幸せの青い鳥
ぴゅーう…… ばばーん……
どどどどど…… どかーん
「……花火だ」
「ああ。綺麗だろう?」
「も、勿論だよ!」
奈央さんの瞳にも、色とりどりの花々が咲いていた。なんと美しい事だ。
「それじゃあ、写真撮るよ。今日という日の記憶を、一生の思い出にして残す為に」
奈央さんは、僕の声に一言「うん!」と満面の笑顔で頷いていた。
ぱしゃり。
もう一つ、ぱしゃり。
自撮り棒なんて、洒落たものは忘れた。
でも、そんな洒落たサプライズなんか必要無い。
素朴で、純粋で、単純な幸せが一番良い。
きっと、幸せの青い鳥はこういう所にやってくるのだろう。
「有難う、如月くん。私は幸せ者だよ」
「うん、奈央さん。僕も本当にそう思うよ……君に出逢えて、本当に良かった」
「あっ、あそこに見えるのは、もしかして夏の大三角?」
奈央さんが指差した先には、花火と共に光を放っていた幻想的な星々だった。何だか、心が浄化される気分になる。
「そうだね。あれがデネブ、アルタイル、ベガ」
「へえ、こういう景色をずっと一緒に観ていたいよね」
夜景に感嘆していた奈央さんに、僕は自らの事情を告白した。
「それは無理です」
「……えっ?」
「僕は以前、君に職業を尋ねられた時に、何と答えていたと思いますか?」
奈央さんは、必死に過去の発言を思い出そうとしていた。
「小説家でしたっけ……」
「違うよ、その一つ前の僕の発言」
「――もしかして、書く仕事ですか?」
この状況をまだ理解していなかった彼女は、自ずと緊迫感を醸し出していた。
「そう、その通り。僕はカクシゴトをしている、と言ったのです。僕の本職は、芸能リポーター。良い芸能ネタを仕入れては、週刊誌等にその記事や証拠写真・資料を売りつける――それが僕の仕事です」
「よっ、要するに、今日の出来事を週刊誌に流す、という事ですか?」
「そうなりますね。これが、僕の職業です――正確には、今日までの一連の出来事を、ですが」
相変わらず驚きを抑えきれなかった奈央さんは、もう一度僕の方を見た。
「えっ……それだけは、それだけはやめて!」
「いいえ、止めません。僕は、既にその証拠を入手しました。荒居奈央がDVを全く受けていないという事実。そして、荒居奈央が多数の人間と不倫をしようとした事実。前者は、貴女が今日婚約する予定だった相手――つまり、貴女の夫周辺の人物と直接コンタクトを取って確かめました。後者の方は、SNS上の知り合いに聞き込み調査をした結果です。既に会話のログは消去されていましたが、会話のログをスクショした画像は何枚も発見しました。もう、言い逃れは出来ませんよ、奈央さん」
「やめて、やめて下さい! 如月くん、私は何でもするから!」
「本当に、何でも?」
すると、彼女は僕の足に泣きつく様にして返事した。
「勿論。自分を守る為なら、何だってするから!」
「なるほど。それなら、その言葉をそのまま貴女に返します。貴女には、守るべき存在が自分本人しかいない。だけれども、僕には守るべき存在が一杯いる――だから、彼らの為に僕は命を注ごうと思う。君が何と言おうと、到底意味を成さない。僕は貴女に対して本名も住所も電話番号も教えていない。教えているとすれば、SNS上の個人情報とゲームのアカウント位ですね。貴女との繋がりを断つ為に、それらを全て閉鎖してしまえばもう僕の勝利は確定です」
ふらりと立ち上がった僕に合わせて奈央さんもやおら立ち上がろうとしていたが、彼女の震えた足がそれを許す事は無かった。
「それでは、奈央さん。ごきげんよう」
「ま、待って!」
奈央さんは僕の足を必死に止めようとするが、僕はそれを直ぐに一蹴した。
「最後に、一言だけ言わせてもらおう。恋は、故意に始まるものでは無い――不意に始まるものだ」
「えっ……」
「荒居奈央という女性に出逢えた、彼の身にもなってあげてほしい。きっと、彼も悲しむ事だろう。この世は、金と知恵と見た目。運が良い事に、貴女には金と見た目は揃っている。後は、知恵の使い方だけさ。精々、良い相手を探したら良い。週刊誌に記事が載るよりも前にね……では」
こう呟くと、僕は足早にその場を立ち去った。
そして、この言葉が彼女に告げた最後の一言になった事は言うまでも無い。
4
「――トールサイズでホットのキャラメルマキアートを豆乳でお願いします。あと、ホイップ追加でキャラメルソース多めでお願いします」
数週間前に訪れた事があった、例の店。今日も同伴客がいる。実際、僕は妻と二十代の頃に少しだけ行ったきりだったが、少し前に仕事目的で行ったおかげでこの通り注文の方法も何となく思い出してきた。根拠の無い自信とかいうやつだ。
「かしこまりました、カウンターでお待ちください」
会計を済ませた僕は、その同伴客の元へと向かった。
「おとうさん、なにたのんだの?」
可愛い娘が尋ねる。
「キャラメルマキアートだよ。結構美味しいらしいよ」
「へえ、ぼくにものませてよ」
幼気な息子が僕を問う。
「ははは、分かった、分かったよ。今日は特別、給料日だからね」
「やったあ!」
息子が微笑んでいる。太陽の様な彼の笑顔に、僕は幾度励まされて来た事だろうか。
「ちゃんと子供たちの分は買ったの? 私の分は、別に良いから……」
そして、妻が僕に訊いた。
「勿論さ、困った時の……」
「「しぃーおーでぃー!」」
子供らが口を揃えて話した。
「ぶー。子供にはコーヒーは早いから、オレンジジュースね。それにしても、何でCODを知っているんだろうか……」
僕がそうやって家族と話していると、テーブルに店員さんが品物を運んできた。
「こちらが、コーヒーとキャラメルマキアートが一つずつ、オレンジジュースが二つです。ごゆっくりどうぞ」
「有難うございます」
僕は一度だけ会釈をした。
「「いっただきまあーす!」」
二人の子供たちは、店の外に響くかもしれないほどに大きな声を漏らしてから飲み始めた。
「何だか、活発だ。僕の弟を観ている様な気持ちだよ」
「そうだね……そういえば、このコーヒーは私のかな?」
不思議そうに、妻が僕に尋ねた。
「違うよ。寧ろ、逆。コーヒーが僕ので、キャラメルマキアートが君のだよ」
「あはは、可愛らしいね。キャラメルマキアートは。それじゃあ、喜んでいただきます。何しろ、今日は給料日ですもの」
「喜んでもらえて嬉しいな。確かに、こういう店は久しぶりだからね。では、僕も。いただきます」
僕らは、優雅にティータイムを楽しんでいた。
「ところで、あの記事ある?」
「――うん、あるよ」
僕はその記事が載った例の週刊誌を鞄から取り出して、嫁に見せた。見出しには、『荒居奈央、結婚式当日に不倫デート。SNSで複数の男性を誘い掛け、入念に準備をしていた』という文で始まる記事が写真付きで掲載されていた。
「ご苦労様だね、あなた。これで私たちの生活は暫く安泰ね……。でも、こんな危険な調査は二度としないでよね。不倫なんて、絶対に駄目だから」