幸せの青い鳥
そんなミサさんを不審に思いつつも、取り敢えず僕は缶ジュースの山から一本を開けて飲んだ。
「うっ、美味い」
味は、今までに無い位に格別な美味しさだった。
丁度良い温度に、丁度良い甘味。そして、濃くも薄くも無い果汁の濃度。
僕はそのジュースを飲み終えると、まだ自動販売機の受け取り口にあった残りの四本を鞄に入れた。
その後、僕はミサさんに返信した。
→返信【如月】
『分かりました。
暫く、ここで待っています。
白いTシャツ、青のズボン。
シンプルなファッションです。
黒い鞄を下げているので、意外と分かるかもです。』
僕がメッセージを打って返信ボタンを押した、その瞬間だった。
ぽん、ぽん。
何故か聞き慣れた声が、後ろから僕を叩いた。
「始めまして、如月さん」
その声の主が気になった僕は、後ろを振り向いた。
「えっ……」
そこにいたのは、あの有名人。荒居奈央だった。
トレンド感のあるボーイフレンドデニムを身に纏い、グレーのTシャツにチェックシャツを合わせていた。さらに、顔がある程度隠れる様にハットを被り、クールな見た目に仕上がっていた。
流石、有名人。
開いた口が塞がらない――まさに、その言葉の通りのリアクションを、自ずと僕は行っていた。
「始めまして、ミサこと荒居奈央です。さっきまで撮影していたスタジオが駅近くにあったので……如月さんには、ネットでいつもお世話になっています」
そういってミサさん、いや、奈央さんは手を差し出した。握手でもしようとしているのか。
「どどどっ、どうもです。ぼぼっ、僕は如月と言います……」
「うん、如月さん。今日は宜しくお願いします」
奈央さんは、震えていた僕の腕を小さな両手でそっと包む様にした。なんだ、これ。なんだ、この状況は。
「なっ、何するんですか突然」
憧れの人物に握手をしてもらった為か、恥じらいを隠せなかった僕は、直ぐに手を放した。
「あー、そうか。何も告知せずにこんな事したら駄目ですか、ごめんなさい……如月さん」
「いいっ、いや、そうじゃなくて……」
僕は、そのような意味で言った訳では無かった事を訂正しようとした。
「そうじゃなくて?」
「はは、はい。握手をする事は良い事です。でも、まさかミサさんがあの奈央さんだとは思わなかったので……」
すると、奈央さんは僕の方を見て笑みを見せた。
「なるほど。それなら、普通に友達として宜しくお願いします。同じゲーム内でのフレンドの、延長線の仲として」
「ですね。それなら、良いかと」
「――因みに、如月さんの職業は何ですか?」
「ああ、僕ですか。僕は書く仕事をしています」
奈央さんは僕の方を見て、へえと頷いた。
「もしかして、小説家とかですか?」
「……まあ、そうなりますね。まだ売れてない方なんですが」
「良いですね、小説家は。とても辛い仕事だと思いますが、頑張ってください。ドラマの主演指名をしてくれたら、きっと私は子供の様に喜びますから」
あはは、と笑っていた僕は、歩き出す前に鞄から先程の缶ジュースを取り出してから、奈央さんに一言尋ねた。
「ジュース、差し上げましょうか? さっきのツイートを見てもらえれば分かると思いますが」
奈央さんは躊躇することなく、僕の手から缶ジュースを簒奪(さんだつ)した。
「うん、助かります。有難うございます!」
勢いよく缶を開けた奈央さんは、美味しそうにジュースを飲んでいた。
奈央さんが嬉しそうで、何よりだ。
憧れの人に、自分が買ったジュースを飲んでもらっている僕の方が、どう考えても幸せなのだが。
なるほど、この世は金と知恵と見た目――それと運の良し悪しが人間の幸せを決めるのか。
不平等だが、事実は僕の期待を遙かに超えた。
それも、良い方の意味合いで。
「ああ、生きていて良かった」
唐突に僕が呟いた一言に、彼女は突っ込んだ。
「何ですか、如月さん。突然びっくりするような言葉を出して」
「いや、何でも無いですよ。でも、憧れのスターに出会えたんですから。どんな人でも、好きな人に会えたら嬉しいじゃないですか」
彼女は不器用に笑っていた。
「あはは、如月さんって面白いですね。私も心の底でこういう人を待っていた様な気がします。何だか嬉しいです」
本当なら僕は、この勢いで奈央さんと付き合ってしまいたい位だった。だが、今の彼女には結婚式を控えた夫がいる。強奪してまで憧れの人と結婚するなんていう、ゲスな事はやはり遠慮させてほしい。
「そうですか、そう言って貰えて僕は本当に嬉しいです。そろそろ、本題に入りましょうか。あのゲームの話でもしましょう」
奈央さんは、一度首を縦に振ってから答えた。
「はい。どうせなら、二人で一緒にあそこの店にでも行きませんか? あそこでコーヒーでも飲みながら、世間話でもしましょう」
「そうですね」
僕は、うんと頷いた。
「あと……敬語やめませんか? 見た目年齢もさほど変わら無さそうですし」
奈央さんの提案に、僕は戸惑いながらも返事をした。
「そうですね。僕は三十一歳、奈央さんも同い年だそうですよね、ウィキによると」
「如月さん、よくご存じで。私は来週の土曜日で、さらに一つ年を取っちゃうんだけどね」
「あはは、宜しく」
アラサーの奈央さんの自虐を受け止めつつ、僕はスタバの方を指差した。
「あれだよね、あの緑の洒落たお店」
「そう」
「僕、ああいう店とか行った事なくて不安で……」
僕は心配そうな表情を見せていた。何しろ、あの店は「リア充」と呼ばれる人種が行く場所だと、僕は偏見を持っているからだ。僕も、二十代の頃に数回だけ行ったきりだ。そんな場所で、僕の様な身の人間がコーヒーを飲んでも良いのだろうか。
「大丈夫大丈夫、如月さん。私がエスコートしてあげるから」
「……本当に助かります、奈央さま」
僕はこの瞬間、何故か彼女を崇拝しているかの如く敬語口調で言葉を返していた。
「奈央さまって、何様よ? 私は神様でも仏様でも稲尾様でも無いから」
「そんな事より、早く行こう――店へ」
奈央さんの言葉のセンスは、僕たち凡人には到底理解出来ない。
それにしても誰だよ、稲尾様って。
「そうやね、如月さん」
僕と奈央さんは、そのまま店内へと入った。中は落ち着いた雰囲気で、心地良い感じだった。この環境なら、僕の仕事もなおさら捗る事だろう。
「注文しようか」
「……うん、まだ何も決めてないのに」
「良いから、良いから。困った時はCODって言っていればいいのよ」
奈央さんに促された僕はおずおずと、レジまで向かった。幸い、並んでいた先客は奈央さん以外にはおらず、僕はタイムロスを軽くする事が出来た。
「先に、私が注文するから見といて」
「う、うん」
まず僕は、彼女の注文の仕方を観察してみる事にした。
「すいませーん、注文お願いします」
「はい、ご注文をどうぞ」
何とも愛想の良い、女性の店員さんだった。挨拶もハキハキとしていて、活発な印象が感ぜられた。
「それじゃあ、グランデアイスライトアイスエクストラミルクモカラテを一つ」