうと思っていたよ!
実は今、彼女の家の前にいるんだ。
彼女に会いに行くんだ。
ちょっと携帯切るね……